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神秘主義的思想の宇宙論における創造・進化・帰還

「神秘主義思想史」に書いた記事を少し編集して転載します。


神秘主義的な思想は、宇宙の「創造」と「進化」、原初の神的存在への「帰一」を、様々な宇宙論的時間(宇宙の始まりから終わりまで)モデルとして語ってきました。

このプロセスは、「下降」と「上昇」、あるいは、「流出」と「帰還」、「内化」と「進化」など、様々な表現で語られてきました。

また、このプロセスは、一回限りとされる場合もあれば、周期的に繰り返す場合もあり、また、入れ子状の構造になっている場合もあります。

そして、このプロセスは、「質料(素材)」と「形相(形態)」という観点から語られる場合もあれば、「意識原理」と「物質原理」という観点からの場合、あるいは、両者を統合した3つの観点から語られる場合もあります。


オリエント、ギリシャ、インド


ゾロアスター教にも見られるように、イラン系宗教の救済神話の宇宙論的時間は、善神が悪神を滅ぼす「直線的」な大時間と、その中で人間が「周期的な堕落と救済」を繰り返す「周期的」な小時間を語ります。
この宇宙観は、東西、後世に大きな影響を与えました。

物質的な宇宙の「創造」は、悪神を閉じ込めるために作られましたが、この「創造」は、先に霊的世界が作られるので、「下降」のプロセスです。
物質的宇宙の「創造」は、天空、水、大地、植物、動物、人間という順で作られました。
この順は、現代の「進化論」に類した価値観と似ています。

バビロニア(カルデア)系のズルワン主義の宇宙的時間は「周期的生滅」を繰り返します。
至高神であるズルワンは、生滅する宇宙と時間を生み出す無限時間神です。

この「周期的」な時間の中にイラン的な救済神話が取り込まれています。
このバビロニアの「周期的生滅」の宇宙観も、東西、後世に大きな影響を与えました。

初期ギリシャ哲学のアナクシマンドロス、ヘラクレイトス、エンペドクレスらの宇宙的時間は、4大元素によって作られた宇宙が「周期的生滅」を繰り返します。

この周期的宇宙論は、バビロニアの影響を受けたものでしょう。

中でもエンペドクレスの宇宙論は、宇宙は悪の原理によって「堕落」=「創造」され、やがて原初の状態に「復帰」することを繰り返すもので、イランとバビロニアの宇宙論の哲学的統合が見られます。

サーンキヤ哲学、ヴェーダーンタ哲学などのインド・バラモン哲学の初期の宇宙論では、宇宙の「創造」は、「ブラフマン」、「プラクリティ(根本物質・自性)」といった原初存在の「開展」過程です。
そしてこれが、「プルシャ(純粋意識・最高我)」や「アートマン(個我)」の「輪廻(堕落)」の原因であり、その状態からの「解脱」が目指されます。
ですが、ここには、宇宙の終焉といった大時間の観念は希薄です。

一方、その後の「ヴィシュヌ・プラーナ」などのヒンドゥー教、及び、「倶舎論」などの部派仏教の宇宙的時間は、そこに、おそらくバビロニア、イランの両方の宇宙論を取り入れました。
インド的な堕落論に「周期的な堕落と救済」、宇宙の「周期的生滅」が組み合わされて、入れ子の「多重周期」になっています。
ヴィシュヌのスケールである大時間においても、ヴィシュヌの睡眠と覚醒に従って宇宙が生滅を繰り返します。

インド密教の最終形である「カーラチャクラ・タントラ」は、ズルワン=ミトラ系の終末論を仏教化した最後の形であり、そこにタントラ的な意識論、霊的身体論、修道論も統合しました。

そのカーラ・チャクラ(時輪)尊は、無限時間神ズルワンの仏教における最終形態です。


キリスト教、イスラム教


新プラトン主義哲学は、「一者」からの「流出」とそこへの「帰還」を宇宙論的に語ります。
ですが、これは常に起こっていることであり、大時間での話(宇宙の時間的な始りや終わり)ではありません。

キリスト教の宇宙論的時間は、基本的にはイランの救済神話の大枠を継承した「直線的」な大時間です。
「無」から創造された宇宙の中で、一回かぎりの「堕落」と「復帰」があります。
ですが、受肉した神であるイエス・キリストによる贖罪が、その「折り返し点」になる点が特徴です。

このキリスト教的な救済神話の大時間と新プラトン主義的な哲学を統合したのが、中世のケルト人のスコトス・エリウゲナです。

彼は、存在を超えたという点で「無」である神が、神自身である世界を「創造」し、キリストを「折り返し点」として、最終的に全自然が神に「帰一」する、「下降/上昇」の宇宙的時間を描きました。

イスラム教は、キリスト教を継承しながらも、イエスの神性を否定して、複数の預言者やイマームを立てます。

高度な救済神話を創造した、イスマーイール・タイイブ派では、「復帰」のプロセスを預言者ごとの「段階的な周期」とします。
1つの周期が終わるごとに、「堕落したアダム」が、1段1段と位階を上昇して「復帰」します。
宇宙創造の目的は、人類の天使であるこの堕落した「天上のアダム」の「復帰」であり、人類の「復帰」もこれに連動します。

複数の預言者の周期という点では、ゾロアスター教の影響があるかもしれませんが、順次上昇するという点では異なります。


進化論以降の近現代


ブラヴァツキー夫人の神智学の宇宙的時間は、「ヴィシュヌ・プラーナ」の「多重周期」とイラン系救済神話、そして、進化論の発想を組み合わせた複雑なものです。

宇宙は、原初存在(神)から生まれ、最終的にそこに「帰一」します。
大時間では「下降/上昇」から構成される「直線的時間」があり、それぞれの中に入れ子状の「多重周期」の「下降/上昇」の小時間があります。
この「下降/上昇」を、「逆進化/進化」とも表現します。

近代神智学の「進化」は、科学的な進化論を取り入れて霊的に拡張したものです。
人間が物質の体を持つ以前から、それを捨てた以降までを語ります。

ルドルフ・シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人の神智学の宇宙論を修正しましたが、その特徴は、意識的な自我(悟性魂)を中心にした階層的な上下の対称性を、歴史的な前後の対称性にまで反映させている点です。

インドのオーロビンド・ゴーシュは、伝統的なインドの宇宙論に進化論を取り込み、絶対者の展開・下降である「内化」と、その内在化した絶対者の発現・解放・上昇としての「進化」の2局面を語りました。
そして、彼はそれを、自身の総合的なヨガ観と結びつけました。

ニュー・エイジ最大の論客であるケン・ウィルバーも、オーロビンドの「内化/進化」と同様の宇宙観を語ります。
そして、彼はそれを、ホロン的なシステム論と統合して表現し、それを東洋的修道論とトランス・パーソナルな心理学に結びつけました。


質料、形相、意識の下降/上昇


宇宙論的時間の「創造(下降)/復帰(上昇)」は、ギリシャ系の神秘哲学では、「質料」と「形相」の観点から語られました。

「下降(流出)」は「質料」→「形相」の順でなされ、認識が両者の間を媒介します。
ただ、新プラトン主義では、これは時間的というより、論理的な順かもしれません。

新プラトン主義では、「流出」した下位の「質料」が上位存在を振り返って見ることで「形相」を受け取り、自身をその「似像」として形つくります。

そして、魂の「帰還」も、ヌース(霊的直観)による上位の「形相」の認識を経て、最終的には「形相」を超えたもの(一者)の顕現によって果たされます。

インド・バラモンのサーンキヤ哲学は、「プルシャ(純粋意識・最高我)」と「プラクリティ(根本物質・自性)」の二元論です。
物質原理の「プラクリティ」は「質料」、「形相」の両方の原因となります。
つまり、ギリシャ哲学の「質料」、「形相」の2観点とは違って、「意識」を別に立てます。

重要なのは、一般に言う「精神(認識)」はすべて物質原理「プラクリティ」から生まれることです。
「プルシャ」の働きは、認識者ではなく、純粋な「観察」、「自覚」、「意識化」です。
これは、新プラトン主義の「一者」が認識(ヌース)を超えていることと似ています。

ヴェーダーンタ哲学は、本来「ブラフマン」=「アートマン(個我)」の一元論ですが、これは「ブラフマン」の中に、世界とは別に「アートマン」という「意識原理」が立てられているとも言えます。

「意識原理」は、「創造(開展)」された物質原理に自己同一化することで「堕落(輪廻)」します。
ですが、自己自身を見出すことで「解脱」します。

実は、サーンキヤ哲学の「プルシャ(純粋意識)」は、インド神話の「プルシャ」(解体死した原人間)を哲学化したものです。
このイラン版が「アパム・ナパート」であり、それを継承したのがミトラ教神話の「アフラマズダ」(光のかけらとして地上に堕ちた原人間)です。

つまり、イランの宗教的救済神話とインド哲学は、同じ「意識原理」の「下降」を異なる表現方法で語っています。

後のタントリズム(密教)では、「意識原理」がシヴァ(仏)、物質原理がシャクティ(仏母・明妃)というように、神格で表現します。
タントリズムの場合、物質原理が「意識原理」に復帰・合一させ、これによって活性化させる点で、インドの古典哲学と異なります。

また、ゾクチェンでは、「意識原理」が「心そのもの」と呼ばれ、「心」はそこから生まれたもの(精神)です。
ゾクチェンでは、精神のその活動を、自然に、自由に、「意識原理」の中に終え(自己解脱)させる点で、古典哲学とも、タントリズムとは異なります。

近代の神智学のアディヤール派は、「下降/上昇」を「質料」、「生命(モナド・エッセンス)」、「意識(モナド)」の3つの観点から語ります。
「生命」は「形相」的原理です。
これは、ギリシャ系哲学とインド系哲学、イラン系神話を統合した形です。

「意識原理」の「モナド」は、ギリシャ哲学由来の言葉ですが、その本質は、インド哲学の「プルシャ」であり、イラン神話の「アフラマズダ(堕ちた光のかけら)」です。

現代科学では、「意識」は神経系・思考の発達と共に自然に創発する「形相」的存在ですが、神秘主義思想(インド哲学、密教、近代神智学など)では、原初から存在する至高の存在です。
近代神智学では、この「モナド(意識)」が人間に下ったことが、宇宙的時間の「下降」から「上昇」への「折り返し点」となります。


6側面のモデル化


以上のような「質料/形相/意識」の3つの観点から「下降/上昇」を語ると、次のような6つの側面で考えることになります。

1:質料の下降:創造
2:形相の下降:進化
3:意識の下降:受肉
4:意識の上昇:解脱(意識進化)
5:形相の上昇:離脱
6:質料の上昇:吸収

これは、単純に1から6に進む段階ではありません。
また、多段階の階層に由来する多重周期を考えると、全体のプロセスは複雑です。

「質料」の「下降/上昇」は、その「粗大化/微細化」とも表現できます。
「形相」の「下降/上昇」は、認識(反映)の「対象化/合一化」とも表現できます。
「意識」の「下降/上昇」は、その「個体化/脱個体化」とも表現できます。

近代神智学は主に7階層説で考えるので大変複雑ですが、単純化すると「霊・魂・体」の3階層で考えられます。
これはインドでは「原因(極微)・微細・粗大」と表現されます。

以下、近代神智学の6つの観点から見た宇宙論的時間論を、他の神秘主義思想と結びつけながら、当ブログなりに、解釈・モデル化してみましょう。

1の「質料の下降」は、原初の絶対存在から宇宙の素材が生まれる「創造」の第一の側面です。
質料は、「硬い」、「粗大」、「暗い」などと表現される方向に順次作られ、最終的に物質化します。
3階層説では、「霊の質料の創造」→「魂の質料の創造」→「体の質料の創造」です。

2の「形相の下降」は、「創造」の第2の側面です。
質料の側から見れば、質料が構造化、組織化されるプロセスで、「進化」とも表現できます。

「形相の下降」は、「霊の質料の形相化」→「魂の質料の形相化」→「体の質料の形相化」と進みます。

さらに、例えば、物質世界では、「体の質料の形相化」は、「体の形相の形相化(物質の構造化、生命の発生)」→「魂の形相の形相化(内面を持つ動物の発生・進化)」→「霊の形相の形相化(霊的認識を持つ存在への成長・進化)」と進みます。

一般に、科学では、物質が創発的に自己組織化すると考えますが、神秘主義思想では、上位存在が下位存在の形相の原因になると考えます。
その「形相の下降」には、2種類のあり方があります。

一つは、上位存在が下位存在に「形相」を与えることです。
思考が直接的に物質に影響を与える(偶然性に働きかける)というような、魔術的な方法です。

もう一つは、下位存在が上位存在を認識して受け取る場合です。
この場合、下位存在が上位存在の「似像」になるとも表現されます。

3の「意識の下降」は、近代神智学の言う「モナド」の下降である「受肉」です。
これは、物質世界においては人間における「意識」の発生です。

肉体に受肉したばかりの「意識」は、意識できる範囲が少ないのですが、意識できる範囲を順に下位へ、そして、上位へと広げていきます。
「意識の下降」は「意識化の下降」に続き、そして、「意識化の上昇」が「意識の上昇」を引き起こします。
詳細は、後述します。

4の「意識の上昇」は、3の逆のプロセスで、「解脱」とも表現できます。
これは「意識化」を上位存在へ広げることから始まります。

霊的・直観的なものを「意識化」すると、その「形相(形相の力能)」を物質世界に現実化(下降)することができるようになります。
これは、最初は肉体を通して行います。

ですが、人間が霊的に進化した将来では、直接的に、魔術的に、つまり、考えることでそれを物質界に起こすことができるようになるとされます。
シュタイナーは、これを被造物から創造者になることであると言います。

そして、「意識」は、「体から解脱」→「魂から解脱」→「霊から解脱」していきます。

インド思想の「解脱」による輪廻の終了は、宇宙論的に解釈すれば、この生命全体の「解脱」段階の進化の、個的な先取りとなります。

また、3、4の「意識」の成長の中で、「自由意志」や「個的意識」が育ちます。
キリスト教圏(ミルトン、ベーメなど)や近代神智学は、堕天使ルシファーがこれをもたらしたと考えます。

「意識化」が「上昇」する過程で、この「個的意識」は、「超個的意識」に変容します。

5の「形相の上昇」は、2の「進化」の逆のプロセスで、例えば、「離脱」などと表現できます。

「体の質料からの離脱」→「魂の質料からの離脱」→「霊の質料からの離脱」と進みます。
言い換えれば、肉体、アストラル体、霊体が順に「完成」し、それを「放棄」することです。

さらに、「体の質料からの離脱」は、「霊の形相の離脱」→「魂の形相の離脱」→「体の形相の離脱」と進みます。
言い換えれば、「肉体からの霊の離脱」→「肉体からの魂の離脱」→「肉体からのエーテル体の離脱」…です。

密教で仏の三身を獲得することは、従来の仏教の単なる解脱とは違って、「体」や「魂」の段階の「完成」を意味し、宇宙論的に解釈すれば、この「形相の上昇」段階の進化の個的な先取りとなるでしょう。

6の「素材の上昇」は、1の「創造」の逆のプロセスで、例えば、「吸収」などと表現できます。

「体の質料の吸収」→「魂の質料の吸収」→「霊の質料の吸収」と進みます。
つまり、順に下位の質料が上位の質料に微細化、昇華、解消されます。
そして、最終的には、すべてが原初の絶対存在に「帰一」します。

ゾクチェンが「虹の身体」を作って、肉体を昇華・解消させるというのは、単なる肉体の放棄ではなく物質の消滅なので、宇宙論的に解釈すれば、この「素材の上昇」段階の進化の個的な先取りとなります。


精神の進化


上記したように、一般に言う「生命」や「認識」、「心」、「精神」などの活動は「形相」に属します。

神秘主義思想では、すべての物質に「精神」を見ます。
鉱物的な「精神(認識)」は暗く、広い、漠然としたものであり、植物、動物、人間と進化するにつれて、それは明るく、狭く、明瞭になります。

動物においては、形象的で、夢のようになります。
人間においては、概念的、対象的な、昼の覚醒した状態のようになります。
ですが、人間は、言語的な認識・行動であっても無意識でできます。

このように、「形相の下降」は、人間の物質界に対する「対象的」な認識に至り、そこで「形相の上昇」へと反転して、霊的・直観的な「合一」的認識に進みます。


意識の進化


上記したように、「意識」の働きは、純粋な「観察」、「自覚」です。
「認識」や「思考」などの「精神(心)」の働きに対する「気づき」なので、それを変容させることができます。

上記したように、3の「意識の下降」によって「体」の物質世界に生まれたばかりの「意識」は、「観察」、「意識化」できる範囲が少なく、意識できないものにコントロールされる部分が多くあります。
「意識」は、その範囲を広げることで成長します。

シュタイナーは、この「意識化」の拡張は、順に「覚醒(昼の意識)」→「夢」→「夢のない睡眠」→「昏睡状態」と進みます。
「意識化」を「魂」から「体」へと、より下位へと、下降させるのです。
つまり、下降した「意識」は、その働きである「意識化」を下降させます。

タントリズムにも類似した意識論があり、「覚醒/夢/睡眠」を「生/死後生(中有)/死の瞬間」に対応させて、それらの「意識化」を行います。
また、「昏睡」の代わりに「性的絶頂」を考えることもあります。

ちなみに、プロセス志向心理学では、「夢」や「睡眠」の働きは、「覚醒」している昼にも存在しているとしてその意識化を行いますし、「昏睡」状態に人間とのコミュニケーションも行います。

この意識化によって、下位存在を制御するだけではなく、それを創造的に、自由に活性化させることにもなります。

下位の存在の「意識化」は、下位存在を上位存在に反映することであって、一種の学習です。
これは、下位存在に内在した眠れる上位存在を、覚醒させ、上位のものに再変換することでもあります。

「意識の下降」は、「意識」の肉体や個的精神に対する同一化によって、「個体化」します。
ですが、次の「意識の上昇」では、その同一化を拡張・放棄して「脱個体化」していきます。

4の「意識の上昇」は、まず、「意識化」の拡張を、今後は上位へと行います。

上位領域を「意識化」することで、そこから創造性やインスピレーションを得ることがきるようになります。
神秘主義思想では、物質世界に降りた霊魂が、霊的世界を思い出すことと表現されます。

「意識」や「意識化」の上昇が行われる条件は、思想によって、下位存在の「意識化」であったり「制御」、「放棄」、「活性化」、「調和」、「完成」などであったり様々です。

シュタイナーは、「意識化」の「下降」と「上昇」は、同時に行われるものであると考えました。
つまり、「意識化の下降」に応じて「意識化の上昇」が可能になるのです。
これは、下位のものが上位のものに変容するように体験されます。
そのため、シュタイナーの思想では、上下の存在が対象的な性質を持っています。
これは、新プラトン主義のプロクロスと同じです。

また、密教でも同様に、「覚醒/夢/睡眠」の「意識化」が、仏の三身の獲得につながります。

ゴールデン・ドーンなどの魔術思想では、ある次元における全体的な働きを活性化させ、「調和」を達成することで、上の次元に上昇できると考えました。
タントリズム(密教)のマンダラ的行法においても、類似した考えがあります。

ゾクチェンでは、「意識」が自己自身の「自覚」を持った状態で、様々な「精神」の働きを「意識化」することで、それらの働きを浄化し、消滅させます。
これは、「精神(形相)」の働きをその都度に「完成」させることでしょう。



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