無日記 (2022/11/13~2023/03/12)

・①参加賞 ②リーダーシップ人 ③空中分解 ④RPG禁止 ⑤飛空
④:中学受験で、いくらか高望みをしていた。そこの学祭見学に行って、SFC実機RTA走者とかTRPGリプレイ本とかのカオスを目撃し、心惹かれたからだ。結局そこには落ちた。まあこれはもう引きずっていない。
①:中学でA部に入り、ずっとBを作ろうとしていた。部活はAをメインに作る部活であり、Aの片手間にBも作れてしまう人はいたものの、Bをやる場所ではなかった。
 入部後数年間は師弟制度に組み入れられる。中二の時、自分の在籍する先輩チームが、学外大会で優勝した。自分は、Aにろくすっぽ取り組んでいなくて、どの面下げて記念撮影に写り込めばいいのかわからなかった。奮起とかもせず(するチャンスだったと思う)、以後もそのままになった。Bも惰性になっていった。高二の学祭展示でBを出したが、ウケたかどうか忘れた。懐の広い部でこれでも居場所はあったが、心はくすぶっていた。

②:高卒をやってから、学校に行った (親には頭が上がらないし、親には頭が上がらない)。そこでリーダーシップの塊みたいな人と会った。夢と実現計画を持ち、自己学習し、実作業も企画もやり、メンバーの動向と調整にも心を砕くし、外交能力も高かった。ただ、作業力もモチベも有り余っているために、他人に任せきれない所だけは悪癖に思われた。仕事を抱え込みがちだし、メンバーの経験値を奪っている面もあったと思う。俺は彼のグループには居なかったのだが、「ワンマンだな」「見るからに器がある人もチームをやり慣れている訳ではないんだな」とぼんやり感ぜられた。
 俺は彼を尊敬していた。一度授業外で成果物を見せ合うことをし、中高時代の俺が作ったBを大げさにほめてもらったのを覚えている。社交辞令はあるにしても、報われた。俺は惚れっぽい。
⑤:(時系列的にはここ)
③:学校卒業後、卒業生チームが作られ、リーダーシップ人は平メンバーで入った。が、半年ぐらいで彼含む数名が脱退し、この体制は崩れた。彼は就職成功組のうえに多重で所属していた(豪気バカだ)が、流石にパンクしたらしかった。別れ際は、共通の友人が動揺していたので俺まで感情的になる訳にもいかず、事務的に見送った。
 当時、俺はお年玉貯金でカスをやっていた。入学から俺は、職はどうでもよく技術や経験を求めていたので、最低限は果たしたと言える。他方、脱退勢からチームごと見切りをつけられたことには、俺の社会人力のなさが一因だったと思う。俺は悶々とし、お話を書いてパワーを逃がそうとした。チームはギリ存続した。
④:その学校では忙しくてゲームをしなかった。最もゲーム作りに向き合った時期に、遠ざけてもいたのだから変な話だ。また、俺の好むRPGジャンルは、作ることも抑制されていた (自分たち初心者連中は構想だけ膨らませてエターナるのが目に見えているため)。卒業後、俺は久しぶりにRPGにふれた。

⑤:在学中のグループワークで、NPCの挙動を担当した。鳥NPCが飛んでいるうちに群れ合う。うち一羽がリーダーに昇格し、波打って群体飛行する。(ゲーム性としては、プレイヤーの一勢力はNPCの群れを隠れ蓑に利用する。他のプレイヤーはNPCに化けたプレイヤーを見抜き、撃ち落としにくる。企画担当によるこれら駆け引きを成立させるために、) NPCの群れは、羽数が減れば近くの鳥を引っ張って再編成する。あぶれ者も入っていける。そういう風に俺は組んだ。
 企画者は俺ではなく、企画に向いた人間が。リーダーは俺ではなく、リーダー業に向いた人間が。モデラーは俺ではなく、モデリングに向いた人間が担当した。このゲームで、学内評価であり一番でもないけれど、賞をもらった。つまり、闇の優勝を過去にした。
※ 鳥のプロジェクトに、件のリーダーシップ人は居ない
※ 俺と直に会っている人へ:そっとしておいてくれると助かる
※ 最終学歴の学校には、広島弁の爽やかイケメンや、毎日キメキメの姫らしき人も居た。親しくなく、全然よく知らない


・帰り支度をし続ける

 学生期、文学サークルに身を置いたことがない。全くない。
 学校に部誌を出す集団がいたが、俺はいち読者だった。集団に一人、はすに構えた男子がいて、俺は一時期憧れていた (後年、似たキャラの担任を煽り散らかして殴り合いに発展していた)。自分は、五教科でいうと国語だけマシな成績だったが、それもサボるので下降線だった。詩の猿真似を隠れてしこしこネットに上げていた。それだけ本当。
 以前ここに「ラノベとか読まんし」と書いたが、あれも「俺は文章がわかりすぎてジャンルを順位付けするぞッ」との主張ではない。逆に、自主的に広く (ラノベでも何でも) 読んでる人はうじゃうじゃいて、高みのトークをしていた。俺の中でラノベ(つまり文章)趣味とは、落ちこぼれの持ち物ではない。どちらかといって、俺では入れない強度のオタクの輪があったのを思い出す。
 けどまあ、(趣味を) やってるとやってる人になっていく、でいいのかもしれない。あと俺は「ここが今の帰属先です」と素直に認めたことがあるだろうか。スタートはそこではないのか。帰属する場所が無いのではなく。帰属しようとする心が。


・革命する力を
 中一のクラスに、先生を質問攻めにして悪意0で授業の進行を止めちゃうようなタイプの男子がいて、担任や学級委員ぐるみで辛く当たられていた。教師は担当科目の指導力がものすごいのだが人間面でもスパルタな人で、学級委員は気さくで公共心が強いのだがKYには容赦がなかった。俺はとにかく居心地の悪いものを感じていたが、同時に、何か行動を起こすこともなかった。
 中三で、その男子とまた同じクラスになった。具体的には忘れたのだが、ディベートか何かで、ヒートアップした男子が泣き出して、授業が流れるまで行ったことがあった。ひとり、帰国子女の女子だけが、彼が落ち着くまで聞き取りをしてあげていた。これも学級委員で、ふだん結構パワフルな人だったんだけど、その時は困っている人の味方だった。そのクラスの担任は、周囲の生徒にも言い分はあるし、フォローもなされたので、どちらにも肩入れしていなかったと思う。
 俺は彼女のすることを見て、(これができていればよかったんだ)と思った。

 さらに数年後に、(中高一貫なので)駅で男子とばったり会って、変な話しかけ方をしてしまった。その頃の彼は、前ほど悪目立ちしない、勤勉な読書家になっていた。これについては、ひと一人が救われた、だとか横からまとめてしまうのも下品な話で、まあ誰にもそのひと性を持て余す時期があり、彼は何か彼由来の力で時期を脱したんだろうと思う。俺の方は六年もかけて勉強にも部活にも打ち込めてないし大学選びも進めていないキョドりびとになっていて、「は?なんだこいつ」みたいな感触だけが伝わってきた。彼はそんな風に人を傷つけないが、俺の方で勝手に、己の卑小さの照り返しを受けたのだ。
 ああ。

※ 学校全体が俺より成績がよい。登場人物は、全員俺などより学生の本分をやっている。またこの話で、恋愛ドリブンだったり、そうなった間柄はない (あるとしたら表面化していない)。
※ 俺はこの女子を好きだったけど、働きかけも知る努力も何もない。好意の宛先は本人ではなく、モデルにした偶像だ。
※ 帰国子女は生徒数に占める比率が多く、それそのものはごくありふれた存在であった。


・ベーシック俺・お前
 ハンターで、強化系の設定が好き。理由は、「ごちゃごちゃ考えなくても解決できる人は考える必要がない」が世界観レベルで定義されているから。未解釈の現実を前にして人(キャラクター/人間)が持つ認識の粒度が、細かければ細かいほどよい、といった類いの、知のパワーゲームが否定されているから。純粋戦闘力の向き不向きがあり、それと一定反比例するものとして対策力の向き不向きが設定されているから。
 とまあ、それ以前に性格の傾向の話、状況との取っ組み方は染み付いたものだ、みたいな話もある。たとえば考えがちな人がインスタントに強大な力を手にしても、結局行動リソースのある割合は思考に振り向けてしまい、即、パワープレイに転向することはできない。操作系能力者(対処向き)が強化系の仲間(ステゴロ向き)を操っているパターンがあったけど、結局は脆弱なままの自分を敵が真っ先に潰しに来る心配からは解放されないし、操作対象の取り合いも起こっていた。強化系の仲間の方は、独力でも戦えるしそれが受け持った仕事なのだから、自分が瞬殺される心配などせず、自己鍛錬に専念するだろう。事が始まったら、シンプルに強さの比べ合いしかない。こういうところが面白い。

 ハンターのバトル論はおいといて、現実のこういう力と対策の関係は、そのうえ相互である。俺が自然にできていた事柄は、いちいち組み立てを考えなくてよく、半自動的にこなせる。しかしまた、そうでない事柄の群もあり、その中には他人に言わせれば「自然にできる」な事柄が混じっている。実行力と、自覚的な対処との優劣関係は、人によって一様ではないし、取り組む事柄によっても一様ではない。協力も競争も、そんな不用心な土台の上で行われ、成否が各人の認識にフィードバックされている。俺とお前は、同じ結果から同じ意味を汲み取ってはいない。なのに、また協力や競争に向かう。
 特にオチはない。


・後方互換性

 少年を語るのに適した時期というのがあって、でも、少年そのものである時期とはズレている気がする。美少女アニメとか(今どき美少女一本では何も差別化できないので、この表現は多分に形骸的で、具体的な作品を取れば暴論となるが)、少年漫画とか、作り手や楽しみ手は、既に少年少女ではない気がする。ちょっと違うけど、視覚メディアで、キャラデザが設定上の年齢と乖離していく傾向とかも、そう。みんなが見たくて(書きたくて)、見るに堪えて(書くに堪えて)、幸や不幸になってほしい(してやりたい)姿と、自分がズレていく。過去と未来にズレていく。そして、ズレは別に歪んだことではなく、一定自然。戦ったりもがいている真っ最中には、客観視や愛おしみはできない。そんな余裕がないから、戦ったりもがいたりしている。
 俺が、加齢に従ってどんどんそうなってきたから、その見方で自己合理化を図り、あまつさえ世の中全員になすり付けようとしているだけですな。この「ですな」は、一話の烏丸弁護士が使いすぎていて、変ですな。
 今、ウテナを見ている。初見です。


・ドラえもんが帰れるかどうか
 確実に手を貸してくれる年長者に頼る選択をすべきかどうかで、「相手が帰る前のドラえもんだったら、安心して未来に帰れないのではないか」という物差しが、ことあるごとに頭の中に出てくるんだけど
 そういうのは忘れて、頼った方が早い時もあるかも。ないかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?