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ディベロッパー・ジェネシス/インターフェロン07(epilog)

 ……うららかな日射しが、カフェの庭に降り注いでいる。

「お待たせしました」
 ウェイターが厳かに、カップと皿を並べていく。キリは嬉しそうに、身を乗り出した。
「旨そう」
 彼の前にはコーヒーの他に、ケーキの盛り合わせが置かれている。それもチョコレート系ばかり五種類も。見ただけで胃が悪くなりそうなラインナップだった。しかしグロムの前に置かれたのも、蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキである。飲物ときたらミルクセーキ。五十歩百歩だ。アヴァランサはうんざり顔で、立派な成人男性二人を眺めやった。
「何なんだろうねこの注文≪オーダー≫は。女子高生か。あんたらは女子高生か? 今時女子高生だって、こんな甘ったるいの食いやしないよ。まったく、いい歳した男が雁首並べて」
「婆さんそれセクハラ」
「そうだ。男がスイーツが好きで何が悪い」
「何だいこんな時ばかり結束しやがって。何がスイーツだ。コジャレた単語使うんじゃないよそんな顔して」
「この顔は生まれ付きだ」
 グロムがムッとして云い返す。キリはさっさと、ケーキを口に運んでいる。
「旨い」
 満足そうに、赤い目が細まった。
 ――大湖で輸送船を沈没させてから、半月経っている。
 公式には、〝麻薬密輸船を軍が撃沈した〟という事になっている。このままそういう事として、片が付くだろう。キリ達には、真相を云い立てる気など、一ミリグラムもないのだから。
 ――あの後。ヘリは一度湖岸に着陸した。〝連絡と補給〟と称して。グロム達は急いで、フリードの待っていたカーゴ・トラックに移り、その場を後にした。ザパダ達に別れを告げる間もなかった。
 キリはその間も、一度も目を覚まさなかった。それどころかその後も眠り続け、起きたのは五日後の事だった。フリードなどは完全に、死んだと勘違いしていて、目覚めた時には泣いて怒られた。何故怒られねばならないのか、キリはいまだに疑問だが。それだけ心配してくれていた、という事だろう。
 ……それからは、何事もなかった。
 アヴァランサとグロムはそれぞれ、自分の本家と連絡を取り合い、忙しそうにしていた。フリードは時たま顔を出したが、やはり彼は彼で飛び回っているようだった。当事者である筈のキリだけが、何故か暇だった。仕方がないので、隠れ家の周辺を散歩して回った。グロムは癖が抜けないのか、あまり表に出るなと口やかましかったが。結果として、完全に無視する事になった。しんどさは確かにあったが、ただ寝ていても、体調は戻らない。それをキリは知っていた。
 雨の日には本を読んだ。ブックストアのアカウントを取り、ダウンロードしては読みふけった。そして、料理をしない鬼族と料理が出来ない熊に、簡単な食事を振る舞った。それは大抵は高評価で、特にグロムに五段のパンケーキを出してやった後は、随分と小言が減った。
 キリの扱いは、鬼族預かり、準鬼族、という事になりそうだった。
 当初、お互いにかなり印象の悪かった両者だったが。鬼族本家は、キリの仕事は正当に評価し、キリの要求を認めたのだった。キリが発症する可能性が完全にゼロではない以上、発症したら即座に〝処分〟するという条件付きではあったが。
 もう一段階上、本格的に〝入族〟するには、儀式≪イニシエーション≫を経なければならないという。怪しい儀式じゃないよ、とアヴァランサもフリードも請け合ったが、キリはそれには難色を示した。キリにしてみれば、亜種の認定とバックアップが得られればそれで充分なのであって、何が何でも鬼族になりたい訳ではない。準鬼族とは何とも宙ぶらりんな立場だが、不安定なのはいつもの事だ。むしろその方が気が楽だし、都合がよかった。この先の〝仕事〟の事を考えれば。
 〝熊〟の方は、まだ結論が出ていないらしい。一族の存続に関わる問題だ、無理もない。まだしばらく、交渉が続きそうだった。
 そして、今日。
 話を持って来たのは、フリードだった。面会を申し込まれた、という。【ザパダ】から。それも、キリ、アヴァランサ、グロム、全員と会いたいとの事だった。アヴァランサは警戒したし、キリも無条件では信じなかった。ザパダ個人は信頼に足る人間だが、それだけでは済まないのが社会生物というものだ。ウェブ会議じゃ駄目か、とまでアヴァランサは提案したが、結局ザパダの要望を容れた。ザパダには貸しもあるが借りもある。
 準備はフリードが請け負った。空港に程近いカフェを借り切り、場をセッティングした。フリード自身は、テーブルにはついていない。密かに警戒に当たっている。狙撃銃を傍らに置いて。ザパダに悪意がなくても、悪意を持った人物が、彼を追尾していないとも限らない。……
「……それにしても」
 着々と減っていくケーキを見やってから、アヴァランサは唸った。
「折角〝アバタール〟で慣れたのに、また【変わり】やがって。このカメレオン男」
「そんな事云われても」
 キリは、ぱく、とケーキを一片口にした。
 ――どの力に、どう反応したものか。キリの肌からは青みまでが抜けて、紙のように白くなっていた。それだけなら白子≪アルビノ≫のように見えなくもないが、とにかく生気がまるでない。蝋人形のようだ。気味の悪い事には変わりない。これに赤目である。闇中で遭遇したら間違いなく幽霊案件であった。
「と、云うか、さ。何も今から、新しい呼び方考える事ないだろ。いいだろアバタールで」
「うるさいね。アタシは気になるんだよ、放っときな。死にかけてちょっとは、しおらしくなるかと思ったら」
「そう簡単に、しおれてたまるか。そもそも既に一回、死んでますから」
 キリはきょろりと、瞳を動かした。――その右目には、義眼が嵌まっている。鬼族製の。
 どこかから、エネルギーが漏れ出ているのではないか。というフリードの冗談が、これまた瓢箪から駒だった。義眼をすると、エネルギーの流出自体は、抑えられると判明したのだった。定期的な交換が必要だし、〝見える〟ようになった訳でもないが、体は随分と楽になった。この点ではキリは素直に、感謝している。赤目をカバーするサングラスは、必需品だが。
「婆さんも、変なところで細かいな。んー、じゃあ、そうだな。兎とか?」
「何可愛こぶってんだい気色悪い。あんたなんざ、雪男で充分だ。――よし決めた。雪男。ぴったりだ。丁度いい」
「イエティかよ。クマオと同類になっちまうじゃないか。もうちょっとマシなのないのか」
「何だと。雪男を馬鹿にするな」グロムが参戦する。
「えっマジ? マジで雪男同族なの?」
「イエティは人類の誤認だ。氷雪地帯に棲む〝熊〟で、〝雪熊〟という一族だ。実に神々しいぞ。あやかれてありがたいと思え」
「いや、全然嬉しくない。と云うか雪熊て。かき氷か」
「何を云ってるのかわからん。ローカルネタか?」
「いいじゃないか揃い踏みで」アヴァランサが再び、ラリーに入る。「岩男熊男雪男。見たまんまだ。わかりやすくて結構だろ」
 キリは空になった皿にフォークを置いた。
「軍曹はもういないぜ」
 しかしアヴァランサの返しは、おそろしく早くて無造作だった。
「だから何だってんだい」
 ……それは確かに、意表を突く返事だった。キリはマジとアヴァランサを見つめた後、――微笑した。
「そうだな」
 その時ウェイターがやって来て、客の来訪を告げた。アヴァランサが代表で頷く。ウェイターは空になった皿とカップを手に、いったん下がっていった。グロムがキリを見やる。
「大丈夫だろうな」
「まあ、奴も素人じゃない。尾行≪つけ≫られたりはしてないだろうさ。最悪の場合は……俺が一〇〇パー、ゴチになればいいんだ。安心しろ」
「出来るか!」グロムは目を剥いた。
「お前が一〇〇%ゲートオープンしたら、周りだって只じゃ済まん! 俺達も奴も死ぬだろうが! どこまで行き当たりばったりなんだお前はっ……」
 その時ウェイターが姿を見せ、グロムは口を噤んだ。あまりにみっともない。
 ウェイターに伴われ、ザパダがやって来た。地味な色合いのスーツ姿だ。表情は相変わらず堅苦しく、緊張もしているようだった。ウェイターが声をかける。
「お飲み物をお持ちします」
 そして屋内へと下がっていく。ザパダは、テーブルの三人に一礼した。
「お久し振りです」
「そんなに久し振りでもないさね」アヴァランサが無愛想に返した。
「挨拶はいいよ。とっとと座んな」
 まったくぞんざいである。ザパダは更に緊張の度合いを増したようだったが、再度礼をして椅子にかけた。そのタイミングで、ウェイターが、新たな飲物を持って来る。セッティングをして下がっていく。完全に屋内に消えたところで、ザパダは改めて三人を見やった。
「まずは――我々の報告を」
「それだけじゃないんだろ」とキリ。ザパダは頷いた。
「はい。ただ一応、この順の方がわかりやすいかと」
「そうか。OK。どうぞ」
「我々は脱走兵扱いでしたが……クラウド研究所派が、失脚しました。将軍の口添えもあって、正式に復帰しました。その後、兵長は除隊しました。実家の牧場に戻っています。上等兵は引き続き、職務に就いています。両者とも一階級ずつ昇格」
 キリは片頬だけで笑った。言葉はない。ただ、グロムが尋いていた。
「脱走兵扱いだったのが昇格? どうして」
「他言無用、って事さ。辞めさせるより飼っておいた方が、口外される危険性が低い。それでも辞めたんだな、兵長は。余程堪≪こた≫えたか、嫌になったんだろう」
 キリの言に、ザパダは頷いた。
「兵長……元兵長、いや、元伍長という事になりますが、は、妹さんが病気療養中という事もあります。その治療費を軍が出します」
「……」
 キリは皮肉っぽく笑ったまま、首を振る。グロムも今度は、尋き返さなかった。妹の面倒は見てやるから沈黙を守れ――そういう事だ。もう、尋かずともわかる。
「で、お前さんは」
 キリが先を促す。ザパダは同じ口調で続けた。
「除隊しました」
「そうか。勿体ない」
「……と云うより、ここからスカウトを受けました」
 ザパダは胸ポケットから、名刺を出した。テーブルの真ん中に置く。キリはそれを取り上げた。左右から、アヴァランサとグロムも覗き込む。
「International Border Association……国際ボーダー協会?」
 キリの読み上げに、グロムが首を傾げる。
「ボーダー……どこかで」
「〝ディベロッパー〟だよ、クマオ。コミックの」
 キリの答えに、グロムは目を丸くした。
「は!? だってあれは、コミックだろう! ディベロッパーだの魔法少女だのギークだの、」
「……いつの間に読んだんだお前さん」
 呆れ顔を向けられ、グロムは慌ててそっぽを向く。キリはそれ以上追及しなかった。ザパダに視線を戻す。――真っ直ぐに、元軍人の目を見据える。
「まさかと思うが、俺達をスカウトしに来たんじゃないだろうな」
「違います。むしろ逆です」
 ザパダもまた、静かな声に確固たる意思を込めて答えた。
「隠れて下さい。関わり合いになる事はない」
 IBAにスカウトされている筈の男が、そう告げた。

「IBAは今、アメリカ支部≪NBA≫の活動が最も盛んです。日本支部≪JBA≫もあるそうです。ヨーロッパにはまだありません。準備中だそうです。その準備会に、私も、と」
「受ける気か。お前さんは能力者じゃないだろうに」
「実動部隊はともかく、組織の運営には、能力の有無は無関係だそうです。実働部隊を取り纏める、エージェントのような役職もあるそうですが、それも必要なのは指揮経験で能力者である必要はないと」
 ザパダの説明に、キリは薄く笑った。
「……成程ね。どっちでもお前さんなら、立派にやれるだろう。頑張ってくれ」
「いや、まだ、決まった訳じゃないんだろう?」
 グロムが口を挟む。ザパダはぎこちなく笑った。
「正式な契約はまだです。ですが来週には、サインする予定です」
「そ、そうか」
「ですから――その前にどうしても、一度、お会いしたかったんです」
 ザパダは一口、紅茶を飲んだ。

「そもそも何故私にスカウトが来たか、です。今回の、クラウド研究所の件。これが理由である事は、間違いないでしょう」
「間違いないね」
 キリはリピートで補強する。
「実際に色々、尋ねられました。ある程度の証言はするつもりです。IBAの事案が表沙汰になる事は、ありませんし。しかし貴方達の事は、出来るだけ伏せたい」
「何でまた」
「――と云うより」アヴァランサが身を乗り出した。目が赤く光っている。
「どこまで知ってる。あんた」
 ザパダは僅かに息苦しそうになったが、怺えて答えた。
「概要は。フリード殿に伺いました」
「……あの馬鹿め」
「フリード殿を責めないで下さい。元々はマラキア軍曹から聞かされた事です。それを改めて理解するために、どうしても」
「……まあいいさ。確かにあんた達も、結構な深度で関わっちまったんだ。訳がわからんままも嫌だろう。――でも聞いた事は、墓場まで持って行きな。間違っても、他の人類には話すんじゃない」
「承知しています」
 ザパダが頷く。「で――」とキリが話を引き取った。コーヒーをすすって尋く。
「姉さんの話を聞いて、お前さんは、何をどう思ったんだ」
「……人類≪われわれ≫と亜種≪あなたたち≫は全く違う、という事です。血統――以上に、考え方、ルール、倫理……そういったものの違いが大きい。貴方達には当然の事も、我々には犯罪になってしまうケースが、当然あるでしょう。逆に我々には何でもない事が、貴方達には大きな怒りをもたらす事も」
「そいつは大いにあるね」
 むしろそんな事ばっかりだ――アヴァランサの言に、ザパダは顔をしかめた。
「そんな我々が関わり合ったところで、碌な事にはなりません。もし短絡な者が管理職を担ったら、一族丸ごとゾイド指定、という暴挙も起こしかねない。そんな事はない、と信じたいですが、絶対はありません。最悪を想定すれば――無関係でいるのが一番いい、と考えました」
「それには同意する」とグロム。
「それであんたは」アヴァランサは腕組みして、椅子に凭れた。
「アタシらに何をどうしろって云うんだい」
「単純な事です」ザパダは真面目な顔で告げた。
「事を起こす時は、我々にバレないようにして下さい。以上です」

「……」
 アヴァランサは口をあけて、ザパダを見返してしまった。しばし元軍人を凝視した後、――にやりと笑う。
「なかなか面白いじゃないかえ。あんた」
「恐れ入ります」
 ザパダはどこまでも堅苦しく、頭を下げる。
「しかしその、IBAユーロ支部か。それ、うまくいくのか」
 キリが疑問を呈する。ザパダは目を伏せた。
「わかりません。正直、難しいと思っています」
「だろうね」
 キリの同意に、グロムが「?」という表情になる。ザパダが補説した。
「ジブラルタルのこちらと向こうでは、事情があまりに違います。こちらの歴史は古く、複雑に絡まり合っている。根も深い。貴方達のような氏族≪クラン≫が大勢存在する事は、容易に推察出来ます。能力者や特殊技能者の組合≪ギルド≫も、既に存在していて、これもまた長い歴史がある。そこにグローバル流を持ち込んでも、摩擦が生じるだけでしょう。ディズニーやマクドナルドとは違うんですから」
「卓見だね」とキリ。
「それでも無意味ではないと思います。新しいタイプの能力者は、老舗からはかえって、はじかれてしまう怖れがある。競合するのではなく、お互い補完出来るような関係に持っていきたい」
「是非そうしてくれ」
 是非、という割には、キリの口調は冷めきっている。関わりたくないのがありありと伺える。ザパダは苦笑いに近い表情を、ちらりと見せた。すぐ真顔に戻る。
「実を云えば、中尉。貴方には、IBAに加わって貰いたい――という気持ちもあります」
「お断りだ」
 髪の毛一本入る余地もない、即答だった。グロムの方がかえって驚く。ザパダは驚かなかった。予測済みだったのだろう。キリは素っ気なく続けた。
「組織に属する気はない。ボーダーだのゾイドだの、勝手に括られるのも真っ平だね。そもそも俺は、婆さんの――鬼族の雇われ兵隊だ。先約はそっちだ」
「覚えてたのかい」
 アヴァランサもこれには目を瞠った。キリは淡々と云った。
「契約に関する事は忘れない」
 ――役に立つ兵隊として、飼われちゃくれないか。
 出会った当初、キュムガルベンの隠れ家で、持ちかけられた話だった。正式なオファーとはとても云えないし、まだ交渉も始まっていない。が、キリにとっては、それが優先だった。特に今、〝準鬼族〟の話が進んでいる最中である。それも条件の中に入って来る事は、間違いないのだから。
「では、中尉は……鬼族専属になるおつもりですか」
「だから云ってるだろ。〝属〟するつもりはないって。それだと色々、具合が悪い。――賞金稼ぎ≪ハンター≫のライセンスを取ろうと思ってる。身分保証がないといざって時にヤバいしな。だから〝ボーダー〟としてじゃなく、〝ハンター〟としてなら、仕事をしてもいい。あくまでもフリーランスとして、個別のオファーなら考える」
「……つまり傭兵の時と同じ、ですね」
「そういう事だ」
 キリは平坦に首肯した。アヴァランサが肩を竦めた。
「別に鬼族≪こっち≫は、構やしないよ? あんたを縛っとくだけの権利は、アタシらにはない」
 するとキリは、やっと少し、表情の硬さを解いた。悪戯っぽく笑む。
「縛られるつもりはないんで御心配なく」
「だろうと思ったがね」
 ……それを聞きながら、グロムは、ザパダに向き直った。
「俺からも一つ。いや、二つ。いいか」
「何でしょう」
「俺個人としては――仕事によっては、協力してもいい。〝ボーダー〟登録する気はないが」
「本当ですか。感謝します」
「ただし一族そのものが、IBAと関わる事は、絶対にない。未来永劫有り得ない。これは鬼族も、いや、どの亜種も同じだ。それは肝に銘じておいてくれ。出来ればそちらのデータベースから、消して欲しいくらいだ。それくらいに切実な問題だ。それを忘れるな」
「重々、承知しました」
 ザパダは大きく頷いた。
「二つめは何でしょう」
「このコミック。一つ、気に食わない点がある」
 どん。とグロムがテーブルに置いたのは、〝ディベロッパー〟シリーズのコミックだった。表紙は白黒市松模様の全身スーツ男と、獅子の鬣を持つ男、それに何故か丸いヒヨコという取り合わせ。〝ギーク〟というシリーズの最新刊だった。キリが完全に呆れて呟く。
「どこに持ってたんだ……」
「この男」完全無視して、グロムは〝獅子〟の男を指差した。
「劇中で、〝獣人〟と呼ばれているな。事実か」
「ええと……それは」ザパダが初めて、戸惑った顔になった。
「確認はしていませんが……あちらでは一般的≪ポピュラー≫な言葉かと」
「こちらでは違う! 〝獣人≪これ≫〟は変身種≪われわれ≫にとっては、深刻な侮辱語だ!」
 ばんっ! とグロムはテーブルを叩いた。アヴァランサもキリも、窘めなかった。
「向こうではどうだか知らんし、そこまで言及するつもりもない。だがこちらで――こちら出身の変身種、と云ってもいいが――に、こんな言葉を使ってみろ。協力どころかその場で決裂、血の雨を見るぞ。準備会とやらに、それはよく伝えておけ。基礎中の基礎だ」
 グロムの毛が逆立っている。口にするだけでも、腸が煮えくり返るのだろう。ザパダは唾を飲み込んだ。
「それも、重々。伝えます」
「ついでに云うと」アヴァランサが付け足した。
「その手の侮辱に対してこちらでは、最大限の報復が認められてる。云ってる意味はわかるな」
「……はい」
「そして罪には問われない。ま、認定会議はひらかれるが。これに関しちゃ、亜種≪こっち≫は人類≪そっち≫に譲歩はしない。知らなかった、じゃ通らない。知らない方が悪い。それが亜種≪こっち≫の常識だ。よく教育しとくんだね」
「……心得ました」
 ザパダは胸を押さえている。確かに、怒りを露わにしたグロムには、それくらいの迫力があった。グロムは息を吐き出すと、「すまん」と謝罪した。
「貴殿に怒っても仕方がない事ではあった」
「……いえ。事前に知る事が出来てよかった」
「俺からは以上だ」
 グロムはコミックをしまうと、アヴァランサを見た。
「アヴァランサ殿は何かあるか」
 ――鬼族の長老は冷静な目付きで、ザパダを眺めた。
「繰り返すが、アタシらは全く違う生き物だ」
「はい」
「こっちの不始末は、こっちで片付ける。そっちはそっちで、自分でやりな。人類≪あんたら≫の尻拭いをする気はない。滅びたければ勝手に滅びろ。好きにすりゃあいい。ただしこっちを巻き込むな。巻き込もうとするなら、こっちにも考えはある。それが嫌なら、ちったあ賢くなるんだね」
 アヴァランサはカップを傾けた。レモンティーを飲み干す。
「そうならない事を願ってるよ」
「……こちらもです」
「だといいがね」
 アヴァランサはそれで、口を結んだ。発言終わり、の意思表示らしい。そこまで我関せず――を決め込んでいたキリは、頬杖を着くと苦笑した。同情気味に。
「どこ行っても苦労するんだな、お前さんは」
「そのようです……が」
 ザパダは笑った。達観のようでも、誇りのようでもあった。
「悪くない苦労だと思っています」
 キリは声を立てずに笑った。

 ……二杯の紅茶を飲み干して、ザパダはカフェを辞していった。キリ達は更に時間を置いて、店を出た。それぞれの車に向かう。
「あーよかった。ハンサムさんを撃たずに済んで」
 フリードがしみじみと、胸を撫で下ろす。キリがくすりと笑った。
「姉さん、気に入ってるもんな。ザパダを」
「ハンサムさんだけって事もないわよ。イケメンは好きよ。貴重品だもの。尊≪たっと≫ばなきゃ」
 澄まして云うと、彼は運転席のドアをあけた。キリを振り向き、にっこり笑う。
「だから貴方も大好きよ。ディベロッパー」
「そいつはどうも」
「じゃあね、アヴァランサも。また連絡するわ」
「頼んだよ」
「お任せ。あー忙しい忙しい」
 とは云えその横顔は、楽しそうだった。アウストルの死で、彼の中からも、何かが落ちたのかも知れなかった。
 そしてフリードは、車を運転して去っていった。アヴァランサはそれを見送ると、自分の車の運転席に登った。キリは助手席のドアに手を掛けて、――グロムを振り向いた。
「クマオ? 乗らないのか」
「俺は飛行機だ」
 空港の方角へ顎をしゃくる。キリは首を傾げる事で、問いに代える。グロムは答えた。
「一度、郷≪さと≫へ戻る。報告もあるし――色々な、取り纏めも」
「そうか」
「何とか纏めて来る。戻った時、いい報告が出来るように」
「頑張れよ」
 キリの声は、先とは違った。いつものように軽くはあったが、どこか温かくもあった。
「で、いつ頃戻るんだ」
「簡単にはいかないだろうからな。二週間は見てる」
「それじゃ俺は、その報告は聞けないな。残念だけど」
 飄々とした台詞に、グロムの方がギョッとした。
「聞けない? 何故」
 思った以上にトーンが上がり、自分でも驚く。何を動揺しているのか、自分は。余計に狼狽える。そんなグロムに気付いているのかいないのか、キリはあっさり答えた。
「ハンターライセンスの試験が、来月の一日からだ。合格すればすぐ研修に入る。その後の事は、まだ決めてないが……少なくとも、いつまでも婆さんの世話になってる訳にはいかないからな」
「そ、」グロムは喉がつかえるのを感じた。
「そう、……か」
 そう返すので精一杯だった。キリの方には、何の変わりもない。微笑と共に告げる。
「〝熊〟の幸運を祈ってるよ。それじゃあな、クマオ」
「――ディベロッパー!」
 思わず呼び止めていた。何の用がある訳でもないのに。ステップに足を掛けたキリは、そのまま振り向いた。
「何だ? パンケーキが食い足りないから作って欲しいとか云うなよ」
「誰が云うか!」
 反射的に怒鳴り返し、少しだけ後悔する。もう一度くらい食べておきたかった気がする――いや、そうではなくて。
「……を」
「ん?」
「名前。お前の名前だ。何ていうんだ、本当は」
 咳払いの後、そう問うたグロムに、キリは赤目をまばたかせた。
「……聞いてたろ?」
「そんな気もするが、直接は聞いていない」
 食い下がるグロムに、キリは呆れたように溜息をついた。面倒な奴だなあ――と呟き、白い髪をかき回す。そして。

「五十嵐キリだ。――それじゃあな」

 呆気ない程簡単に告げ、助手席に乗り込む。ドアを閉める――寸前。

「いずれまた、な。グロム」

 ――ドアが閉まる。アヴァランサが、車をスタートさせる。黒いジープはあっと云う間に、駐車場を出て行った。見えなくなる。何の余韻もない。
 グロムはそれを見送り、まだその場に佇んでいた。今――最後に、何か。とても奇妙な事を、云われたような。

 ――いずれまた。

 ふっ、とグロムは息を吐いた。頭をかく。顔が――笑っていた。いつの間にか。
「そうか。また、か」
 だとすれば。
 これきり、という事もないだろう。いつかまた、顔を合わせる事もあるだろう。二度と会わずに済むと思っていたのに――そんな憎まれ口を叩きながら。
「……また、いつか。五十嵐キリ」
 そしてグロムもまた、踵を返した。空港への道を歩き出す。その大きな姿はやがて、雑踏に紛れていった。
〈了〉

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