黄金のレガシーは欧米的な多様性の正しさで血の繋がった家族を否定する話だった

王位継承で争う子ども3人はそれぞれ欠点を抱えてる。
一人一人の力では双頭の父親を超えれないけど3人で力をあわせて
父親を超える王になりました。ではダメだったのかとずっと考えてたのだけど、実子であるゾラージャが養子がいるのに王位を継ぐのは欧米視点では正しくないからダメだったのだというのに気づいた。

…前回いろいろ書いたけども各キャラについて改めて思ったことを書いておきたいと思ったのでつらつら書いてみる。独断と偏見に満ちているので気をつけてください。
記事タイトルのように思った理由は最後らへんの【黄金のレガシーでの「家族」】から以下で書いてるので結論が気になる人はそこだけ見てください。

グルージャジャ

作中で良い王で良き父って言われてるけど、そんな風にはまったく見えない。というか実子より養子優先してるようにしかみえない。
ヒカセンにウクラマトのことを頼んだりとウクラマトに対しては最大限心を砕いて常に心配するくせにゾラージャに対しては無関心な描写ばかり。
そしてそんなゾラージャが謀反を起こしたときにやっと「親の責任」みたいなことを言い出すし、しかもゾラージャに勝てる気でいる。
この父親、ゾラージャのことなにも見てないんだなってこのシーンで思ったわ。息子がよくわかんない見たことないスゲー艦隊と兵士を引き連れて、みたことない武装してきてるのにそれに対して父親は危機を感じることなく「勝てる」って確信するほど侮ってた。どうせ大したことなんて出来ないだろうと思ってたからゾラージャがいなくなってもどうでもよかったんだね。

多数の部族の絆を紡いでトライヨラを作った王は、実子とは最後まで絆を結べなかったし、なんで実子があんな行動をしたのか最後まで知ろうとすることなく殺した(魂ストックを知らなかったので事実殺すつもりできったし、実際あそこで一度ゾラージャは死んだ)
ゾラージャが完全に壊れたのはあそこで父親に殺された瞬間だと思ってる。

あと良い王で彼のおかげでトライヨラは平和になったって言ってるけど、それは結局今まで強大な力をもった海の向こうの他国が攻めてこなかったから保ってたもので、スフェーンが攻めてきたらあっけなく崩壊するものだったとわかったのもひどい。
あと気味が悪いくらいに王妃の存在が無視されてるけどなんで?
ゾラージャのお母さんは最初からいないかのように存在が見えないんだけどもテキスト見落としてた?

ウクラマト

「多様性の擬人化」
ウクラマトを否定することは多様性を否定することなので悪。
ウクラマトの言動に疑問を呈するのも多様性に対する無理解として悪。

「知る」「平和」「笑顔」「家族」が口癖だけども、ストーリーが進むごとにそれらのワードが他者に対して「矯正」になってるの怖すぎるんだよ。
「これは自分が思う平和じゃねぇからこんな考えもってるやつらは潰す!」っていうの独裁思考すぎるしこれが王になったのヤバ~って思った。
「双頭の教え」を知ったウクラマトは即座にそれを否定し廃止するよう動き周りも「実はこんなことしたくなかった」で廃止されてめでたしめでたしって終わったけど…これ本当にめでたしなの?みんな突然IQがゼロになってウクラマトの提案は正しいって思考停止しちゃってるけど、ウクラマトが野蛮な信仰や思想だと思ったら粛清☆ってことだよね。
これの片鱗がアルパカでちょっと見えてたけど、アルパカも小さいころに唾を吐かれたのがきっかけでアルパカが無理になり、継承の儀でアルパカを知ったから好きになったって言ってるけど…これってアルパカを自分の力で制御できる(コントロール下における)ことをしったから好きになったのかなって。自分の手元にいて逆らわない存在になったから愛でるってエグい。

ゾラージャを殺す場面にグルージャがいるようにしたのもこれ「わからせ」だよね。王として君臨していた父を目の前で殺して父親のやったことをすべて否定する…そのあと一人ぼっちになったグルージャに「私は家族だ」と何度も言うのは洗脳にしか見えなかった。しかもソリューション9で国民に「スフェーン死んだからグルージャがここの王ね、自分は後見人な!」って言うの、これただの侵略行為なんだわ…。
ゾラージャを殺したのもスフェーンを殺したのもウクラマトと従者ヒカセン達で、二人とも殺したウクラマトが意気揚々と後見人としてグルージャを王としてたてるって国民がその事実を知ったら暴動起きない?大丈夫?
自分と意見の合わない二人の王は殺したから、これでみんな平和で笑顔!って悪役令嬢もびっくりな行為だよ。
それを間近で見たグルージャが自分の意見をウクラマトに言えるんか?
ウクラマトの言うことを聞くイイ子じゃないと自分も父親のように粛清されるってならない?
そして曖昧なままぼかされてるけど、ウクラマトがやったことってソリューション9の国民の死生観や今までの生き方を否定する行為だということ。
スフェーンは「魂ストックシステムが気に入らない人は頭の装置つけなくてもええ」っていう相手の考えを尊重はしていた。
ウクラマトはどうかというと「こんなの間違ってる」で全部ぶっ潰して終了。今までの死生観や生き方を「間違ってる」と否定された人たちへのケアはなく「グルージャが王になるからあとはよろしく」で放り投げた。
壊すだけ壊して、あとの立て直しはソリューション9の人たちでよろしく~ってしちゃった。この投げっぱなしっていうのは、エンディングの石碑が映るところでも現われててウクラマトにとってはソリューション9も黄金郷にいったことも石碑にするほどのことじゃないってのではっきり可視化されてる。ウクラマトにとって今回の旅でなにより大事だったのは、自分とコーナが王になったことだけ。ゾラージャもスフェーンもソリューション9や黄金郷はウクラマトにとって記録に残すほどのことじゃなかった。
ウクラマトが終始一貫してたのは「地味でめんどうなことは人にまかせる」「派手でわかりやすいところは自分がやる」「傲慢」さ。
「傲慢」さは「相手を知れば好きになる」や「家族だ」というセリフにも表れているしそれが一番顕著なのは黄金郷に突入前に「アンロストワールド」と名前をつけたこと。向こう側の世界を見る前に、知る前に、勝手に名前をつけるっていうのあまりにも敬意がなくバカにしてる。
結局ウクラマトがした行為というのは、多様性と謳いつつ自分が許容できない文化や信仰、または従来の価値観は潰して自分と同じ思想に矯正しますってだけなんだよね。

いろいろ書いたけど、ウクラマトは運営の被害者であるとも思ってる。
運営が「ウクラマトは知れば知るほど好きになる」っていう呪いをかけなければよかった。運営の呪いでウクラマトを好きになれなかったプレイヤーは
悩むことになり、ウクラマトを好きになったプレイヤー(の一部)は好きになれなかった人に対して攻撃的になってる。運営がウクラマトを好きになるっていってんだから好きになるほうが正解で好きにならないのはプレイヤーとして間違ってるっていう呪いをかけたせいでこうなっちゃった。
運営が呪いをかけなかったら、ウクラマトに対してもっと違う見方をしてたのかもしれない。

バクージャジャ

お可哀そうな過去があるのですべての罪は帳消しになる無敵な奴。
バクージャジャはなんでこうなったかっていうと「血の繋がった両親がいて、それに育てられたから」としか言えない。黄金のレガシーでは血の繋がった両親に育てられるというのは古臭い前時代な考え方で先進的な多様性と相容れないから。それをプレイヤーにわからせるためにバクージャジャはいる。バクージャジャが悪いのではなく、親が悪い、断罪されるべきは血の繋がった実の両親なのだというのを見せたいだけなので、バクージャジャがなにをしてもみんな本気で怒らない。そしてバクージャジャがなんでウクラマトに許されたかというと、彼は実の両親の行いを、信仰を否定したからだ。血の繋がった両親を否定し、彼らが信じていた信仰を捨てるという「正しき行い」をウクラマトに見せたからすべての罪は許された。要するに踏み絵だったのだ。ウクラマトが出した踏み絵をまっさきに踏んだから許されたのだ。

コーナ

ウクラマトを自由にさせるためだけの装置。
ウクラマトには自由に行動させてヒカセンと常に一緒にいるようにさせたいけど、それしたら王としてどうなのって突っ込みきそうだからな~
せや!コーナを理王にすれば国政はコーナにまかせてウクラマトは自由に行動してもおかしくないやろ!って考えのもと作られたと思う奴。
ウクラマトがなにを言おうがなにをしようが全肯定するのがわかってるし実際「ラマチがいうならいいと思う」しか言わないのでウクラマトとコーナのカットシーンを見るのが一番無駄とさえ思う。
コーナが国を豊かにしようと最新技術ばかり追い求めてしまい、この土地に住む人の文化や気持ちをないがしろにしてしまったって反省するところあるけど、双頭の教えをぶっ潰したあとなのもあったからこのシーンはちょっと面白かった。
最新の技術に対して国民の一部は否定的な描写があったけど、そのあと最新技術をもったツエー奴らに侵略されてどう思ったんだろうかというのは気になる。ラザハンからつよつよドラゴンがきてくれたからどうでもいいんだろうか。行き当たりばったりな王だから行き当たりばったりな民しかいないな。

ゾラージャ

グルージャジャと血の繋がった実子だから虚無になった代表。
血の繋がりを否定するための存在で従来の家族観を否定するために生まれた子。
グルージャジャもウクラマトもコーナも、誰もゾラージャに無関心で彼の心のうちをどうでもいいと知ろうとしなかったのでゾラージャの描写が薄いのも仕方ないですね。これはあくまでもウクラマトが主人公の話なわけで、ウクラマトがゾラージャに無関心ならそりゃあうっすい感じになるよね。
グルージャがなんで生まれたのか、なんで生んだのか、母親は?っていう謎があるけど、それはきっと「正しくない疑問」なんだろう。
ゾラージャは自己否定タイプだから誰かに肯定されても自分が納得しない限りコンプレックスを抱えたままだというのを見るけど、自己否定な性格になるまでほっといてたグルージャジャやウクラマトやコーナはなんなの?こいつらが言う家族ってなに?ってなる。なるんだけども、グルージャをみてるとなんとなくゾラージャがどんな扱いを受けていたかを察する…というか妄想してしまう。
結局ゾラージャは自分がグルージャジャにされたことをグルージャにしてるだけだったんだろう。
最後まで従来の家族観や血の繋がりに拘ったため、正しくないとして断罪された。

グルージャ

ウクラマトの傀儡。
父親が亡くなる間際に一瞬だけ自我を見せたが、すぐに消えた。
母親のことに関して誰もが不自然なほど話題に出さないから
実はゾラージャの魂を分けた存在か?と思ったがそんなことはなかった。
ウクラマトが父を殺すことを許し、父の死の間際に血の繋がった父を糾弾し否定するという正しき行いをしたのでウクラマトに家族として迎え入れられた。よかったね。

ケテンラム

グルージャジャの死の間際、背中をむけて座ってる場面とかすべてにおいて作り手の年齢が見えてくるような人物。描写があまりにもガバガバなので突っ込んでも仕方ない。

生命エーテルを奪うなんて間違ってる!おかしい!そんなの正しくない!
って散々相手を否定してたのに「生命エーテルでできたポップコーン食べます~ww」「家族で食べるアイスおいしい~www」っておかしくない??
双子については下手にウクラマトにアドバイスしちゃたら多様性を否定することになるので終始ウクラマトを肯定する感じになっていた。賢い判断だ。

スフェーン

優しい王女様の記憶をプログラムされてるからか、ちらちらヒカセンにも話題を振ったり視線をくれる人。最後の最後で一応ヒカセンに鍵を渡して会話をふるけど、こっちが返答してもあいまいに微笑むだけでそのあとすぐにウクラマトと盛り上がるあたり、興味ないけど気を使ってるっていうのがわかるっていうのが最大の泣き所。

黄金のレガシーでの「家族」

これはただの妄想で陰謀論に近い深読みかもしれないが、黄金のレガシーの主要人物の家族関係は父親のみや血のつながりのない養子は家族関係が良好というもので(親が子を愛する描写がふんだんにある)
それに対して両親とも血がつながってる家族の描写は歪なものになっている。バクージャジャの父親にたいしては主要人物が反省を促すし、母親も自分が悪かったのだと自分たちのせいで子どもはこうなってしまったと反省する。
クルルの両親はクルルに謝り、クルルはおじいちゃんに育てられ幸せだといって両親はそれを聞いて安堵する。
両親が揃ってるところは子どもにたいして「私たちが悪かった」っていう描写二回も入れたのはワザとだろうなとさえ思った。

血のつながった両親が揃った家庭は機能不全でその子もやさぐれるが、片親のみ、または誰かの養子になった子どもは素直でイイ子に育つ……
(カフキワについては、子どものエレンヴィルを人に預けて冒険を優先していたという描写がわざわざされている)

家族は血のつながりじゃないってことを言いたいんだろうけど、あまりにも血の繋がった家族に対しての描写があからさますぎてウーンってなった。
だから本来は感動シーンとして入れたであろうナミーカとウクラマトの最後の場面も「実の子どもを亡くしたけど、ウクラマトの笑顔で救われた」「ナミーカはお母さんだ」というやりとりで「ハイハイ、また血の繋がりより大事なものってやつね」としらけてしまった。
これすごい嫌な考えだけども「母」をあえて出さないのは「いろんな家庭がいるのにそこを気にするなんて、価値観のアップデートされてないですよ」ということなのかもしれない。

多様性を表現したいのかもしれないが、多様性って他のものを下げなくてもできるじゃないですか。今までのFF14のストーリーは相容れない思想や考えがお互いにあって、一方的に悪だと思っていた存在も片側だけの視点で見ると悪だけどももう片側から話を聞くとそういうことじゃないとわかるつくりになっていて、その上でこちら側のエゴを貫き通すというつくりになっていた。いい意味で「日本のクリエイター」らしいものになっていた。
でも欧米的な多様性というのは、曖昧な状態を許さず、従来の考えや在り方は古く悪しきものとして正さなきゃならないというのが強い。
今回のストーリーで言うと、実子と養子が王位を争うとき、実子が勝ってしまえば養子をないがしろにしたということで正しくない話になってしまう。
でも養子が王位を継いでめでたしめでたし…も完全な正しさではなく、血が繋がった実子を完全否定することでようやく「従来の家族の価値観を破壊した」として合格点をもらえる。
片親が父の場合母の存在が曖昧にぼかされているのも、それはそもそも母ではなく「子を産むためだけの存在」としてあるからだ。「子を産んだもの」を母と呼べるのかどうか…というとナミーカとウクラマトの会話をみるとわかるように、それは母ではないと否定される。ウクラマトは「知りたい」を口癖にしてるが自分を産んだ母を知ろうとは思わない。それは何故かというと産みの母親を知ろうとするのは古い家族観に縛られた正しくないものだからだ。
ゾラージャが殺された場にグルージャがいたのは、正しさをわからせるためだ。血の繋がった親子は分かり合えない存在として否定し、血の繋がらない家族こそ価値があり真にわかりあえる正しい家族なのだと肯定する。
その正しさを説くためだけに、ゾラージャとグルージャジャは殺し合いをしてグルージャはゾラージャが殺されるところに立ち会った。

黄金のレガシーとは

欧米的な正しさを説き、また血というものを否定する話だった。
多様な民族があわさったトライヨラは、エオルゼアと違い誰かが虐げられることも争いもなく平和でみんなが笑顔になれるんですという正しさ。
血の繋がらない家族こそ「真の家族」とする正しさ。
血を重んじる信仰は古臭いと断罪する正しさ。
血の繋がった家族との繋がりを笑顔で断ち切る正しさ。

「正しい」とされたものに疑問を述べるのは正しさの否定になるので許されない。黄金のレガシーでウクラマトという存在は「多様性の擬人化」であるのでウクラマトの言葉に疑問をもったり、別の視点を見せる行為は多様性の否定につながるので許されない。だからヒカセンも暁も新生からの体験をすべて忘れたかのようなふるまいをしている。ウクラマトを否定すれば「レイシスト」と断罪されるからね。

今後も欧米的な正しさと従来の価値観の否定に重きを置いた話になっていくんだろうなという感じがするのでひとまず課金はきって様子見します。

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