鬼子(新堂冬樹)

売れない作家、袴田(ペンネーム風間令也)45歳。彼は自分の母の民子が死んで以来、急に家庭内暴力を振るうようになった息子の浩に悩まされている。
おまけに仲の良かった妻までがよそよそしくなってしまった。
息子が横暴を働く相手は基本、父親一人。素直な優しい性格であった浩は、一体なぜ豹変したのか?


息子の家庭内暴力に悩む父親、おまけに小説家の仕事も上手くいってない。
客観的に見て大変気の毒な境遇なんですが、気の毒と言うにはこの袴田という男は面白過ぎます。

まず売れない作家なんですけど、彼は社会技能が普通に高くしたがって経済的に全く困っていないんですよね。
作家だけでは食っていけないんで警備会社に勤めており、「月収30万にも満たない」って事はまあ30万に届きそうな額なのかな、と。
それで専業主婦と子供2人が無理無く暮らしています。ローン残ってるけど、持ち家もある。
しかし新堂先生はお金持ちだから感覚が一般人とかけ離れているのか、これでも冴えない甲斐性無しだと思って書いてるみたいです。
出版時期が20年程前なので、その間日本全体が貧しくなった事もあるだろうけど、それを踏まえても袴田家は金銭的に困ってはいないんですよね。

警備会社での様子を見ても、仕事、人間関係、万事そつなくこなしており、私が社会不適合者だからハードル低いのかもしれませんが、非常に有能です。

経済的に余裕があると気持ちにも余裕が出てくるのか、上手くいってない作家業に関しても袴田は非常に前向きで、己の才能を世に表現するチャンスを与えてくれた神に感謝しています✨

袴田は20年前のデビュー作以降、一作も鳴かず飛ばずの売れない作家。

しかし全く自信を失っておらず、見る目の無い読者や編集者のせいだ!という事になっています。袴田の脳内では…

袴田が携わっているのは純文学の恋愛小説。
意識の高い袴田は普段の生活においても醜悪、猥雑な物事を極力目耳に入れないよう気を付けています。
なぜなら純文学に携わる人間の感性が汚れていては、読者を感動させるような傑作は書けないから。


そんな袴田こと風間令也が、クラシックのショパンを聴きながら書いた純文学「シャンゼリゼの妖精」を一部抜粋↓

「ジュリーにジェラシーを感じるだなんて、私って馬鹿ね。私なんかと違って彼女はスタイルも良いし美しいし…あなた(明人)に相応しい女性だわ。」

「なにを言ってるんだ。僕は華穂のモンタナの草原に吹く風のような笑顔の、エーゲ海の黒真珠みたいな瞳の、ラズベリーの果汁のような赤く濡れた唇の、全てに夢中なんだ」

その後人通りの多い中、水溜まりに自らのコートを広げた明人が華穂に「ここに立つんだ!」と要求。
「こんなもの、君の魅力に比べたらぼろ雑巾と同じさ」と言って…
抱擁し合う二人。


滅茶苦茶面白い。何で人気無いんだ、こんなに面白いのに!ぶっちゃけ新堂先生の「忘れ雪」よりずっと面白いです。
他、「ロンシャンの夕陽」や「セーヌ川の畔で」の抜粋も笑える。
やばい、私風間令也のファンになりそう。

新堂先生、是非風間令也名義で「シャンゼリゼの妖精」を出版してくださいよ!これ最高です、絶対いけますよ!
そしてフランスに翻訳出版してゴンクール賞狙いましょう!
風間令也って名前がまず面白いですよね、浩の友人も言ってたけど源氏名みたいで。袴田曰く、麗しい作品に相応しい美しいペンネーム、らしいです。

袴田はこの「シャンゼリゼの妖精」を書きながら「春川賞(多分芥川賞と思われる)もイイけど、やっぱシャルル・ミルフィーユ賞だよな~」と言っており、自信満々。
シャルル・ミルフィーユ賞というのは今作において、フランスの権威ある文学賞の事らしい。

シャルル・ミルフィーユ賞…シャルルはともかく、ミルフィーユって…
他にも「レモン味のくちづけ」とか新堂先生のネーミングセンスって面白いな。

袴田はファンへの配慮も怠りません。警備会社で働く際は必ずサングラスをかけ、自分が風間令也だと分からないよう気を付けています。
自分の様な作家が警備会社で働いているなんて知れば、ファンががっかりするだろう、そう思って。

「からし色のコートを木枯らしになびかせ、ブローニュの森の枯れ葉の絨毯を踏みしめつつ散策する姿」

「ロンシャンの夕陽を背に物思いに浸る姿が似合う男」

「セーヌ川の畔に建つホテルのバルコニーでエスプレッソを飲む姿が似合う男」

これが袴田の考える、自分のファンが抱く風間令也のイメージ像。
読者の夢を壊したくない!そんな思いから勤務中もイタリアブランドの(フランスかぶれなくせに、なぜそこはイタリア?)シャツやパンツを着ています。万が一、風間令也だと勤務中にバレた時を考えて。

そもそもファンなんているのでしょうか?ファンレターだって、妻の君江がくれた一通しか無いのに…

息子からの家庭内暴力も、わりとコミカルに描かれているところがあって、例えばアダルトビデオを借りに行かされるシーンですね。
自分のような作家がアダルトビデオを借りてるなんて、もし読者に見られたら大変だ!そう思った袴田が、あれこれ策を講じる姿が笑える。

ある日、袴田は友人との待ち合わせのためパリのカフェを模したらしい、お洒落なカフェに来ます。そこに来る多くの客は袴田同様フランス被れらしく彼はここぞとばかりに「俺こそはパリっ子」とアピールしまくります。

「ギャハァッソン」

袴田いわく、パリではこう言って店員を呼び止めるらしい。彼はそれをフランス映画とかで学んだそうです。そしてフランス語は全然できないけど、この発音だけは練習してできるようになったみたい。

他の客達が俺に一目置いているに違いない…✨と、得意げな袴田。

そしてメニューを見ずに、ブラン・エ・ノワールというものを注文。
これは本場のパリを気取る店なら、無くてはならない飲み物らしく、無いなら無いで店側が恥をかくだけらしい。嫌な客だ😂

待ち合わせしていた友人が席に着き、開口一番話題にしたのは、この店はこれこれこういう点で儲かってんだな、とかそういう話。
お洒落な雰囲気、ぶち壊し。無粋な客とはお前らの事だよ😂

新堂冬樹と言えば裏社会の人間を描くのが上手いのですが、今作でもそれが活かされています。
特に金沢の描写は、短いながらも印象的な人物描写でした。
金沢はパッと見ヤクザに見えない外見をしており、柔和な紳士を装っています。
しかし珈琲を飲み、口を拭ったハンカチで、ちょうどテーブル近くにいた蠅を叩き潰すんです。
この一連の動作が、金沢という人物を表していると袴田は評します。
取り繕った紳士の顔、しかし隠しきれない不潔感がこの短いシーンだけで表現されている。

そして袴田と1、2を争う今作のMVPは間違いなく、サイコパス編集者の芝野。
これは出版業界を舞台にしたピカレスクロマンでもあるのです!
サイコパスの出てくる小説を探しては読み漁っていた時期がありましたが、これほどまでにサイコパスらしいサイコパスを鮮やかに描いた作品は、これが初めてです。
サイコパス好きは絶対、読んでください。

しかもこの芝野、幻冬舎にモデルがいるそうな。きっと今頃、かなり出世して偉くなってるんだろうなあ。









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