【短編小説】 マッチ・ボックス ③


<3>

「私はまず、良子さんが帰国する日取りを確認しました。水村さんが言うにはね、一月いっぱいは日本に滞在しているということでした。それで、さりげなく例のミニカーがいまどこにあるかということも聞いておいたんです。水村さんは、『南アフリカに帰る前に、実家に行って向こうに送るものを箱詰めするみたい』と言うもんですから、まだそれは奥さんの実家にあるということがわかったんです。だからね、私は計画の実行を一月十二日の夜更けにすることにしました。ええ、日曜日です。あんまり遅くなると、良子さんが持ち出してしまいますからね。

 とは言ってもね、私はこれまでに人様のものを盗んだことなんてないわけですから、その計画を実行するまでの残りの期間、綿密に戦略を練ったわけです。あ、もちろん、学生時代に図書館の本を返さなかったことぐらいはありますけどね。まあ、それはさて置き、奥さんの実家というのは、さっきも申しあげたとおり閑静な住宅街でしたから、荒々しい侵入というのはまずいわけですね。そこで私は、あらゆる手を尽くして鍵の開け方というのを調べました。針金を使ってね、いわゆるピッキングというやつです。もちろん私には、仕事も家庭もありますから、捕まってしまうわけにはいかないわけでしょう。だから、侵入した痕跡を残さないために、鍵の閉め方まで調べましたよ。奥さんの実家にこっそり忍び込んで、目的の二つのミニカーと一つの箱をポケットに入れ、何事もなかったかのように鍵を閉めて出てくる。水村さん夫妻や良子さんもね、長いあいだお義父さんのコレクションを目にしていないわけですから、そのうちの一つや二つがなくなっていたって気がつくわけがありませんからね。私の計画は完璧なものでした。

 それで、私の収集家人生がかかった一月十二日、すなわち一昨日を迎えるわけです。私は、自宅を夜の十時頃に出て、大原美術館の前で孫三郎先生に任務の成就を誓ってから、奥さんの実家に車で向かいました。そのときの私の心境というのはね、いや、罪悪感なんてまったくありませんでしたよ。むしろ、今夜の私は『ミニカー史の擁護者』だと言わんばかりに、使命感に燃えていました。十一時過ぎに現場の近くに到着した私は、奥さんの実家まで歩いて五分くらいのところにある貯水池のそばに車を停めました。私の計画では、実際に侵入するのは一月十三日の午前〇時をまわった頃ということにしてありました。それまでの小一時間ばかり、私は車を止めた貯水池と奥さんの実家を行ったり来たりして、現場周辺の人通りや近隣住宅の明かりなんかを確かめていたんですね。私の読み通り、午前〇時が近づくにつれて周辺の自宅の明かりはだんだんと消え、人通りというのはまったくなくなりました。ところで日曜日の夜というのは、どうしてみなさんあんなにも大人しいんですかね。まあ、次の日が一週間の始まりということもあるんでしょうけれど、どうもそれだけじゃ説明がつかないくらいにひっそりとしているんですね。

 でね、午前〇時を少しまわった頃に、私は貯水池のあたりで一本だけタバコを吸ってから奥さんの実家に向かったんです。コートの胸ポケットには、針金を五本と長いヒモを三本、それとペンライトを一本入れてありました。ヒモというのは、鍵を閉めるときに使うんですね。現場に到着するまでに私は誰ともすれ違いませんでした。まるで、人類が滅んでしまったあとの住宅街を歩いているような気になりましたね。ちょっと不気味な感じがしましたよ。何度も周囲を見渡しました。さながら、映画の中の犯罪者のようにね。

  『お前も犯罪者だ』って言いたくなるでしょう。だけどね、私もまさか凡人極まりない自分が盗みを働くなんて思いもしなかったですから。そうでしょ? 実際に計画を実行しているときだって、いや、いまだって、私は罪を犯したなんてまったく思っちゃいませんよ。だから、さながら犯罪者のように、となるわけです。

 さて、午前〇時十分頃だったでしょうか。私は、奥さんの実家の前に到着しました。そこで、刑事さん、そこでね、事件が起きたんです」


 「現場となる邸宅の玄関先に、私と同じ年齢くらいの酔っ払いの男が寝転がっていたんです。その酔っ払い方ときたら、もうひどいもんでしたよ。私は、とりあえず計画の邪魔をされては困ると思ってね、ひとまず声をかけましたよ。『ちょっと、大丈夫ですか?』ってね。するとね、その男はわけの分からないことを言うんですよ。

 『いや、あのね、あのときのおまえさん、私はなんにもしていないんですよ。ただね、お酒を飲みながら、いや、勘弁してください』みたいな感じで。

 それも、また声がデカいのなんのって。この泥酔野郎が何かの間違いで大声でも出したら、近隣の人たちに気づかれてしまうと思ってね。私は考えました。まあ、考えたと言っても二秒か三秒くらいですよ。なにせ、私は重要な任務を遂行している真っ最中なわけですからね。私は、いち早く玄関の鍵を開けてしまって、その泥酔野郎を邸宅の中に連れ込んでしまおうと思いました。家の中なら少々大きな声を出しても、近隣に響き渡ることはないですからね。

 私はさっそく鍵穴をペンライトで照らして、針金で開錠の作業に取り掛かりました。研究と練習の成果もあって、鍵はほんの一分くらいで開きましたね。簡単なもんですよ。もしかしたら、私には空き巣の才能があるのかもれませんね。いや、冗談ですよ。私はその泥酔野郎をなんとか担いで家の中に入りました。そして、その野郎を玄関に寝かせて内側から鍵をかけました。

 ここからは、何よりも迅速かつ静かな仕事が肝心ですからね。私は、生まれて初めて本気の抜き足差し足というのをやりましたよ。いやあね、そのお宅には誰もいないんですよ。だけど、いざ盗みに入ってみるとね、これはやってみて気がついたんですけど、その状況下ではどんな些細な物音であっても飛び上がってしまうくらいに恐ろしいんですね。誰もいない家ってね、びっくりするくらい静かなんですよ。いや、当たり前なんですけどね。もう、ドクン、ドクンって鼓動を打つ自分の心臓に向かって『うるせえ、この野郎!』って言ってやりたくなるくらいに。たぶんね、いま思い返すと家の中が真っ暗だったということも関係しているんだと思うんです。要するにね、視覚が機能していないわけでしょう。すると、人間というのは音に敏感になるんですよ、きっと。

 まあ、とにかく私は抜き足差し足で故人の書斎に向かいました。どうしても音を消してしまうことはできませんでしたけどね。それで、ゆっくりと書斎の扉を開けて目的のミニカーが並べられている棚の前に辿り着きました。

 そのとき、突然ですね、私もびっくりしましたよ。『こん畜生! くそったれが!』って、玄関に寝かしておいた泥酔野郎が叫んだんですよ。もう、心臓の乾いた音が書斎に反響するんじゃないかってくらいバクバクいいましたね。舌の奥の方が熱くなってきて、ものすごく喉が渇きました。私は、さっさと目的の品をポケットに入れてこの場から退散してしまおうと思いました。

 それで、ミニカーが並べてある棚のスライド式のガラス扉をゆっくりと開けようと思ったら、なんと! なんと、棚の扉にも鍵がかかっていたんですよ! もう私は慌てふためきましたよ! 昨年の十月にそこへ行ったときには、フォードT型とマッチ・ボックスに興奮して棚のことをよく見ていなかったんですね。そのときはまさか、盗みに来るとは思ってもいませんでしたからね。

 とにかく私は、この窮地を脱する方法をあれこれ思案しました。ガラスを割ってしまうのが早いんだけど、そうすると良子さんがミニカーを取りに来たときに空き巣に入られたことがわかってしまうでしょう。もう気が動転している状態ですからね、冷静な判断なんでできないわけですよ。だけど、なんとか冷静さを取り戻そうと、とりあえず私は解決策を導き出すまでのあいだ、手を動かすことにしました。というのは、棚の鍵穴に針金を突っ込んで適当にほじくりまわすことにしたんです。

 私が事前に研究し、練習していたのは家の玄関の扉を開ける方法でしたから、うまくいくはずがないんですけどね。そのときの私は、とにかく手を動かしておかないわけには気持ちが落ち着かなかったんです。どれくらいでしょう、たぶん私は五分くらい鍵穴をほじくりまわしながら思案しました。だけどね、良い案が出てこないんですよ。もうダメかと思いました。だけどね、刑事さん、奇跡というのは起こるんですよ。作戦を練り直して明日にでも出直すかと本気で思い始めたまさに次の瞬間! 『カチャ』という音とともに鍵が開いたんです!  信じられますか? ねえ、刑事さん! 私はね、『ああ、ミニカーの神様はわかってくださっている』って、もう声に出して言ってしまいましたよ!

 まあでも、呑気なことも言っていられない状況ですからね、私はすぐに目的の二台とマッチ・ボックスの箱をポケットに入れました。それから、二台が抜けた箇所を埋めるようにコレクションの間隔を均等に並べ直しました。良子さんも棚の鍵が掛かっていないことくらい気にはしないでしょうから、私はそれを施錠しないことにしました。何しろ時間もありませんでしたしね。私は、ガラスの扉だけをゆっくりと閉めて書斎をあとにしました」


 「それでね、私はまた抜き足差し足で玄関に戻ったんです。もちろん玄関には泥酔野郎が寝ているわけですよ。さっきの突然の叫び声の一件がありましたから、酔っ払って記憶のないうちにと思って、私は彼の尻に蹴りを一発食らわせておきました。まあ、ほんの軽い蹴りですよ。さて、そこでまた新たな問題が浮上しました。私は、『この泥酔野郎をこのあとどうすればいいのだろう』と思ったんです。いやね、そのままもとの通りに玄関先に放ったらかして帰ればよかったんですけど、もうそのときの私は平常心をまったく失ってしまっていたんでしょう。あとね、二台のミニカーを素人のずさんな保管環境から救い出したという達成感も助けてね、私は彼を近くの交番に連れて行くことにしたんです。ちょっとのあいだ、そのままヒーローでい続けたかったんですかね。

 こっそり玄関から出て、練習通りにヒモを使って施錠した私は、彼の肩を支えながらひとまず家の前の通りまで出ました。施錠の方もね、一分とかかりませんでしたよ。とりあえず、彼をいったん近くの電柱にもたれさせるように座らせました。それから私はさっきの貯水池まで歩いて、すぐに車で泥酔野郎のもとに戻りました。

 交番までは、結局車で十五分くらいかかりましたね。なにせ私はその土地に不案内なもんですから。ええ、あの、なんて言いましたっけ? そうそう、法界院駅の近くの交番です。車中、私はこの泥酔野郎に浴びせられるだけの罵倒をこれでもかというくらい浴びせました。失敗できない任務の緊張から解き放たれて、ちょっとハイな状態になってたんでしょうね。私はね、今でもミニカーを盗んだことにはなんの罪悪感も抱いておりませんが、一連の騒動の中で、この泥酔野郎に対しての一発の蹴りと車中での罵倒だけは反省しています。だってね、彼はこの件にまったく関係のない人なんですから。本当に申し訳なく思っています。

 私は交番で彼を降ろして、ええ、もちろん、名前もなにも名乗りませんでしたよ。さすがに私もそこまで馬鹿じゃありませんからね。『駅の近くで路上に寝てました。寒いから、凍死しちゃうといけないと思って連れてきただけです』って。それだけ言ってその場を去りました」


 「一昨日の件に関してお話できるのはこのくらいですかね。あ、そうそう、最後に私の方からひとつお願いをしてもよろしいでしょうか? というのはね、結局私はいまこうやって刑事さんの取り調べを受けているわけですよね。まあ、まさかあそこまで親切にしてやったあの泥酔野郎が、まさかのまさか、あの晩の一部始終を明確に覚えていたとは、私も思ってもみませんでした。さらに、あの野郎が奥さんの実家のお隣さんだなんてね。ちょっと話がうまくできすぎな気もしますけど。

 まあ、それはそれとして。捕まっちまったもんは仕方がありませんからね。あのね、刑事さん、もしかしたら私はもう二度と水村さん夫妻や良子さんに会うことができないかもしれないでしょう? いや、たかが窃盗罪と住居侵入罪で一生刑務所で暮らすというようなことはまずないと思いますけどね。それは、なんというか人間関係の問題としてね。だって、傍から見れば三十年来の友人の実家に空き巣に入ったわけですからね、私。だから、どうかこれだけは彼らに伝えて欲しいんです。特に良子さんにお伝え頂きたい。

 私の自宅から押収したフォードT型とベントレー、それからマッチ・ボックスの箱なんですけどね。きちんとしたガラスのケースに入っていたでしょう。あのケースは良子さんに差し上げますから、どうか保管方法に気を付けてもらいたいんですよ。いいですか、刑事さん、ここからはメモをしてください。そして、間違いなく良子さんにお伝えくださいね。

 まず、二つのミニカー本体のケースは、温度二十度、湿度は三十パーセントから三十五パーセントに保つこと。それから、マッチ・ボックスですね、あれは紙ですから、温度は同じく二十度、湿度は五十五パーセントから六十五パーセントに保つこと。間違っても、ミニカーと箱を同じ湿度で保管しないでくださいよ! あとは、照度ですね。五十ルクス、いいですか、五十ルクスです! 特にマッチ・ボックスの箱は、五十ルクス以上の光を当てると、焼けてしまいますからね! 太陽光のもとに晒すなんてまったくもって問題外です! いいですか、刑事さん、ちゃんと、ちゃんと良子さんに伝えてくださいよ! この伝言には、後世の人類に対してミニカーの歴史を遺せるかどうかが掛かってるんですからね! いいですか! 刑事さん!」



<完>



前はこちら↓↓↓

マッチ・ボックス <1>
https://note.mu/mor_i/n/n92460647d5ad

マッチ・ボックス <2>
https://note.mu/mor_i/n/n35171586191c

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