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病院への不信感を感じた時1

過去のnoteに私の目は、緑内障と誤診されたと書いた。
緑内障ではなく、脳下垂体にある腫瘍が目を押しつぶしていたから目が見えなくなったのである。
目が見えなくなり、自分一人では何もできなくなったので、母親の介護で苦労している姉に迎えに来てもらって、田舎の病院で治療した。

その大学病院では、目の神経がつぶれているから右目は失明している。せめて左目だけは緑内障の薬で見えるのを保っていきましょうとその若い女医は言った。
まだ若くて、研修医を終えたばかり位の人。
「目の神経がつぶれるということは、脳の方に何かあるのでしょうか?」
と聞いた時
「私は脳外科医じゃないのでわかりません」

私はこの病院の目の検査を担当する技師が、すごく嫌な感じだったので足が遠のき、小さな街中にある眼科医で緑内障の薬をもらって対処していたが、目の前が真っ白に・・・吹雪の中にいるようになってしまった。

国立病院の庭、桜の季節でした

同じ市内にある国立病院で目の視野が欠ける緑内障にかかっている友人に話すと、
「K病院の先生はみんな優しいわよ。こっちできちんとみてもらいなさい」

そういわれて、セカンドオピニオンを受けた。K病院の先生は
「すぐに、MRIを受けて脳外科の先生に診てもらいましょう」
ということになった。

国立のK病院では、手術ができる設備がなかったのと、かなりの腫瘍が広がっていたので私は、姉の迷惑になるなと思いつつも、実家がある鴨川市のK病院に行くことにした。
K病院は千葉の穏やかな田舎町にある。
お医者さん看護師さんも技師さんも、穏やかで楽しい人が多く、見えないなりに楽しく治療が受けられた。

ランチにはカレー
5月の入院なのに黄色いスイカがでてきた鴨川市の病院

田舎は車がないと何もできない。右目失明で車の運転ができない私にとって、買い物もできない生活は苦痛だった。
今住んでいるI市は、ネットスーパーもあるし、マンションの前にはドラックストアもある。
仲良しの宅配業者さんもいる。足が悪くてできないことを補助してくれるヘルパーさんもいる。

だから手術を終えて、右目だけでも見えるようになった私は、I市に戻った。3か月に1度の検査でまた腫瘍が大きくなっていると医師にいわれたが、鴨川市に戻るつもりはなかった。
姉に迷惑をかけないI市からタクシーで行ける病院を探した。
すると一番近いのは誤診した大学病院しかなかった。

パート2に続きます

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