【短編小説】マッチ・ボックス ①


【あらすじ】

 倉敷市内で小さな運送業を営みながらヴィンテージ・ミニカーのコレクターをしている「私」。「私」は、倉敷紡績の二代目であり大原美術館の創立者である大原孫三郎を、自分勝手に人生の師匠と仰いでいる。
 ある日、友人の義父が亡くなり、故人の遺品整理の手伝いを依頼される。故人の書斎の整理を始めると、そこには希少なヴィンテージ・ミニカーがあった。「私」は、それをどうにか譲ってもらおうと友人に頼み込むが、願い叶わず断られてしまう。
 “あれだけの品を素人の手元に置いておくことは許されない”。ミニカーの収集は人類の文化を後世に伝え残す大事な仕事だと考えている「私」は、故人のミニカーを盗み出すことを決意する。ターゲットは、トゥーツシーのフォードT型と、マッチ・ボックスのベントレー・ル・マン。
 完璧な犯行計画を練ったはずの「私」が、どうして捕まってしまったのか。郷土の偉大な先人コレクターを盲目的に崇拝する中年男性の「私」が、取り調べの刑事を相手に繰り広げるシュールな滑稽譚。



<1>

 「どうしてやったんだって言われてもねえ……。わかりました。私がやったことのすべて、動機から実際の行動にいたるまでのすべてをここで洗いざらいお話しましょう。しかし、刑事さん、少々時間を要しますが構いませんか? わかりました。なるだけ手短に話してみましょう。

 まずはじめに、私たち収集家が平素より抱いている使命感について話をしなければなりません。これは、今回の出来事を理解する上で大事な鍵となる話ですから、どうかよくよくお聞きください。いいですか、まず、収集という作業はですね、いま流行りのヲタクとかマニアとは似て非なるものなのです。一見では同じようなことをやっているように見えるんですがね、まったく違うというか、私どもとしては一緒にしてもらっちゃ困るわけですよ。じゃあ、一体なにが違うと言うのか。はいはい、いまからちゃんと説明しますよ。

 まずね、我々の行う収集には、きちんとした定義があります。そう、定義があるんです。それをわかりやすく言うと、つまり、収集という行為とは、ある物を本来の実用的な機能からなるだけ遠ざけて、非日常的な体系の中に組み込むということなんですね。例えば、今回の出来事の主人公であり、私の収集対象でもあるミニカーで言いますとね、ミニカーというのは本来子どもたちの遊戯に使われるものでしょう。玩具ですからね。それを、我々は子どもたちの手から取り上げて、その歴史的価値、あるいは製造にまつわる技術的特徴などによって系統立てて分類していくわけですよ。それが収集という作業です。一方でね、ヲタクだとかマニアというのには、そういったいわゆるアカデミックな定義がありません。おわかり頂けますでしょうか?

 あと、もう少し詳しい話をしますと、あるヨーロッパの著名な歴史学者は、『収集する』ということについて次のようなことを言っています。第一、それは営利活動の外側で保たれていなければならない。これはつまり、あるお店が利益を上げるために売り物として仕入れたり集めたりすることは『収集』ではないということです。言い換えれば、我々の収集するものというのは、金儲けのための道具ではないということです。いや、わかりますよ。希少なものには高額の値段がついて、ありふれたものには鼻くそみたいな値段しかつかない。それが市場原理というものでしょう。だから、常に金儲けのための道具として利用されるリスクというのはあるんです。だけどね、本当の収集家というのは、そんなことを考えません。我々にとっては、貨幣よりもその収集対象の方が現実的な価値になるんですよ。つまり、収集の世界というのは、市場原理とは切り離された純粋で高潔な世界ということです。

 それから第二、収集されたものは特別な保護のもとに置かれなければならない。これはつまりね、保管と修復の問題について言っているわけです。ここで、さっき言った『我々の使命感』に触れることになるんですけどね。私たちは何も自分のためだけに、すなわち欲望のままに収集しているというわけではないのです。例えば……。そうですね、やっぱりミニカーですね。ミニカーのお話をしましょう。刑事さんは、たかがミニカーと思われるかもしれませんが、ミニカーといえども歴史があるわけなんですよ。いまが二〇一四年ですから、およそ百年の歴史があるわけです。その歴史をね、仮にこのさきに生きる誰かがあるときにふと知りたくなったとしようじゃありませんか。そのときに、誰もその歴史を語る人がいなければ、歴史を証明するものが遺っていなければ、未来の人たちはミニカーについて何も知ることができないということになりますよね。だから、私たちは、人類が創り上げた偉大な文化の遺産であるミニカーを後世のためにきちんと遺そうとしているわけですよ。そのためには、現存する歴史的価値のあるものは出来るだけ元の形のまま保管して、出来ることなら修復をするべきだというわけです。

 第三。これも『我々の使命感』に通じているんですけど、収集されたものは、閉じられた空間に置かれるべきではなく、常に公衆の目に触れるところに置いておかねばならないということです。要はね、さっきも言いましたが、自分のためだけに収集するようではいけないということです。ここにも私たち収集家と、ヲタクやマニアとのはっきりとした違いが表れているわけです。つまりね、私たちの行っている収集というのは、人類のための献身的な行為ということなんですよ。我々の収集がはかどれば、それはすなわち人類の財産になるわけです。刑事さん、ここまではおわかり頂けましたでしょうか?」


 「では、ここからはあなた方の言う『盗品』を、私がどのように手に入れたかということについて話をしましょう。あれは確か、昨年の十月上旬でしたね。私の携帯電話に一本の着信がありました。それは、そう、水村さんの奥さんからの電話だったんですね。水村さんご夫妻と私は、もう三十年来の付き合いでしてね。電話の内容というのは、ちょうど八月の下旬でしたかね、水村さんの義理の父親、つまり奥さんのお父さんが亡くなってしまって、実家の整理をしたいから手伝ってくれないかということでした。奥さんのお母さんは、もう十年以上前に亡くなってしまっていたのでね。というのも、私は運送屋の仕事をしておりましてね。普段から仕事で使う車に乗っておりましたもんで、その車で実家の様々な遺品をしかるべき場所に運びたいということだったんです。まあ、三十年来の付き合いですし、水村さんには普段お世話になっておりましたから、私は二つ返事で了解したわけです。

 その次の週末でしたかね、私は水村さん夫妻と一緒に奥さんの実家を訪れました。奥さんの実家は北区にあってね。えーっと、津高台でしたか……。ええ、そうですね。津高台。それはもう立派なお宅でしたよ。刑事さんたちも何度も行ったでしょう。その日は、はい、山陽道で行きました。岡山インターで下りてね。混んでなかったから、小一時間くらいで着きましたね。到着したのが、ちょうど昼過ぎでした。実家にお邪魔すると、奥さんの妹夫婦がすでに到着していて、さきに遺品の整理を始めておりました。つまり私たちは、五人でその作業を進めることになったんですね。それで、最初の方は、私も唯一親族ではないということで、水村さんたちに言われた通りにまとめられた段ボールを車に積むという作業をひたすらにやってたんです。だけど、それが次第に段ボールにテープで封をする作業を任され、段ボールに遺品を詰め込む作業を任され、ついには遺品の中から遺しておくべきものと、捨ててしまうものを選別する作業を任されるようになりました。なにせ広いお宅でしたからね、猫の手も借りたいくらいだったんでしょう。そこに私のような、一応猫よりも使える人間がおったわけで、それで私は借りだされたわけです。

 あれは、ちょうど夕方の五時頃でしたね。私は、水村さんと一緒に故人の書斎の整理を始めました。するとね、もう部屋に入った瞬間わかりましたよ。部屋に入って左側の壁に大きな棚がありましたでしょう。そう、あそこになんと、ミニカーのコレクションがあったんですね! 私の心は躍りましたよ。それでね、そこに並んでいるミニカーを一通りざっと見ていくと、故人はそこそこミニカーについての見識があったようでね。どれもなかなかの品だったわけです。例えば、アメリカのトゥーツシーとか、イタリアのマーキュリーとか、ドイツのメルクリン、シュコー、フランスのソリド、ノレブ、イギリスのディンキー、マッチ・ボックス、コーギーなんかのそうそうたるブランドのミニカーが五十台くらい並んでいるわけですよ。

 『お義父さんはミニカーの趣味があったんだね!』私は思わず水村さんにそう言いました。

 『ああ、俺も最近知ったんだけど。家内が言うには、むかし海外の出張が多かったみたいでね。出張に行くたびにお土産で買ってきてたみたいだよ。でもお土産と言っても、家内の家は女ばかりだから、ミニカーなんてもらっても全然嬉しくなかったみたいでさ。そんなものいらないって。それで、ついには自分のコレクションにしたみたいだね』

 興奮している私の隣で、水村さんは遺品整理の手を休めることなく、冷静にそう説明してくれました。私はそれまで奥さんのお父さんが亡くなったことについて、『まあ、もう高齢だったから仕方がない』くらいに思っていたんですが、そのときばかりは、生前にお目にかかることができたら、どれほど心の通じ合う友人になれただろうと思いましたね。

 いやあね、それで、そのあと整理をしているふりをして、じっくりと故人のコレクションを見ていると、掘り出し物が二つほど出てきたんですよ。まずはね、先ほども言いましたトゥーツシーのフォードT型。これはアメリカのダウスト社が一九一五年に製造したものでね、元祖ミニカーと呼ばれているものなんですね。私はこの品を、アメリカの収集仲間から写真で見せてもらったことはあったんですが、実物を見るのはこのときが初めてでした。あと、これもとても珍しいのですが、一九五八年発売のマッチ・ボックス。イェスター・イヤー最初期のシリーズ、一九二九年型ベントレー・ル・マンがあったんです。いや、これはね、実は私もすでに一台持っていたんですけど、なんとお義父さんはその箱まで大事に保管していたんですよ! マッチ・ボックスというブランドはね、イギリスのレズニー社が出したものなんですけど、その名の通り、マッチ箱サイズの箱に入れて売り出されたミニカーなんですね。それで、その箱というのが貴重なものでね、ほとんどの人は箱なんて大事に保管していないんですよ。まあ、そりゃそうですよね。子どもの玩具の箱を大事に保管している親の方が珍しいですよ。だからね、収集家がマッチ・ボックスの箱を集めようと思い始めたころには、ほとんどの箱はゴミとして捨てられ、灰に姿を変えてしまってたわけです! ああ、なんともったいない! だけど、水村さんのお義父さんは箱を大事に置いていたんですね。

 お義父さんは素人収集家ですから、その保管状況などを見ると、彼の仕事ぶりは決して褒められるものではありませんでした。だけどね、箱を取っておいたということについては、もしかしたらお義父さんには、持って生まれた収集家の才能があったのかもしれません。それでね、私はもうなんと言えばいいのかわからないんですけど、収集家としての魂に火が付いてしまいましてね。『これはなんとしても手に入れなければならない!』と思ったわけですよ。『この子たちを、この悪辣な環境から救い出さなければならない!』ってね」


 「私はみなさんの作業の邪魔にならないタイミングというのを見計らっておりました。どうにかこのトゥーツシーのフォードT型と、マッチ・ボックスのベントレー、もちろん箱付きで、これらを譲ってもらおうと思ったのです。このときの私の心境というのは、『もしよければ』というような曖昧な態度ではなくて、『断固として手に入れる』という頑なな決意でしたね。そう、それで、私はその話をいつ切り出すかというタイミングを窺っておりました。

 時計の針が午後七時を過ぎたころでした。

 『そろそろ夕食でも食べに行きましょうか』お義父さんの書斎に入ってきた奥さんが言ったんですね。

 『そうだな。今日はもうこんな時間だし、残りはまた今度にしよう。じゃあ、みんなで駅の方まで出るか』水村さんがそう言いました。

 私は、食事のときにこの話を切り出すしかないと思いましたね。私たちは、私の車と妹夫婦の車に分かれて乗り合わせ、岡山駅の方に向かい、なんだか野球場みたいなところの近くのイタリアン・レストランに行きました。オシャレな雰囲気のお店です。ええ、そこそこ。そのお店です。あそこの店、なかなか美味しいですよね。刑事さん、行ったことありますか? まあ、そんな話はさておき。私たちは、それぞれが一つずつパスタを注文して、前菜と、確か肉料理を何品か頼みました。食事中は他愛もない話をしました。妹夫婦の娘が大学を卒業してCAになったとか、水村さんの家で飼っている犬がもうすぐ死にそうだとか。

 腹ごしらえを済ませて、コーヒーを飲んでいるときに少しばかりの沈黙が訪れました。みんな一日作業をして疲れていたんでしょうね。ちょうどその時に、私はいまがチャンスと思ってついに切り出したんです。

 『ところで奥さん。お義父さんの書斎に、ミニカーのコレクションがあったね?』

 『ああ、あったわね。それがどうかしたの?』奥さんはコーヒーを一口すすってそう言いました。

 『いや、実はね、私はもうどれくらいになるかな。三十年以上も前からミニカーの収集をしているんだよ。それでね、もしよかったら、いや、是非ともお義父さんのコレクションの中から譲ってもらいたいものがあってね』

 『まあ、そうだったの。あなたがミニカーを集めているなんて、初めて聞いたわ』

 『お義父さんのコレクションはね、その方法は素人の域を超えないんだけど、品としてはかなり良いものが揃っているんだよ。中でも私が目をつけた二つというのは、もうね、人類の財産と言っても過言ではない品なんだ。その二つを是非譲ってもらいたいんだよ』

 『私はいいんだけど、あなたどう?』奥さんは妹さんにそうやって尋ねました。

 『私も別に構わないわ。今日も一日手伝ってくださったわけだし。だけど、念のために良子姉さんに聞いてみないとね』

 ええ、良子姉さんというのは奥さんのお姉さん、つまり二人の姉妹にはもう一人姉がいたんですね。私もそのとき初めて知りましたよ。三十年来の付き合いと言いっても、お互いに知らないことというのは意外とあるもんなんですね。

 『じゃあ、こうしましょう。良子に聞いてみて、彼女の許可がもらえたらミニカーはあなたに譲ることにするわ』奥さんがそう言いました。

 私はもう、天にも昇るような気持ちになりましたよ。だってね、その時点で三姉妹のうち二人の許可を得たわけですからね。多数決で言えばもう決まりですよ。私ははやる気持ちを抑えきれずに奥さんに尋ねました。

 『ところで奥さん、お姉さんにはいつ頃聞いてもらえるかね?』

 『そうねえ。いつ頃に聞けるかしら。いや、というのもね、良子はいま南アフリカにいるのよ。向こうの人と結婚してね。それで、あの人、私より十も歳が上だから、パソコンを使いこなせないのよ』

 『じゃあ、国際電話とか……』私はそう言いました。いま思えば図々しい話ですよね。でも、そのときの私は、もうミニカーのことしか頭になかったんです。

 『それがね、あの人ったら、よっぽどのことがない限り高いお金を払ってまで電話してこないでって言うのよ。頑固者なのよね。きっとお父さんに似たんだわ。だって、聞いてよ。こないだだって、お父さんが危篤になったときに私が電話したら、死んでから電話してきなさいよって。ちょっと難しい人なのよ。結局お父さんのお葬式にも帰って来なかったくらいだから』

 『そうですか……』私は落胆の色を隠しきれませんでした。

 『あ、でもね。この前の電話で、今度の年末年始は帰国する予定みたいなことを言ってたから、そのときに聞いてみるわよ。なにもいますぐ手を打たないとなくなっちゃうわけじゃないんだから、もうちょっと待ってみて』と、そういうことになったんですよ

 もうね、それからの約二か月というもの、私は寝ても覚めても水村さんのお義父さんの部屋で見たあの二台のミニカーと一つの箱のことしか考えられませんでしたよ。さっきも言いましたけど、私は運送屋をやっているもんでね。仕事中に車を運転していても、前の車がフォードT型に見えたり、すれ違う車がベントレー・ル・マンに見えたり。自分の車に積んでいる段ボール箱が、マッチ・ボックスに見えたりしましてね。自分でもちょっと頭がおかしくなっちまったんじゃないかと思いましたね。本当に長い長い二か月でした。毎朝鏡に向かうと、日に日に自分の顔が老けていくのがはっきりとわかるくらいにね。それで、ようやく年末を迎えたわけです。ここからは、日時もはっきりと覚えていますよ。

 ちょっと、刑事さん、大変に申し訳ないんですが、お手洗いに行かせてもらっても構わないですか? ええ、すぐ戻りますから。すみませんね。はい」



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マッチ・ボックス <2>
https://note.mu/mor_i/n/n35171586191c


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