ぼくの好きな絵
「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」というアニメ映画を、通しで観る機会があったら観たい。これは記事名がパロであることの説明で、内容とは何も関係ありません。
ここには、展覧会とか画集とかで見たことがある絵で、記憶に残っているやつを貼っていきます。念のため、俺はイラストレーションも好きですが、それを含め出すとまとめられないので、この記事ではなんか絵画っぽいやつを対象とします。
・眠るジプシー女/ルソー
見たまま:砂漠に身を預けて眠っている女と、今すぐ食い殺すそぶりはないが思惑を持って見つめている雄獅子、明るい夜、という感じの絵。
個人的には:砂漠が好き。絵の実物は確か見たことがない。あと、砂漠が好き。異国情緒も好き。夜と眠りも好き。女の人も好き。獣も好き。砂漠の、何もない広大さが、好き。
・江の島図/高橋由一
見たまま:水平線を塞ぐように江の島があり、干潮で現れた海の道を時代がかった人々が渡ってゆく、後ろ姿ばかりの絵。
個人的には:岸田劉生のあった展覧会で、一緒に展示されていて見た。町人が大勢歩いてるだけなのに、時代劇で斬った張ったが始まる前みたいな、余裕たっぷりの迫力があって、印象深い。岸田劉生も量感の人だと思うので、それ系の繋がりで並んでいたんだろう。
・シーレ、クリムト、夢二
好きだけど、特にこれ!というのがパッと出せないので、貼らない。ミュシャは出たので、下の方に書いた。
・光の帝国/マグリット
見たまま:湖畔に家が建っており、上方には空が広がっているが、影になった木々を境に、上は昼、下は街灯や家明かりの点いた夜になっている、ありえない風景。
個人的には:マグリット展で見たその2。わりと地味。俺は薄暗い森なのかな?と思って、どこにシュールさがあるのかわからなかった。自分のお話に、昼が夜になるランプを(特に役割もなく)出した気がする。多分これ。
※ここは最初「大家族」にしていたが、「光の帝国」に変えた。
・犬の習作/ベーコン
見たまま:のっぺりとした闇の下水溝沿いを、犬らしきものが歩いているが、白くかすれている絵。
個人的には:このベーコンという人の展示を回った時は、確か肉体的に疲れており、一時期のこの人の、断末魔の瞬間に標本にされた人間が死臭を立ちのぼらせているような絵画は、アクが強すぎた([インノケンティウス]をみてほしい。宇宙的恐怖なので)。それらに包囲された空間で、自分はバッドトリップ状態になっていた。他に比べるとこの絵は、よくあるぴんぼけ写真みたいでまだしも直視できた。好きというか、休憩になったので覚えている絵。
・舟乗りシンドバッド/クレー
(リンク省略【※1】)
見たまま:方眼状に塗り分けられた海に、小舟が浮かび、凶悪げな顔の魚たちと、赤い槍を持った人が戦っている絵。
個人的には:クレーの展示は確か見たことがある。ただ記憶にあるこの絵は、小学校の図工室に貼られていたポスター。当時は全くわからず、絵だと認識する以前の問題で、なぜ飾られているのか考えてしまう、謎の図だった。日光に晒されて脱色しまくっていたのも拍車をかけていた。後で思ったのだが、クレーがマスを切ってグラデーションを配置するやつは、ドット絵の一種なんじゃないかと思う。物の並べ方も横スクロールっぽいし。
・両親の家のキリスト/ミレイ
見たまま:出すだけで宗教画なイエスが、(めちゃんこヨーロッパ人ではあるものの)ほよよんとした人間、大工一家の一員として描かれている絵。
個人的には:今気付いたのだがオフィーリアと同じ作者だったので、同じ展覧会で見たのだろう。自分は祖父(電化マニアじゃない方)が家具屋で、実家は下階がこんな様子だったので、そういう親近感もある。散らばる鉋屑が懐かしい。とはいえ庶民性ばかりではなく、宗教的な寓意も盛り込まれている、裏の裏をかいた絵らしい。へー。
・ピンポン/ドイグ
見たまま:青と黒のセルがちりばめられた壁面があり、その手前でおっさんが卓球ラケットを構えている絵。
個人的には:2020年にぶつかったドイグ展が、ニコニコ美術館(ネット番組)で中継されていたのを見た。実物は見てないのだが、館内を歩いたかのような主観記憶があって、整理に困る体験。絵の、やたらパキっとした格子は積まれた箱らしいけれど、絵からは読み取りづらい。おっさんの対戦相手やピンポン玉も画面にはなく、なぜ壁の後ろにゆらめく林を詰め込んだのかも、謎。寒色がちな絵の中で、ラケットの赤だけが主張している。この画家は番組の解説員評でも、人をどきっとさせるような異常性はないが、意図を尋ねたくなる程度の投げっぱなし感をいつも出してくる、といった評価だった。
・復讐の誓い/アイエツ
見たまま:文書を握っている女性と、耳打ちされて憎悪の目を向けているもう一人が、黒い仮面や布地で素性を隠そうとしている絵。
個人的には:リヒテンシュタインコレクションというのの展示で、見た。展示全体は、正直よく覚えていない。作家単位の展示じゃないし。ハガキ持ってるので行ったのは確か。これはなんか策謀の香りがしたので覚えている。解説で、左の身分がありそうな女性が、右の比較的なさそうな女性から、真実を密告されているのか、むしろ猜疑心を吹き込まれているのかはわからない、的なことが書いてあった気がする。後者で行くと敵が画面から省かれているのも、右の人が敵だからとなり、そういう百合。なんかボディタッチも多いし。
・サロンⅠ/オットーディックス
見たまま:けばけばしい顔とだらしない体に描かれた娼婦たちが、集まって出番を待っている絵。
個人的には:画集で見た。記憶では、静脈が浮いてたり、肌の蝋っぽい感じとかが克明な、醜怪な娼婦の絵が多かった。ベーコンと同じで、悪い迫真さがありすぎて「もう勘弁してくれ~」と思いながら、怖いもの見たさで読み進めた覚えがある。しかし、世間が負傷・栄養失調・死、貧困・下卑た享楽であふれ返っていた頃には、俺には誇張や露悪と見えるこの人の世界も、見る者の現実とリンクしていただろう。自分の中では嬉しくない裸の印象が強かったが、今見ると、ストレートな戦争風刺とか、まだしもエキセントリックで済みそうな肖像画もあった。そもそも、老若男女どんな人を描いても、血色悪くしてしまう作家のよう。
・野兎/デューラー
見たまま:めちゃくちゃうまい兎。
個人的には:展覧会で見た。一緒に行った人に、「めちゃくちゃうまいだろう」と聞かされた。俺もそう思う。予備校の課題で出されそうな内容なので、余計に格が違う感じがする。16世紀の人。これなども、高村光太郎。
・コメンスキー/ミュシャ
見たまま:分厚い雲の下で座る人物がおり、周囲には人々がうずくまって悲嘆に暮れていて、最後の灯りだけがおぼろに残った絵。
個人的には:ミュシャ展で見た。ミュシャの 有名な 絵柄は、現代のイラスト分野で、偉い「絵画」みたいに思われているのではないか。なぜかといえば、俺自身がそういう捉え方で会場に行ったからだ。そこで知ったことだが、あれはたとえば演劇のポスターなど、広告の仕事の時の絵柄らしい。そしてこの絵のように「伝統絵画っぽい絵」も、資金の都合が付けば描いている。ということは、制作された時代にも、絵画とイラストは既に分かれていたのだと思う【※2】。今日の我々にウケている作品群は、過去の「絵画」の中で現代人の鑑賞に堪えるものだから、ではなくて、「イラスト」としていい仕事を狙って成功しているから、だろう。まとめると、「現代イラスト分野で受け入れられている絵柄は、初めからイラストとして描かれたものだ」「それとは別に絵画も書いていた」という二点を、俺は言いたい。
絵に戻る。この絵を含むシリーズ「スラヴ叙事詩」は、全部クソでかい。これとかは、なんで人が浮いてんのかよくわからんし、でかさも相まって白昼夢みたいになっていた。この「コメンスキー」は落ち着いた絵なので除くとしても、シリーズは明らかにレイヤーの概念を持っている(イラスト寄せである)。現世の一層手前や奥に神話の人物や民族の擬人化が居るという、スタンドみたいな表現が多用される。シリーズとしては、根底に強めの民族意識があるらしい。こう、現代でもカジュアルに人気のある画家が、ノリノリで社会運動をしている例。
・(コルトーナの)受胎告知/フラアンジェリコ
見たまま:ガブリエルに受胎を告げられるマリア、宗教的場面の絵。
個人的には:親が描いたガブリエル部分の模写。を、ヘッダーにした(転載許可は取った)。模写の顔は、全然原画と違う。模写の金のラテン語(漫画でいうセリフ機能のもの)は、原画ではもっと右に続くところ、模写ではぶち切りにしちゃったそう。模写は原画同様、板の上に金箔を貼り、テンペラ技法(絵に卵とか使う)で描かれている。どうだ、俺の親は。すごいだろう【※3】。赤い角毛みたいなのは霊魂を表す記号、羽の一枚一枚についた目は孔雀で、神の目のような意味らしい。フラアンジェリコという画家は半分修道士で、この絵は祭壇にはめ込まれて機能するのが本来の形らしい。だから、「フラアンジェリコの受胎告知」が何枚もあるが、特にどれが真作で清書で、となるものでもないのだそう。wiki記事だと便宜上「(コルトーナの)」と付けているので、それにならった。
・炎舞/速水御舟
見たまま:仏教画的な炎に惹き付けられて、蛾の群れが舞い踊っている、妖しい雰囲気の絵。
個人的には:国語の授業の評論文だか、テレビの美術番組だか忘れたが、解説つきで見た。たぶん実物も画集も見ていないが、有名なので知る機会は多いだろう。この絵を見ると「『飛んで火に入る夏の虫』だね」と言いたくなる。なんかの評論で、「蛾は渦を巻くように配置され、黄金比が隠されている」とされていた。俺は黄金比はこじつけできる概念だと思う。でも、「蛾が螺旋状に並んでいる」との指摘には納得したし、火災旋風とかの気流の表現みたいでもあり、面白い。きれいな集団自傷。
・スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍/福田豊四郎
見たまま:アジアのどこか(マレーシアらしいが)に侵攻した日本軍通信兵たちが、電線を敷設している絵。
個人的には:電線や電柱の絵ばかり集めた企画展があり、そこで見た。絵は題名からして、どちらかというと戦争を賛美するサイドの戦争画だろう。企画展はテーマが電線なので、町を描いたものが多かった。だが明治時代にはもう景観問題が持ち上がっていたらしいから、この絵にあるように、電線技術と太平洋戦争が同居していてもおかしくない。おかしくないのだが、思っていたより電線の歴史が古かったので、俺にはなにか奇天烈に見える。
・マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ/ヴィレール
見たまま:こちらを向いて絵を描いている窓辺の女性、を描いた、逆光の肖像画。
個人的には:こないだメトロポリタン展で見た。絵を描いている人を描いた絵ということで、メタなので好き。どの画家の作品かは後世で議論があったらしい。
※1 リンク省略
なんかうさんくさくないサイト(=営利性が前面になく、団体で、実物にまつわる妥当な権利や見解を持ってそうなサイト)、またはWikipediaが見当たらなかった場合、参考画像へのリンクは貼らなかった。Wikipediaはうさんくさいサイトだと思うが、Wikipediaのうさんくささはもう周知のことかと思うので、OKとする。
※2 絵画かイラストか
俺の考えでは、「絵画」は「独占」や「長期の愛蔵」が目的の仕事で、これが「イラスト」だと、目的は「多くの目にちょこっとずつ触れる」「情報の洪水の中から少しでも抜きん出て印象づく」とかになってくると思う。絵画は、一作品に多大な時間や材料費がかかって、鑑賞用にしかならないがそれをよしとし、一点物で値が張る・・・・・・、などの傾向のもの。イラストは、一作品あたりの制作時間や材料費が小さくて、情報化され大量配布されることにこそ主眼があり、対価は合作の一部として得る・・・・・・、などといった傾向のもの。だと思う。
「イラストは合作の一部」とは、たとえば新聞広告、コンビニ菓子のパッケージ、絵本の挿画、アルバムジャケット、などのこと。つまり「イラスト」は商品や事業の主役でないか、少なくとも全体ではない(※2-1)。一方で、「絵画」はそれ一枚が過不足なく商品の単位で、メインコンテンツである。
技法や技量では分類できないし、土俵が違うので優劣をつけるのも無理がある(※2-2)。また、この定義だと境界もできてくる。たとえば、漫画家の原画展に扉絵や宣伝用カットがあれば「絵画的な扱いを受けたイラスト」だと思うし(※2-3)、デジタルの絵をジークレーでアナログに出力して収入にしている人は「製法がイラスト寄りだが絵画業」だと思う(※2-4)。Skebの非公開依頼は「デジタルのままで絵画的な業態」だと思う(※2-5)し、かつては油彩で商品をスケッチした広告があったそうだが、これは「アナログのイラスト」だと思う(※2-6)。他者の手に渡らず用途や利用料も持たない、つまり「業態を持たないもの」は分類不能なので、イラストも絵画も包括する言葉としての「絵」と呼ぶしかない。これらは、何か専門知識に基づいている訳ではない、俺の頭の中だけの定義です。
※3 親
親が美術系だと、他人からは「やっぱり芸術肌だから」という言葉をタコほど浴びせられることになるのだが、何かを成すには、まあ当たり前に努力が必要。また、俺を美術に熱心で真摯な人間だと捉えている方がいたら、それは誤解です。今の俺は、趣味のリストに美術が入っている、何の裏付けもないおじさんです。この記事も鵜呑みにしないで下さい。
※この記事は、2021/10-2022/8にまたがってしつこく編集されました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?