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『オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業』の読後感想

この本の編著者の一人である藤原友和先生との出会いは、いくつもの偶然がもたらしたものでした。尊敬する実践家の一人である大野睦仁先生と藤原先生とがclubhouseで対談しておられたのを拝聴したことがきっかけでした。そのなかで、この本でも紹介されている岡田健蔵氏の人物教材づくりの話をしておられ、私なりの雑感をお返ししたことから、交流が始まったという次第です。(ですから、まだ、直接お目にかかることはできていません)


この本は、編著者の「なぜ地域教材の開発が必要か」という切実な問題意識をもとに、地域教材の開発プロセスと、授業構成の方法について具体的に述べられています。また、函館と青森の先生方が作成した18本の地域教材と授業の概要が収録されています。以下、本の内容の過度な言及とならないように留意しながら、読後感想を記したいと思います。


ひとつ目のポイントは、地域教材の開発の必要性についてです。私自身も、日本一人口の少ない県に生きており、藤原先生の抱く「学校統廃合による地方消滅」への危機感は共感できます。

統廃合によって学校という核を失った地域では、その活力は著しく減衰します。そして、活力を失った地域に生まれた子どもたちは、活動の拠点としての地域を離れざるを得ません。その結果、地域の活力喪失の負のスパイラルによって、地方は徐々にその姿を消していきます。これは、決して絵空事ではなく、今ここにある現実なのです。

藤原先生は、この問題に対して、「3つの風船モデル」を示しながら、地域における教育的資源と子どもたちとを結びつけ、未来の地域づくりにつなげることを志向しました。その中核となったのが「道徳科における地域素材の教材化による授業」だったのです。


道徳科においてある程度の知見をもつ方々は、「地域教材は既に各地の教育委員会が主導して作成されているのではないか?」と疑問に思うかもしれません。私は、藤原先生たちが提示された地域教材と、教育委員会主導で作成された地域教材とでは、本質的に異なる部分が多いだろうと考えます。

私は、教育委員会などの公的機関が、地域教材として郷土の「偉人」を取り上げて教材化することには辟易しています。ある部分では、教科書で偉人を教材化することよりも、教育委員会が地域教材と称して「地域の偉人」を扱うことの方が、現状では、よほど大きな問題を抱えていると思っています。(それぞれの先生方が、それぞれの思いをもって作成されたものは、必ずしもこの限りではありません。あくまで「公的機関が」ということです)

一般的に、教育委員会等で地域の人物を教材化するためには、ハードルがいくつもあります。まず、「衆目の一致する聖人君子然たる人物」でなくてはならないということでしょう。そんな理想的な人物(私は何一つ理想的だとは思いませんが)が、地教委単位でそう何人もいるはずがありません。もちろん、「道徳科に適さない」として、本来は魅力的はずの人物が、この段階で撥ねられる場合もあります。魅力的な人物の教材化に待ったがかかることは、決して珍しいことではありません。

次に、「いわゆる「地域の名士」と称される人を取り上げるように」という有形・無形の圧力もあるでしょう。地縁を優先しがちな地方の風土というのは、少なくとも公的機関と言われるところにまで厳然と存在します。

さらに、これが地域教材の一番のネックになるのですが、客観的資料に乏しいという現実です。地域の人物伝と言われるものの多くは、その伝承形態が「口伝」に依拠しているものが多く、文書等の一次資料は極端に乏しい場合が多いです。口伝は時代を経るほどに美化され、事実と必ずしも一致せず、客観性に乏しいものとなりがちです。教育委員会等の公的機関が作成する地域教材は、その成り立ちから、客観性や傍証に乏しく、極度に美化された範例的教材となる危険性を内包しているものだといわざるを得ないのです。


対して、本書で示されている地域教材の要件は、以下の3点にまとめられると思います。

①地域教材だからこそ、本当に身近な「人・もの・こと」を取り上げる。

②本当に身近な素材であれば、実際の声をひろったり、現地の様子を確認できたりと、客観的な資料を集めることが出来る。

③広く共有できそうな社会問題や人物についての教材は教科書にゆだねて、地域そのものの特色を生かすことが、地域教材の本来の目的である。

これらの視点をベースにして作り上げられた地域教材は、各地で編纂されている郷土資料と呼ばれる教材群とは、その成り立ちからして一線を画しているとものだということがわかります。


ふたつ目のポイントは、教材の開発プロセスと授業構成についてです。この本では、地域教材作成のための素材を「ひと・もの・こと」から見つけることを提案しています。各地で作成されている地域教材の多くは「ひと」を中心にして作られているものが多いのが現状です。もちろん、「ひと・もの・こと」の3者は不可分なものですが、それでもあえて「もの」や「こと」を中心に据えようとする視座は、これからの道徳科の教材づくりにおいて大切にしたい視点だと考えます。それは、これからの道徳科において重視したい「現代的諸課題」に関する内容の特質として、「もの」や「こと」というフィルターを通して顕在化することが多いからです。現代的諸課題は、地域の問題のみならず、SDGsの視点など、子どもたちと共に考え、議論するために必要な要素として、大切にしていきたいと考えます。

教材の活用類型と授業構成についても、先行研究をもとに的確に整理されていると感じました。拙著を参照していただいているからというわけではありませんが、地域教材を効果的に活用するための方策としてだけでなく、教科書教材を用いる際のひとつの指針としても大いに役立つ提案となっています。


最後に、18の教材と実践例についてです。教材の活用類型として「ひと・もの・こと」の違いはあっても、そのどれもが、「地域教材を取り上げることの意義と本質に迫る」ことに主眼が置かれていました。

「ひと」を例にすると、「批判しても、批判しても、なお輝きを放つこの人物の生き方の源泉は何か」を探求するために、「その行動を支えていた思いに迫ろう」という問いを中心に位置づけ、多様な視点から考えを深めることで、過去の出来事という時間の壁や、社会情勢の違いという壁を乗り越え、地域への思いを新たにするといった実践が紹介されています。

岡田健蔵の授業はまさに本書に示された考えを具現化したものでした。昆布の養殖事業に生涯をささげた坂田孫六の授業も、葛藤場面を効果的に活用するための発問構成がなされていると思いました。また、「こと」の活用として紹介されている絵本『さくららら』を用いた授業は、高学年だけでなく、低・中学年でも実践できる可能性のある提案だと感じました。


本書で紹介されているなかに、宮沢賢治の授業もありました。私も、2019年に帯広小学校で「宮沢賢治」で飛び込み授業をしたことがありました。そのときの授業の構成(下の板書写真)と、本書の授業記録とを比べ、私の実践の至らない部分は多々あるにしても、根底に流れる考え方に共通する部分があると感じ、とても心強く思いました。

2019 宮沢賢治 板書

「地域に生きる子どもたちの未来を拓くために、私たち教師に何ができるのか」という足元を見つめ直す機会を与えていただいたと感じた一冊でした。

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