成熟の童話
「神話と秘儀」に書いた文章を少し編集して転載します。
成熟の童話とは
童話というものは、基本的に子供が成人になる時の物語であり、「成人の童話」です。
ですが、「成熟の童話」と呼ぶべき物語があります。
それは、「大人の童話」ではなく、「大人を卒業する童話」なのですが、2つの意味、方向性を見ることができます。
1つは成人のアイデンティティーを卒業して中高年のアイデンティティーを獲得するもの。
もう1つは、世俗的人格を越えて宗教的・神秘主義的人格を獲得するものです。
この2つには年齢や探究の深さに差がありますが、基本的なテーマ、性質には大差がありません。
成熟の童話の目的は、成熟の神話同様、通常の社会的自我が抑圧してしまっている、無意識の深い創造性を獲得することに関係しています。
これは同時に、利己主義の克服と密接に結びついていますので、利他性や自我が無意識のために献身することも求められます。
神話ではこれは獲得した物を神に捧げるという形で現れました。
成熟の童話には、他にも、男性が女性性を、女性が男性性を獲得することで心の全体性を実現るテーマも現れます。
この場合、異性は成人の童話のような自我を補う潜在的人格ではなくて、完全に自我に統合された顕在的な人格になるのです。
成熟の童話の主人公は未婚の子供ではなくて、既婚者であったり、中高年者であったりします。
子供であっても、たいていは末弟で「でくの坊」と呼ばれるなど、象徴的に成人の社会的な価値観を否定しています。
物語の始まりは、主人公が健康で働き者であるにもかかわらず貧乏であったり、子供が生まれなかったりします。逆に裕福であるのに健康を損なっていることもあります。
あるいは王が健在であるのに、魔法がかけられて自然が不毛な状態にあったり、王女が略奪された状態であったりします。
つまり、これらは社会的な自我や価値観を獲得しているけれど、無意識的な創造性が欠如している状態を表しているのです。
主人公はまず、社会的な自我、価値観を否定しなければなりません。童話では、長年行ってきた仕事をやめてしまったり、猟師が魚を逃がしてしまったりするのです。
そして、これが利他的な行為に結びつきます。
つまり、自我の利益のために無意識を抑圧するのでなくて、無意識を解放するのです。
抑圧されている無意識は初めは攻撃的ですが、意識がそれを認めることによって創造的になります。
成人を求める主人公は積極的に何かを求めることが多いのに対して、成熟を求める主人公は利他的であることによって、もしくは受動的になりゆきにまかせることで、予期せずに何かを得てしまうのです。
成熟の童話の具体例
トルコの童話『幸運ときこり』では、きこりはいくら働いても貧乏なので仕事をやめてしまい、人に自分のラバを貸すと、そのラバが黄金を積んで戻ってきました。
韓国版の『浦島太郎』である『龍王と海』では、猟師が魚を逃がすことで魔法の升を得ました。
アラビアの童話『猟師と魔神』では、猟師は海から引き上げた瓶に閉じ込められていた悪神を、悪神が猟師に攻撃的であるにもかかわらず、憐れんで解放してあげることで、魚を得て、それを王に捧げます。
主人公は、凝り固まった自我によって抑圧されてしまった無意識的な創造力を取り戻すために、地底などに象徴される無意識の深みへとダイヴすることもあります。
グリム童話の『3羽の鳥の羽』では、でくの坊と呼ばれる末弟の王子が、地下にいるひき蛙から絨毯などの創造的な物を得て、地上でそれらを探した兄達に競り勝って王になります。この成人にふさわしい兄達との差異の部分で、でくの坊は成熟のプロセスを表しています。
アリアドネをギリシャに連れて帰れなかったテセウスのように、童話の主人公も利他的行為や地下から得たものは、そのまま簡単には自分のものにはなりません。
無意識の領域に降りて行って、無意識の創造性に一旦触れることはやさしいのですが、日常的な意識の状態にまでその創造性を持ち帰るためには、もうワンステップをクリアしなければいけないのです。
『龍王と海』では、猟師は魔法の升を川に落としてしまい、犬、猫、鼠の助けで魚の腹の中から升を取り戻します。
『猟師と魔神』では、王が得た魚は消えてしまいまい、魚に魔法をかけた魔女をやっつけてはじめて魚は人に変わります。
『3羽の鳥の羽』のある版では、でくの坊は美しい妻を得ますが地上に上がるとひき蛙になってしまい、彼女にキスをして一緒に水に潜ることで美女になります。
同じグリムの『黄金の鳥』では、キツネを助けた末弟のでくの坊が黄金の鳥、黄金の馬、そして黄金の城の女性を手に入れますが、兄達に井戸に突き落とされてそれらを奪われます。
兄達のもとでは黄金の宝は力を発揮しませんが、でくの坊が戻って宝を取り返します。
つまり、利己的な日常の意識のもとでは宝は力を失ってしまいますが、無意識との深いつながりを持つために、再度の無意識へのダイヴを行なうことで、宝は初めて力を発揮するのです。
あるいは、最初に得たものは無意識の創造性のきっかけになるようなもの、象徴であって、それを実際に働かせるためには、それに向かい合って無意識から力を得なければいけないのです。
パルティヴァルの聖杯探究
最後に童話ではありませんが、ヨーロッパ中世のアーサー王神話群の中の『パルティヴァルの聖杯探究』を紹介しましょう。
聖杯は十字架に張り付けられたキリストから流れる血を受け止めたものだと信じられていて、霊的な創造性を生む生命の水のような象徴的存在です。
聖杯探究の物語は、ペルシャの聖杯の神話やケルトの大釜の神話をリメイクしたものです。
聖杯探究の物語には、これまでに解説した様々なテーマが登場します。
主人公のでくの坊なパルツィヴァルが、立派な騎士を殺してしまう(父の不在)ことで騎士道に入り、悪い騎士をやっつけて(龍退治)女王と結婚します(花嫁の獲得)。
パルティヴァルは2人目の子が生まれる前に、久しぶりに母に会うために城を出ます。
母はすでに死んでいますが、彼は知りません(無意識の創造性の死)。
途中でパルツィヴァルは魔法にかけられた聖杯城にいる男根に傷を負った聖杯王(不毛、不健康)に会いますが、彼を助ける言葉をかけることができず(利己性克服の失敗)、剣を受け取って(無意識の制限)立ち去ってしまい、5年かけて再度、聖杯王を探します。
パルツィヴァルが異教徒の騎士と対決した時に、その剣が折れますが、敵は剣を持たぬパルツィヴァルを助けます。
その騎士は義兄弟であることが分かって仲良くなります(無意識の解放)。
すると、2人は聖杯城から招待されます。
パルツィヴァルはとうとう聖杯王に「どうなさいました」と声をかけます(利己性の克服)。
聖杯王はすぐに傷が回復し、パルツィヴァル自身が聖杯王になります。
そして、パルティヴァルの妻が2人目の子(深い創造性)を連れてやってきます。
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