BABYMETALの宗教性
BABYMETAL(以下、BM)が表現している宗教性(宗教じゃなく)、その「死」と「創造(復活)」と「性」について、書きます。
メタルという音楽は、そしてBMのライブは、とても祝祭的なものなので、宗教性とは無縁ではありえないと思います。
と言っても、BMの公式に語られている設定や歌詞、パフォーマンスについてではなく、ヴィジュアルな象徴を通して表現されている部分についてです。
BMのフォックス・ゴッドとブラック・メタルの悪魔主義、ペイガン・メタルの異教主義などとの関係や、BMを見て無意識に感じてしまう、ヨーロッパや日本の伝統的な宗教的背景、BM的な女神について書きます。
多分、誰もこんなこと書かないと思いますので。
でも、私は決してBMにも、メタルにも詳しいわけではありませんので、いろいろ、不正確な点もあるかもしれません。
長くて、とても抽象的で難解な文章になりますが、興味のある方は気軽に読んでください。
Death & Baby
BMには、登場曲の「Babymetal Death」にも明らかなように、メタル流の「死」がコンセプトにあります。
メタル、デス・メタルの「死」は、一般的に、既存の社会的な価値観の「否定」、「破壊」、そして、それを導き、それに導かれる「激情」を意味するのでしょう。
BMの場合は、これにプラスして、新しいメタルの「創造」=「Baby」というコンセプトがあります。
「死」に対する「創造」、「復活」であって、その象徴に一番相応しいのは、「少女」=「Baby」でしょう。
「大人」や「男性」が行うマッチョ・メタルの「破壊」に対して、そこに欠けがちな「創造」を「少女」であるBMが象徴するのです。
非社会的な「少女」こそが、限定のない根源的な次元の「創造力」の象徴です。
ちなみに、BMの「フォックス・ゴッド」には、日本のメタル・ゴッドであり、BMを召喚し、戦わせているという以外、具体的な設定はほとんどありません。
それに、もともと、BMのメンバーが「メロイック・サイン」を影絵の狐の形と間違えたことから生まれたものにすぎません。
でも、その設定を採用し、狐面を「メギツネ」などで多用したことで、非公式ながらも、日本の伝統的な「狐神(霊狐、天狐、白狐)信仰」、「稲荷信仰」を、無意識のレベルで表現し、感じさせることになりました。
「稲荷神」は農業神であって、「霊狐」がその使いなのは、害獣のネズミを食べてくれるからだと言われます。
農業神の「豊穣」という性質は、BMの「創造」の側面とマッチします。
ここまでは、BMファンに共有されているのではないかと思える、分かりやすい話です。
悪魔主義と異教主義
メタルの「死」のコンセプトには、宗教的、思想的背景を持つものもあります。
デス・メタルやブラック・メタルなどの「悪魔主義(アンチキリスト)」や、ペイガン・メタル、バイキング・メタルなどの「異教主義(ペイガニズム)」などです。
この「悪魔主義」と「異教主義」は、意識して区別されないことも多いですが、全然、異なる宗教思想です。
それによって、例えば「メロイック・サイン」の解釈も変わってきます。
「悪魔主義」は、キリスト教の「ネガ」であって、キリスト教と同じ枠組で、それを反転させたものです。
キリスト教は、自然の季節循環と共にある「死と復活」、「豊穣」から離れてしまい、その結果、大地的・女性的・無意識的な「創造力」を否定してしまった、欠落のある宗教です。
伝統的な宗教・神話の世界観を理解できず、それらを世俗化した感情に矮小化して捉えた上で、それを否定しました。
だから、「悪魔主義」は、キリスト教が異教の神や価値観を矮小化して否定したものを、矮小化したままで、逆にそれを、崇拝し、肯定するものです。
そこにあるのは、単純に言えば、「破壊」や矮小化された力のみです。
悪魔を信仰しようがしまいが、その結果は「利己主義」や「快楽主義」であって、本来の伝統宗教が表現していた無意識的な「創造性」ではありません。
これに対して、「異教主義」は、キリスト教以前の神話的宗教の伝統を重視するものです。
だから、伝統的な宗教が持つ本来の「豊穣」の思想があります。
異教主義における「死」は、ただの否定ではなくて、「復活」と一体の「死」であり、無意識的な想像力であって、「豊穣」の基盤です。
バフォメットと有角神
メタルやロックの象徴でもある「メロイック・サイン(コルナ)」は、本来、「角」の形を模したものです。
「メロイック・サイン」が表しているのは、「悪魔主義」の文脈では、「バフォメット」などの悪魔が持つ山羊の角であって、それは単に「破壊」的な、あるいは、限定された力の象徴です。
一方、「異教主義」の文脈では、「有角神」の角であり、それは「豊穣」の象徴です。
有角神は、有名なところでは、ケルト神話の鹿神「ケルヌンノス」、牧神「パン」、山羊と関係が深いゲルマン神話の雷神「トール」などです。
有角神は、冬に角を落として「死」んで冥界行き、春に動・植物たちと一緒に「復活」するような、季節循環と関係した豊穣の男性神です。
狐神信仰とアヌビス神
では、BMの「フォックス・ゴッド」の背景にある日本の「狐神(霊狐)信仰」はどうでしょう。
先に書いたように、霊狐を稲荷神の使いであり、農業神・豊穣神とする、一般的な理解は、間違いではありませんが、表面的なものです。
「稲荷信仰」は、伏見稲荷に始まるもので、稲荷山の祖神と、農業神(宇迦之御魂)、狐神の信仰が結びついたものです。
狐は、山の動物であり、周期的に冬(自然の死の季節)に現れる動物です。
そして、墓を徘徊する動物でした。
墓を守ると見られる一方、死体を食べる動物です。
例えば、「狐塚古墳」と呼ばれる古墳が各地にあります。
伏見の稲荷山も、もともと、古墳の山でした。
つまり、狐神は、「死」と「復活」の動物神なのです。
また、古来、古墳の内壁などには「赤(朱)色」が多く使われました。
「稲荷信仰」でも「赤」が多用されますが、その本当の意味は、「復活の呪力」の色でしょう。
BMの「黒」の意味が「死」なら、「赤」の意味は「復活」なのです。
また、「赤」は稲荷にある鉄分を含んだ赤土の色であって、つまり、「メタル」の色です。
ちなみに、エジプトやインドでは、墓や死に関わる神は、「狐神」ではなく、「ジャッカルの神」でした。
エジプトの場合、ミイラ作りの神「アヌビス」です。
BMは、昨年の横アリのステージに、巨大なアヌビス風の「フォックス・ゴッド」を登場させました。
つまり、運営は、「アヌビス」=「狐神」=「死と復活」の神を、ちゃんと理解してるのでしょう。
ですから、BMのフォックス・ゴッドは、「死と復活」、「豊穣」の男性動物神という次元を潜在的に持つ点で、メタルの深層としての「異教主義」の有角神と、ほぼ同じ神格です。
BMには、「悪魔主義」的な表現もありますが、「フォックス・ゴッド」、「稲荷信仰」の部分は「異教主義」、ペイガン・メタルの日本ヴァージョンです。
聖母とメタルの女神
でも、BMは女性であり、「女性性」を重視する点では、マッチョなペイガン・メタルに収まりません。
「FOXY」には「魅力的な女性」という意味があるように、「狐」はヨーロッパでは、女性的な存在です。
だから、BMには、有角獣よりも「狐」がふさわしいのです。
では、BMに重ねられるにふさわしい女神はどのようなものでしょうか?
BMは、2013年12月に行ったライブ「LEGEND"1997" SU-METAL聖誕祭」で、ステージ上に大きな「マリア像」を設置しました。
そして、ライブの最後に、それを破壊しました。
キリストになぞらえて、ヘドバンのコルセットをつけたメタル・クイーンSU-METALの「死と復活」と共に。
これは、メタリカを元ネタにしたメタル的な演出でしたし、「アンチ・キリスト」を「マリア」に置き換えたものだったのかもしれませんが、私は、大地とのつながりを失ったキリスト教的な聖母像を否定したのだと思っています。
そして、たとえ明示されなかったとしても、マリアの代わりに「メタルの女神」=「フォックス・ゴッデス」が現れたのでしょう。
それは、「異教主義」や「稲荷信仰」の、大地的な「死と創造」の女神に他ならないハズです。
具体的にはどんな女神でしょうか?
ヨーロッパの豊穣女神
欧米では、「稲荷信仰」は理解できないので、BMは無意識に「異教主義」をベースにして、理解されるハズです。
オリエント・ヨーロッパの古くからの伝統では、有角神の妻である「豊穣の女神」がいます。
有名なところでは、南欧の月神であり狩猟の処女神である「ディアーナ」であり、やはり狩猟の処女神の「アルテミス」、バイキング・メタルのバックボーンでもある北欧・ゲルマン神話の「フレイヤ」などです。
フレイヤは、「戦い」の女神でもあって、「猫」(狐と象徴的に近い存在)をお供にする点で、BMにぴったりです。
有角神の妻に限らずとも、季節循環に関わる「死と復活」の豊穣の女神がいます。
彼女たちは、「死」よりも、男性神を「復活」させる「創造力」を担います。
豊穣の女神は、たいてい、性的にも奔放という性格を持ちますが、この点はBMに当てはまりません。
BMは、豊穣女神の「娘」、あるいは、「少女の姿」でしょう。
いわゆる「魔女(ウィッチ)」は、こういった豊穣神に仕えていた女シャーマン、女司祭です。
中世のキリスト教に弾圧されたウィッチクラフト(魔女宗)は、実は伝統的な宗教なのですが、キリスト教が勝手に「悪魔主義」とみなして矮小化したものです。
魔女は「猫」と関係が深く、これらは象徴的には「狐」と交換可能です。
「ウィッチ」というのは、本来「賢者」という意味ですが、「狐」にも「(ずる)賢い」という意味があります。
BMは、異教主義の司祭としての「魔女」のイメージとも重なります。
ところで、SU-METALは「八重歯」がカワイイですが、そう思うのは日本人だけで、世界的には、野獣や吸血鬼を連想させるマイナス・イメージなものです。
でも、フォックス・ゴッドに召喚された存在にふさわしいでしょう。
荼枳尼天と三比売神
インドでは、ジャッカルの神は、女神の「ダーキニー(荼枳尼天)」と結びついていました。
そのため、日本では、霊狐が荼枳尼天の眷属とされ、稲荷神と荼枳尼天が、同体と考えられるようになりました。
荼枳尼天は、本来、死体を喰う鬼女であり、同時に、性愛の女神で、自ら性的な儀礼を行って力を与える聖娼でもあります。
つまり、「死」と「性」の女神です。
「死」と一体の非日常的な「性」が象徴する「創造力」を司る女神なのです。
インドのダーキニーは本来は「老婆」の姿でしたが、豊川稲荷などの荼吉尼天は「母神」です。
「メギツネ」であるBMは、当然、ダーキニー、荼枳尼天の化身ですが、その「少女の姿」です。
BMは、「三つ巴」としても表現されます。
BMは、稲荷神と同体の、狐を眷属とする「死と性」の女神、荼枳尼天の化身だと書きました。
「稲荷信仰」は、本来は、秦氏の宗教です。
一方、「三つ巴」を広げた宇佐の「八幡信仰」も秦氏の宗教です。
だから、「稲荷信仰」と「八幡信仰」は一体です。
宇佐八幡は「軍神」であり、「鍛冶の神」、つまり「メタル」の神でもあります。
ですから、メタルの戦闘少女BMにふさわしいものです。
宇佐八幡の本来の神は比売神で、これは、宗像の比売神と同体という説もあります。
宗像の比売神は「三女神」であり、「航海の導き」となるオリオンの「三ツ星」であり、これが「三つ巴」の起源という説があります。
BMは「三女神」であって、新しい世界への「航海神」、「導きの女神」です。
つまり、BM=宗像三女神(航海の神)=八幡神(軍神・鍛冶神)=稲荷の荼枳尼天(死と復活の神)であって、古い世界と戦い、死と復活を経て、新しい世界に導くメタルの女神です。
甲冑とフレアスカート
BMが「死と復活」を表現する女神の化身、その「少女の姿」であるのなら、特別な「エロス」を表現しなければいけません。
普通の女性の「性」は、日常的に限定された創造力でしかないし、その原型である「豊穣」の女神の「エロス」は母神のものですから。
例えば、BMの衣装の「赤いフレアスカート」の部分は、KAWAIIアイドルとしての、日常的な女性の「性」の表現です。
でも、BMの衣装には、甲冑を模した「戦闘服」という側面があります。
その点では、BMは、甲冑を着て戦う処女神アテナのようです。
BMは、「レジスタンス」というコンセプトがあるように、「戦闘少女」です。
「少女」が象徴する「根源的な創造」を行うために、普通の「社会的」、「日常的」な障害と戦う必要があるのです。
戦闘服は禁欲的で、日常的な「性」は否定されます。
でも、「死」を意識させるので、とてもエロティックです。
つまり、BMの衣装は、日常的な「性」と共に、「死」と一体であるような非日常的な次元の「エロス」も表現しています。
最近、BMの運営は、BMが普通の意味で性的対象として見られることを、一層、避けるようになりました。
今年のワールドツアーから、衣装のスカートを赤から黒に変え、素足を見せないタイツにしました。
そして、ライブで撮影できるカメラマンを制限しました。
ダンスの華やかさが失われ、メディアの露出が減ってしまうのに。
海外で、ロリコン、ペドフィリアというバッシングを受けることを避けようとしたのでしょう。
でも、そういう理由だったとしても、結果として、BMが表現するエロスは、より非日常的なものになったと思います。
以上です。
メタルの新しい創造を担う少女グループであるBMは、「死と復活」、そして、それと一体の非日常の根源的な「エロス」という、普遍的な宗教性を表現する存在だと思います。
その意味で、袋小路に入っていたメタルの進化形なのかもしれません。
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