現場の視点から,教育哲学について考える~「大きなものさし」と「小さなものさし」~

わたしたち現場の実践家は,迷いのなかに埋もれがちな日々の実践に関して,あるべき姿に近づける道を模索しています。そのなかで,自分のうちにある幾つもの「ものさし」を使いながら,その道に光を見つけようとしています。

わたしたち現場の実践家が用いる「ものさし」の多くは,「小さいものさし」であることがほとんどだと思います。それは,教育現場が直近の状況において求めわれる尺度には,「小さなものさし」が適しているからであると考えます。

しかし,教育の根幹に関わる部分については,「大きな流れ」が必要であり,その尺度は現場の実践家たちが用いている「小さなものさし」では到底測りとることがでません。教育における哲学が「大きなものさし」,現場における実践知が「小さなものさし」だと考えます。もちろん,「大きなものさし」にはその利点と困難さがありますし,「小さなものさし」にもまた,その利点と困難さが存在します。大切なのは,「大きなものさし」で測りとったものを,「小さなものさし」を使って精密につくり上げる営みだといえます。それが,「理論と実践の往還」なのだろうと思うのです。

「大きなものさし」にも修正が必要なことがあるでしょうし,「小さなものさし」が欠陥を抱えていることもあるでしょう。でもそれは,「理論と実践の往還」をして初めてわかる部分なのです。わたしたち現場の実践家は,「大きなものさし」を借りながら,自分の持つ「小さなものさし」の尺度を確認していくことが求められると考えています。

わたしが,今,道徳の学習において借りている「大きなものさし」は,「多様な見方や考え方を許容する相互承認の感度を高める」ことと,「互いの違いを認識しつつ,落としどころとなる実現可能性を模索する」ことです。そのうえで,様々な実践手法を活用して,自分の「小さなものさし」を試行錯誤しながら作っては壊しています。

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