チベット医学とは
「チベット医学」について簡単に紹介します。
具体的な事項を中心にした教科者的な紹介ではなく、「チベット医学」とはどのようなものであるかについて、いくつかの側面から紹介するものです。
一言でいれば、「チベット医学」は、「アーユルヴェーダ」を中心にした複数の伝統医学を仏教思想で統合した独自のホリスティックな医学です。
チベット医学は、身体的なレベルでは、北インドの「アーユルヴェーダ」をベースとして、そこに「中国医学」、ペルシャの「ユナニ医学」の影響を取り入れています。
また、微細な身体のレベルでは、南インドの「シッダ医学」とも共通する「タントラ医学」の側面も持っています。
そして、それらを精神的、思想的なレベルから統合するのが「仏教医学」です。
チベット医学と諸医学
「西洋近現代医学」以外の医学は「伝統医学」と総称されます。
代表的なものとしては、北インドの「アーユルヴェーダ」、「中国医学」、ペルシャ、イスラムの「ユナニ医学」があります。
「ユナニ」医学は、もとを辿れば、ヒポクラテスなどの「古代ギリシャ医学」です。
チベットでは、7Cに吐蕃王国のソンツェン・ガンポ王が、仏教とともに医学の普及に務めました。
王は、インド、ペルシャ、中国、モンゴル、ネパールの医学者を集めた国際会議も開催しました。
また、ペルシャの医聖のレースが王の侍医になり、学生に教育もしたと伝えられています。
そのため、「チベット医学」は、各国の伝統医学の影響を取り入れた「仏教医学」となりました。
「伝統医学」の特徴は、毒を持って毒を制する「西洋近現代医学」と違って、諸要素のバランスを重視することでしょう。
「アーユルヴェーダ」、「チベット医学」で言えば、三体液(トリ・ドーシャ)のバランスであり、「古代ギリシャ医学」、「ユナニ医学」は四体液の、中国医学は陰陽のバランスです。
仏教医学
一方、仏教では、古くから仏の説法を、医師が薬によって病を治すことに喩えてきました。
それとは逆に、「仏教医学」では、無明や煩悩という精神的な問題が、すべての病の根源的な原因であると考えます。
ですから、無明や煩悩をなくすことが根本治療になります。
そして、「仏教医学」は、煩悩の種類である「三毒」と「三体液」を結びつけます。
特定の煩悩が、特定の体液のバランスを崩すのです。
(三毒) (インド) (チベット)
・欲望(貪):ヴァーユ:ルン(風)
・怒り(瞋):ピッタ :ティーパ(胆汁)
・無知(癡):カパ :ベーケン(粘液)
また、仏教各派の思想と医学を対応させると、「部派仏教」は止観の瞑想によって三毒を遠ざけることで病を治療します。
「大乗仏教」は空性の智恵と慈悲の心、仏・菩薩への帰依による浄化を薬とすることで治療します。
「密教」は二元性を超えた微細なエネルギーを利用することで治療します。
タントラ医学
後期密教、タントラでは、人間を3つの次元で考えます。
身体については、「極微な身体/微細な身体/粗大な身体(肉体)」の3つで考えます。
仏の身体では「法身/報身/応身」になります。
後期密教には、プラーナ(ヴァーユ、ルン)、チャクラ、ナーディ(ツァ)、ビンドゥ(ティクレ)といった微細なレベルの霊的身体論をあり、チベット医学はこれらを重視します。
例えば、チベット医学では、中国医学の鍼灸的治療と似た治療を行いますが、中国の経絡・経穴とは異なる、後期密教の霊的生理学に基づいて行われます。
3つのレベルの身体と医学を対応させると、「仏教医学/タントラ医学/アーユルヴェーダ」となります。
・極微身:仏教医学
・微細身:タントラ医学
・粗大身:アーユルヴェーダ
3つの根の樹
「仏教医学」の根本経典は「四部医典」で、紀元前400年頃にインドで書かれたと推測されています。
チベット医学は、「身体の根の樹」、「診断の根の樹」、「治療の根の樹」と呼ばれる、3つの樹として体系化がなされています。
それぞれの樹の「根」からは「幹」が分かれ、さらに「枝」や「花」、「果」に分かれ、さらにいくつからの「葉」などに分かれます。
その項目だけ書けば以下のようになります。
●身体の根
・健康な身体の幹
<体液の枝、身体の構成要素の枝、排泄物の枝、2つの花、三つの果
・不健康な身体の幹
<主因の枝、補助因の枝、侵入口の枝、部位の枝、経路の枝、年齢・地域・時あるいは発生の時期の枝、致命的な果の枝、副作用の枝、まとめの枝
●診断の根
・目診の幹
<舌身の枝、尿診の枝
・触診の幹
<ルン脈の枝、ティーパ脈の枝、ベーケン脈の枝
・問診の幹
<ルン病の枝、ティーパ病の枝、ベーケン病の枝
●治療の根
・食物の幹
<ルン病の食物の枝、ルン病の飲料の枝、ティーパ病の食物の枝、ティーパ病の飲料の枝、ベーケン病の食物の枝、ベーケン病の飲料の枝
・生活態度の幹
<ルン病の枝、ティーパ病の枝、ベーケン病の枝
・薬の幹
<ルン病の薬の味の枝、ルン病の薬の効力の枝、ティーパ病の薬の味の枝、ティーパ病の薬の効力の枝、ベーケン病の薬の味の枝、ベーケン病の薬の効力の枝、ルン病を鎮める薬湯の枝、ルン病を鎮める薬バターの枝、ティーパ病を鎮める下剤の枝、ティーパ病を鎮める戦時薬の枝、ティーパ病を鎮める粉薬の枝、ベーケン病を鎮める丸薬の枝、ベーケン病を鎮める粉薬の枝、ルン病のかん腸の枝、ティーパ病を鎮める下剤の枝、ベーケン病を鎮める吐薬の枝
・外的治療法の幹
<ルン病の枝、ティーパ病の枝、ベーケン病の枝
三体液説
チベット医学では、三体液のバランスがとれている状態が健康であると考えます。
ルン、ティーパ、ペーケンは、それぞれ5種に分けます。
三体液と元素、機能の対応は次の通りです。
(体液) (元素) (機能)
・ルン :風 :呼吸器系、筋肉、排泄
・ティーパ:火 :消化、代謝、思考、視覚
・ベーケン:地水:合成と分解、分泌物、リンパ系、関節運動
これらの体液のバランスの乱れが、病気の「直接的」な「主因」とされます。
そして、季節、食生活、生活態度、鬼神の4つが「補助因」とされます。
病気は三体液のどれの乱れに対応するかで、ルン病、ティーパ病、ペーケン病に分類されます。
三体液は、以下のような原因で増悪し、それぞれに症状が出ます。
(体液) (原因) (症状)
・ルン :冷 :不安定なる
・ティーパ:熱 :熱を持つ
・ベーケン:湿り:閉塞と妨害が生じる
体液は、特定の時刻、季節、人生の時期とも関係します。
例えば、それぞれの体液が蓄積される時期は、ルンが初夏、ティーパが晩夏、ベーケンが晩冬です。
これらは占星学によっても理論化されていて、「カーラチャクラ・タントラ」の影響があります。
脈診
チベット医学の診断では、脈診を重視し、それを細かく発展させました。
まず、脈診を受ける患者は、前日から食事や行動に乱れのないように注意しなければいけません。
脈診は、患者の腕と左右反対の手で診ますが、この時、人差し指、中指、薬指の3本を揃えて置いて診ます。
この時、左右の手のそれぞれの指の左側・右側で、合計12種の対象(臓器)を診ます。
例えば、医者の左手の人差し指右側では男性の肺、女性の心臓を診る,といった具合です。
3指を使って類似した脈診を行う点では、アーユルヴェーダ、中国医学も同じです。
ちなみに、アーユルヴェーダでは3指が三体液に対応します。
三体液に由来する病がどのように脈に現れるかは、以下のようになります。
・ルン病 :軽く押すだけでつぶれる、脈が飛ぶなど落ち着きがない
・ティーパ病:早く、筋張って、充満しており、ぴんと這っている
・ベーケン病:粘液:弱く、ゆっくりしており、簡単につぶれる
また、「体質脈」といって、人によって男性脈、女性脈、菩薩(中性)脈の3種の脈があります。
そして、「季節脈」といって、季節によって7種類の脈があります。
また、「代理脈」という驚くべき診断法があります。
これは、患者が医師のもとに行けない場合は(高山地域のチベットでは患者は医者のもとに行けないことがしばしばありました)、患者の家族の脈を診て診断するのです。
病気は家族にも影響を与え、それが脈に現れると考えているからです。
治療法
主要な治療法として、食や生活態度の矯正があります。
例えば、三体液の分類の「ルン病」の場合、食事は馬肉など、飲料はミルクなど、生活は暖かい場所が良い、といった具合です。
他の治療法には、各種の薬や、マッサージ、お灸などの外的治療法があります。
チベットは高地にあるので、仏教伝来以前から薬草の国として知られていました。
薬草の数は、漢方よりも多いのです。
また、チベット医学では、水銀を含む貴丸薬(錬金薬)が、万能薬、滋養薬として重視されます。
水銀と聞くと危険だと感じるかもしれませんが、ダライ・ラマも含めて、普通に服用しています。
ちなみに、水銀や硫黄は「シッダ医学」はもちろん、「アーユルヴェーダ」でも使われます。
霊薬(法薬・成就薬)はタントラ儀礼(ヨガ)とともに作られます。
心滴(ティクレ)を融解する高度なヨガが必要な場合もあります。
霊薬は、普通の正薬と違って、前世のカルマが原因として生まれた病気にも効力があるとされます。
薬作りの作業は、常に瞑想やマントラを伴って行います。
治療の際にも、医師が自身を仏と観想しながら行うこともあります。
光線を放つ治療もその一つです。
また、マントラも治療法であり、これは特定の脈管の結び目に刺激を与えることで治療を行います。
精神医学・心霊医学
チベット医学には、精神医学の分野もあります。
精神的病気は、身体的な病気と同様に、三体液説によって診断・治療されることもあれば、仏教医学としての三毒などの心理的要因の観点から診断・治療されることもあります。
また、悪霊の憑依によって説明される場合もあります。
悪霊を原因と考えることは「アーユルヴェーダ」にもあります。
ですが、この場合の治療は、必ずしも調伏儀礼によるわけではなく、他の病と同様の方法によっても行われることもあります。
そもそも、チベットでは、「悪魔」という言葉は、煩悩に関わる無意識的な働きを指すという側面があります。
無明によって概念を実体と考えることが「悪魔」が生まれる根本原因です。
悪霊は、次のように3分類されます。
「上方から来る魔」は、惑星霊であり、五元素にも対応し、癲癇や急性麻痺などを引き起こします。
治療法としては主に、マントラや瞑想を含む調伏が行われます。
「中間から来る魔」は、4カーストと性別によって細かく分類されますが、この治療はマントラによって治癒力を与えられた「マントラ丸薬」を主に使います。
「下方から来る魔」は、ナーガの類で、ハンセン病などを引き起こします。
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