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逃げ道を辿る

私は逃げるのだ。

社会不適合者として
どうしたら私が生きやすくなるのかを考え続けていく。

社会人としての人格

そもそも私は大変打たれ弱い。
社会の中で「お勤め」が出来ない。
過去の短期間でのお勤めを振り返る。

メール対応をさせたら
「お世話になっております」
というラリーを何回続けたらいいのか分からない。

先輩の立ち位置の方が
出社して早々、電話したり誰かと話ししていたら
「おはようございます。」と言いそびれて
いつ言えばいいんだ、、、
今更と思われたらどうしよう、、
と結局退勤時間になり言えずに終わったりする。
駄目じゃんね。

頼み事は断れずに
なんとなく相手の意思のまま流されるし
悪気無く失礼な事を言ってしまう。


小さいことかもしれないが
積もり積もって
毎晩、就寝前にサバトが行われる。


両親が自営業をしていたこともあり
若い時に反面教師でお勤めを選んでみたはいいものの

凄く合わない。
集団に属せない。
社長や上の者に媚を売ることも出来ないし
団結という名の下での大衆に組み込まれる事に嫌気がさす。

表面上は上手くいってる時もあるかもしれないんだけれども。


A型は几帳面という血液型占いを知った小4から
汚部屋から綺麗好きにするような私は
「こうあるべき」という思い込みが強く

〈普通になりたい〉

というあまりにも抽象的な偶像に対して
いつも振り回されていた。

働いたお金で税金や光熱費、奨学金を払えた時しか
〈普通の人〉として安堵する事はなく
常に何が普通なのかビクビクしてストレスにさらされていた。
あとは自暴自棄との行ったり来たり。。。

藍染を生業として生きるという建前は
他人から見たらきっと、かっこよく感じる人も少なくないのかもしれないが
逃げ続けた結果だ。

だからこそ
娘の通う先生方やコンビニの店員さん
介護をしている方、サラリーマンの夫
身近な就職している方達に対して
凄くリスペクトしている。

(コンビニで友達の娘さんがレジ打ちしてて「あ、すみません、、、はい。はい。ありがとうございます」ってなる。)

刹那的な日常の中で
確実に目に見える形で他者の役にたっており
私は何してんだ、、、
と、まぁ比べてしまうのだ。
結局、私がしている仕事は
あってもなくても世界はまわるものだから。

車の名義変更の時も
受付の方が
分かりやすく案内してくれて
細かい項目をちゃんとチェックしてくれて
なるべく早く手続きが完了するようにアテンドしてくれる。

家電製品を買いに行く時も
私のような素人にも分かりやすく、中立な立場で色んなメーカーを比較して在庫情報などと教えてくれる。

かくいう私はワークショップの時に相手の立場を考えることなく熱量、勢いで説明してしまう。

決められた時間に出勤して
退勤に関しては空気を読みながら、もしくは退勤時間に合わせて仕事量を調整しながら
会社という母体の中で勤め上げるのだ。
そこに人間関係が加わるなんて、、、
すごすぎではないだろうか。

ストレス耐性が弱い逃げ続けた私はというと
確定申告など経理的なことは
必死で行える。

だけど、やはり〈相手〉がいるような
メールでのやりとりなどは
すぐ電話をして

「申し訳ありません。わたくしメールでの対応が苦手でして、もしよろしければ画像添付など以外はお電話でお願いしてもいいですか?」

「すみません。この前いただいたメールの内容と私が把握していることが同じか情報整理一緒にしてもらっていいですか?」

と確認してすぐ電話しちゃう、、、。

先方からしたら
すごく面倒なやつだろうな。

苦手な事は苦手と伝えて
リスクは最初にドバババ!!と伝えて
意思疎通の方法やリスク回避を一緒に考えてもらえるようにする。

1人で仕事をしている私的な最大のメリットは
大衆心理が働かないところだと思う。
私の場合〈大衆〉になった瞬間から思考停止して正しい判断が出来なくなってしまうたちなので
そこらへんは安心して働ける。

自営業が自分の道を切り開き凄い!とか
なんとなくそういう空気を感じるけれど
(実際、お勤め時代思ってたし)

生きているだけで偉いを大前提に
私は単純に私に出来ない事をしている人は大尊敬。

色んな人がいるから社会が回るのだろう。

色んな働き方があって
そうやって社会が成り立っていて共通項はたくさんあるので
その中で、男性の育児休暇を求めたり
時給の高さを求めたり、雇用形態、環境にジャッジしていく事は、私のような雇われではない者も一緒になって行わなくてはならないと思う。

あっちの世界とこっちの世界ではなく
一つの世界で共存しているのだ。

自己啓発や
スピリチュアルの人が言う〈気付き〉〈次のステージ〉の先にあるもの社会のカーストの上位というわけではないし、そんなアウトプットするだけで責任を持つわけではない人の話なんて聞かなくて良いと思う。
もちろん独立や何か事業を起こす人もえらい。
専業主HUの人達もみんなえらい。
だって先ほど述べたように私の大前提は「生きているだけで偉い」ということだから。

それでもって生産を行なって
(料理、クラフト、コミュニティ、環境etc…)
暮らしの哲学が育まれていたら
それこそ美しいってもんだ。

幼き頃、当時は県内で有機農業のエキスパートだった両親を崇拝してしまっていた方々が子供の頃から受け付けなかった。
誰かを崇めても世界を変えてもらえないんだから
自分を崇めたら良いのではないのか。


緩やかな渓流にさえ流されそうな小さな感情を
せっせと救い出していきたい。
難題だらけだけどそれが私が私に出来る愛の奉仕だ。

あと、全然関係無いんだけど、
なんだか猛烈に気にくわない人とか
癪に触ったり、攻撃的な方で関与したく無い人などは
私にも、もちろん居て

(生きているだけで偉いけどこれとそれは別の話)

基本、耐えれないような理不尽な攻撃を受けた時点でストレス耐性の弱い私はブロックをしてしまうし
精神衛生を保つために
気に食わない方が「おすすめ」に出ないように
したりするんですよ。
そうやってこれ以上嫌いにならないようにしたり争いや、良くない感情が出てくるのを防いでる。

こんな小さな島なので
ばったり見かけたりしてるのですが
基本、熱帯魚が泳いでいるな。
と鑑賞目線でいるようにしたら
あら不思議!
負の感情が出てこない!

最初から綺麗事ばかり言ってしまっているので
最後くらいは私らしく。

ガックリさせてしまったらごめんなさい。


















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