2. ヨルバ、フォン、アシャンテ族の宗教

2001年に書いた「アフリカン・アメリカンの宗教と音楽」の第2回目です。


次にヨルバ族を中心に、新大陸に連れられてきた部族の宗教について書こう。

ヨルバ族は11Cに最初の王国イフェ王国を建国し、これは19Cまで続いた。

ヨルバの宗教「ジュジュ」は、単なる祖霊信仰ではなく体系立った神々(オリシャ)のパンテオンを持ち、それに対応した社会体制を形成してきた。

アフリカの部族の中でパンテオンを持つ部族は少なく、ヨルバとその影響を受けたフォン族など、王国を築いた部族の中でもごく一部のだけだ。

ヨルバの神話では、まず最初に「至高神オロルン(オロドゥマレ)」と「原初の水(海)オロクン(オニル)」がいた。オロルンは祭祀の対象でない特別な男性の最高神で、世界の創造を指揮する神だ。

「原初の水(海)」という神格は、エジプト、メソポタミアをはじめ世界各地の神話にも登場する。このように大地創造以前の存在から始めるところにもヨルバの神話の精密さが現われている。

次に、その原初の2神から「造物神オバタラ」と「大地創造神オドゥドゥア」が生まれる。

オバタラは天神でオドゥドゥアの兄にあたり、オロルンから大地の創造を命じられるが、途中で酔っぱらってしまう。

そのため、地神的側面を持つ弟のオドゥドゥアが大地を創造し、イフェの初代の王になる。しかし、人間を制作したのは兄のオバタラだ。

オロルンがこれに息を吹きかけて生命力を与えた。

さらにこの2神から「乾いた大地神アガンジュ」と「湿った大地神(水の女神)イエマジャ」が生まれる。

次に、イエマジャと彼女の息子の「オルンガン」の交わりから16大神が生まれる。

16大神は、「雷神シャンゴ」、「鉄・戦争神オグン」、川女神の「オヤ」、「オシュン」、「オバ」などだ。

シャンゴは最初は人間の暴君だった。

オグンはオドゥドゥアの息子で、鉄の斧で最初に大地の森を切り開いて神々を導いた。

3人の川女神はいずれもシャンゴの妻で、オヤは最初の妻、オシュンはオグンから奪った最愛の妻で、子受け・多産の女神、オバは愛される妻で、オシュンに騙されて片耳を失った。

ヨルバでは「4」が聖数で、4×4の「16」も聖数だ。

この16大神はヨルバ文化の基本的な象徴体系をなしている。

世界各地で象徴体系はパンテオン・曼陀羅であると同時に、暦や方位の体系でもあり、さらには社会生活の様々な体系の基礎にもなっている。

ヨルバでも4神は方位神であって(北=オバタラ、南=オドゥドゥア、東=シャンゴ、西=イファ)、4日からなる1週間の曜日神(1日目=、2日目=オグン、3日目=シャンゴ、4日目=オバタラ)でもある。

また、16大神は一種のトーテムで、ヨルバの諸氏族はこの中のいずれかの神を先祖としていて、それぞれの村も特定の神を守護神にしている。

ちなみに、「4」は他のほとんどアフリカの部族でも聖数で、フォン族では「16」でなく「14」が聖数だ。

至高神オロルンを別として、それ以外のそれぞれの神々には神殿や信者団体があって、供犠の儀式などを司る司祭と、さらにその上位の占師がいる。

占師は神の言葉を伝えるための高度な知識と技術を持った神聖な役職だ。

16大神は易のような象徴体系を形作っていて、椰子の実、あるいは子安貝を使う占いでは16×16の象徴的事項が表現される。

最初の触れたハウス・プロデューサーOSUNLADEが手掛けるレ-ベルYORUBA RECORDSのレコードのラベルの部分には、16神を示す絵が描かれた占い盤と、占いに使う16個の貝の写真が使われている。

占師は一般に知られている神話とは別の秘密の神話、より高度に形而上学的な象徴性を持つ神話を伝承している。

これは多くの部族に言えることで、核心的な神話は、それを教えられるに相当する段階の智恵を体現した人物以外には明かされない。

また、占師達は単なる憑霊以上の瞑想的な精神技術も持っていたかもしれない。

16大神以外で重要なのは、「神託神イファ(オルンミラ)」と「道化・仲介神エシュ」だ。

イファは至高神の息子で、秩序に従って創造を行なった。また、呪医でもあって、人間に様々なものをもたらした文化英雄的な神でもある。

一方エシュは神と人間の仲介役で、すべての祭儀の最初に供犠を与えられる。時には神の怒りの姿を現し、道化神(トリックスター)的な神であもある。

仲介神としての部分のエシュは、インドや密教のアグニ(火天)のような存在だ。

ヨルバの神々は、世界の多くの宗教の神々と同じく、自然や人間の精神の背後で働いている直接的で抽象的な力・運動・形成力を、直観的・直感的に捉えて人格化したものだ。

だから、特定の神々は特定のリズム、色、象徴物などに現れれるし、逆にそれによって表すことができるわけだ。

神々が憑霊した時、人はその神に特有は力を直接に体験することができるし、その体験を通じて、人格を豊かなものにしていくことができる。

憑霊の体験は音楽やダンスといった直接的な感性的体験を伴うものだが、逆に言えば、憑霊はなくても音楽やダンスによってその神=力を体験することもできる。

音楽やダンスによって特別な力を感じることは誰もが、普段から体験していることだ。

ただ、宗教や神秘主義的な思想はそれを精密な体系と方法論によって行っているのだ。

ヨルバの宗教の形而上学的な側面を他民族との比較で書いてみよう。

まず、アフリカの多くの部族の宗教と共通する部分だ。人間は至高神に由来する「生命力(息、霊)」、祖霊に由来する「魂」、両親と大地に由来する「肉体」の3つからなる。

これはプラトン主義に代表されるオリエント/ギリシャの古典神学=神秘主義思想と同じだ。

西洋の思想史ではキリスト教が霊を否定して2元論化し、これと共に神秘主義思想を否定した。

また、ヨルバの原初の神の「至高男神」と「水の女神」に見られる構造は世界的に多くあって、アリストテレスによって形相/質料と哲学化される構造と同じだ。

祖霊に由来する「魂」は人間的な秩序維持原理なのに対して、人間の秩序の維持に必ずしも協力しない至高神に由来する「生命力/霊」は秩序を与える秩序創造的な原理だ。

しかし、至高神は儀礼の対象でなく、あまり人間と関係しない「暇な神」、「離れた神」と呼ばれる範疇に属する。だから、人間の中の創造原理は潜在化したものに留まっているわけだ。

次にヨルバに固有な特徴は、エシュという「道化神」、「仲介神」は重視されるが、人間と神の中間に当たる半神の「最初の人間」、人間に文化と死を伝える半神の「文化英雄」といった他の部族で活躍する神格があまり重視されない点だ。

これはそれらの神格に集約されのは、秩序=反秩序という矛盾的一体性、秩序を作りつつ破壊する「両義的な力」だ。

ヨルバの文化はそれを嫌っているのかもしれない。

しかし、ヨルバでは妖術師は常に女性で、彼女を宇宙的な豊穣力「アシェー」を体現する者として「我らが母」と呼ぶ。

そして、彼女達はその豊穣力によって共同体を利すると共に、その破壊的な力で害するのだと考える。

つまり、ヨルバの文化では「両義的な力」は神話的存在ではなく、現実の人間の女性の中に見られているのだ。

ちなみに、他の部族の神話の特徴も少し紹介しよう。

ハイチのブードゥー(ブドゥ)教のベースになったフォン族の神話は、ヨルバのものに似ている。

神々はオリシャではなく「ブドゥ(ン)」と呼ばれる。生命力の根源である「天の女神マウ」が最初の創造として素材を作り、その半身で智恵の根源である「天の男神リサ」が第2の創造としての形作りを行なう。

原初神が天父神/大母神でなく、両性的な天神である点がフォン族の宗教の特徴だ。

また、マウ=リサはヨルバ同様に天地創造以前の神格であって、さらにマウ=リサ以前にも「ナナ・ブルク」という原初の神格がある。

この原初神の執拗な追求もフォン族の宗教の特徴だ。

そして、「鉄神グー」は文化英雄的側面を持ち、豊穣の「雷神ヘヴィオソ」と双児だ。

つまり、文化と自然のカップルが穀物の生産を生み出すわけだ。

フォン族の神話で最も重要な存在は、至高神にさからったもう一人の「文化英雄神レグバ」かもしれない。

レグバに象徴される「両義的な力」を重視することもフォン族の宗教の特徴だ。

アシャンティ族の神話で最も重要な「蜘蛛のアセンナ」は文化英雄で最初の王、そして道化神、仲介神でもある。一方、バントゥー系諸族でも最初の人間や文化英雄が活躍する。

とっておきのヨルバの音楽が聴きたければ、日本のキングからリリースされているワールド・ミュージック・ライブラリー・シリーズの、ツインズ・セブン・セブンの『疾走のナイジェリアン・ビート』がいいだろう。ここでは、パーカッションとヴォーカルだけの伝統的なスタイルで、神々への賛歌、神々の語り合いとしてのヨルバの音楽が聴ける。


<ミュージシャン>

現在のナイジェリアのヨルバ族には有名なストリート系ミュージシャンが何名かいる。

まず、アメリカに移住して活躍し、ダンス・クラシック“Jin-Go-Lo-Ba”でも知られるOLATUNJIだ。
彼は“Jin-Go-Lo-Ba”も収録した傑作アルバム『Drums Of Passion』(COLUMBIA)の中で雷神シャンゴの讃歌を演奏している。

次に、その名もジュジュ・ミュージックを演奏するKING SUNNY ADE。
彼は70年代の『Ogun』という鉄神オグン讃歌を収録したアルバムをリリースしている。

そして、アフロ・ビートの生みの親で、クラブ・ミュージックにも絶大な影響力を与えたFELA KUTI。
彼は政治的なメッセージを前面に出していたので、直接ヨルバ宗教を扱った曲はないかもしれないが、晩年はヨルバの宗教に傾倒していたそうだ。
彼の故郷アベオクタには信仰の対象となっている岩山があり、その裏手のほこらには名前の分からない赤い顔をしたヨルバの神が祀られている。


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