無日記(3/27~6/6)

・切り崩せ貯金より速く
 役に立たない、なんならいたずらに適応を阻害するプライドがあり、それらは役に立たない。切り崩そう。


・残像だ話法
 人間は、会話の先に「こっち行くと意見の対立が深刻になりすぎるな」というのが薄々見え始め、一般論の体をクッションさせることがある。「町にこういう人おるけど変だと思うんだよね〜(暗にあなたのような人種の事ですけど、私から明確な宣戦布告は致しませんよ)」みたいな。鎌掛けや当てこすりとも言う。怖いね。
 これは当事者性をどれぐらい汲み取るかを相手の裁量に委ねており、即時の衝突は避けられるのが奥ゆかしい反面、まあ正直な意図が伝わらなかったら策を弄したやつの自爆だと思うので、そんなので苛立つぐらいならストレートに言ってくれるかもっとテッテ的に弄してくれ、とも思う。
 または、予想しえた論戦の手順をすっ飛ばして啓蒙しにいくみたいな、まだしも善意的なテクの下敷きとして使われる場合もある。聞き手が指図されたと思って憤慨しても「あなた個人に言及したつもりはありませんでしたので……もしやお自意識がお過剰であられるのでは?」としてヌルっとパリィしとけばよい。怖いよう。


・毎日が日曜日
 高まりすぎて平坦に戻る事がある。なりふり構わぬ熾烈な競争の果てに、強者と強者の間にガキの遊びみたいな関係が展開される事がある。短気な奴がキレすぎて冷静に刺してくる事がある。技術の極みと一般認識が隔たれば非現実の筈の魔法になる。好きな物たちの好きさに理屈で説明を付けようとした後に、結局理屈の付かない好感だけが残ったのを、ただ見つめる事がある。日常という名の非日常みたいな。きっと毎日が日曜日だもの。常敏。
 学生改め無職になってしまった。やな宿題を本気でゴミ箱に捨て続けたらさらなる受動の低みが待っている。何が日曜日だふざけるな。金がない。


・硬軟
 ある機器に機能が集約されすぎると、かえって不便になる局面が、少ないながらある。具体的には、スマホで済むので普段俺は腕時計を付けないが、多くの試験では不正防止のためスマホの使用は禁止。つまりスマホ機器が併せ持つ通信や辞書機能のせいで、時計機能が死ぬ。ちなみにストップウォッチも禁止される場合があるので、麻酔針とか付いてない本当に単機能な腕時計がここでは理想となる。

 なんたらウォッチみたいな製品が出てて、スマホと並行して打ち出すような売りがどこにあるのかと訝しかった。今やスマホ一つで電話もゲームもチャットも写真撮影もニュースザッピングもできる。あの大きさに大体詰め込めるし、ショップアプリとかから新しいソフトウェアを換装できる。何でもござれだ。なぜ再びハード面の革新を狙うのか。そこで冒頭の話だ。一台が何でもこなすという事は、全てのソフトウェアがそのハードウェア性に縛られるという事でもある。
 スマホ画面はしばしば割れている。絞られた上で大きさと重さ、使用者が手で支える構造が、取り落としに繋がる。ゴムやカバーで補われてもいるが、腕時計型ならそもそも落としにくいだろう。ささいな用で出し入れもしなくてよい。スマホと併用すれば、通話画面を出しながら万歩計とか温度計とか見てもよい。だから?まあいい。ハードウェアへの凝縮、多機能化はある程度成され切っていると思うのだが、色々なソフトウェア機能を担えるようになった先にも、ハードウェアにはさらにカスタマイズ余地があり、ニーズも尽きない。そういう事なのだろう。


・小人カバー
 親戚がボケてきている。
 話は変わるが、人が大人になる過程で普通、子供っぽい部分は見えづらくなっていく。自他の抱える大人の部分が、子供部分を人前に晒しづらく仕向けていくし、かつては子供であった自らとしてもまた、大人を被ることをよしとしカモフラージュをされたがる。そのうち後付けした覆い同士でしか人と触れ合わなくなって、そっちが本心にさえなる。俺やお前が普通かはおいておいて。

 脳が閾値以上に老いると、そういう小細工が外れ出す。自他からの子供炙り出し圧と噛み合わせ不良になって、削れて果てて、メッキが剥がれる。秘密を公に晒す。大目的の為に個人差を折衝し社会行動を円滑化することよりも、笑って誤魔化しがちになる。有り体に言って、子供に戻る。さらに言うなら実際の子供も、過ぎた老人と同様な風情で生まれてくる。両状態を穏当に形容する言葉を俺は知らない。違うのは、坂の上り途中か下り途中かだけだ。
 大人が子供を子供扱いするのは、ずるいけど妥当であると思う。子供に勘付かれている場合もあるが、子供側の大人力が低い内は、跳ね除けるのはいずれにせよ得策ではない。子供が育つにつれその関係は変質する。大人を終えた人も自然、あくまで礼は重んじられつつ、何かの敬遠、庇護下には置かれざるを得なくなる。
 話は変わるが、ドイツでは、以前まで、青年の兵役義務の代わりに介護福祉業を選択する事ができた。思う所あって、似た真似をした事がある。案の定だ。

 個人は無限ではないので、かなりしょっぱい有限なので、遠からぬ道のりならば、せめてよく過ぎてほしい。話は変わるが、子供は甘やかされて育ってほしい。ひよこ陛下が仰るんだから間違いない。お願いしましたよ。

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