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コトバミマンの泡/240813

自分の思いを言葉にする。その言葉を聞いて、なるほど、自分はこう思っていたのか、と納得する。自分の発した言葉で、自分を知る。

古賀史健著/さみしい夜にはペンを持て

8月8日の木曜日、日南市で震度6弱の激しい地震があった。幸いにも死者は出ていない。ある人は「南海トラフ地震に向けて、危機意識が高まる良い機会」と捉え、ある人は非日常がどこか楽しそうで、ある人は経営している宿で予約のキャンセルが相次いでいることに苦言を呈していた。私は翌日の仕事のことや、週末の研修のことを考えていた、ような気がする。

通行止めを掻い潜って、出張先から日南市の自宅に帰りついたのが22時ごろ。お気に入りのおんぼろなアパートがきちんと立っていて、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。中に入ると、皿が割れ、壁が剥がれ、壁紙に亀裂が入った我が家があった。いつかテレビで見たような光景に、体から力が抜けるような気がした。一旦、実家に避難してからおよそ1週間が経つ。ちょうど世の中の夏休み期間やお盆とも相まって、実家での避難生活は、スローモーションのカメラで世界を見るような時間だった。

地震で散乱した本を片付けるついでに、永遠の積読になると思われた本をたくさん読んだ。わくわくして買ったのに全然面白くない本もあったし、中古で買った本には誰かが鉛筆で線を引いていて鬱陶しかった。でも、中には自分が欲しい言葉が浮き上がるようにして見えるような本もあった。自分の心に届いた言葉を大事にしまっておけるように、ちょっとだけ高いノートを買って、好きな言葉を書き出してみるようにした。200ページのノートは、まだ196ページも残っている。

昨年の10月、父方の祖父が亡くなった。この夏が初盆だ。90を過ぎても毎朝の運動を欠かない元気な人だったが、みるみるうちに力がなくなっていった。晩年は父が献身的に面倒を見ていた姿が印象に残っている。祖父母の代は、もう誰もこの世にいない。たくさんのことを教えてくれた最後に、自らの死をもって命が有限であることを教えてくれているような気がする。

昼は親族で財部のお寺に集まり、お墓参りを済ませ、みんなで立派なお弁当を食べた。あんなに小さかった姪っ子たちが、あっという間に大人になっていく。夜は実家の庭でBBQと流しそうめんをして、迎え火を焚いた。お寺のお坊さんが「仏教は49日や一周忌、三回忌など、法要を継続的に行うので、めんどくさがられることがある」と話していた。私は故人に想いを馳せ、自分のこれからの命の使い方を考える機会になれば良いと思った。

あなたは今日の事を話すだろうか 数年先の未来で
数年先を想って話した事なんてないけど
枯れた花の名を思い出すだろうか 消毒液の匂いで
何でもない空の下 空の色 手付かずの庭

人間賛歌/tacica

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