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アンブロイドの瑰戻〜備忘録としてのフィードバック〜

私は創作において、自分だけが知っていれば良さそうな「シリーズもの」を設定することがよくある。

基本的に絵を描くことそのものを楽しむために絵を描かないために、自然とそういうスタイルになる。
一連の妄想の中にある地続きの空間を切り取る手段だと捉えて、あれもこれも描かないようにしているためだ。
というか、趣味レベルとなるとわざわざ描く気になれない。
だから私が創作をやめた時は、生み出すことに飽きたとか挫折したとか疲れたとかではなく、厳密にいうと吐き出す原点に興味を失っただけになるのだと思う。

この空の色が不気味な情景画もそう。
『アイオロス』という架空のエリアの、とある一区画を描いたもの。
一応、アイオロスの根幹を担う中心部の外交都市なので、割と力を注いで描いた気がする。
街の様子が気になる方は、こちらを流し読みしてみてはいかがか?


真っ先に多宗教の都市を描き始めたのが去年の冬。
今回の中央地区:黄輪(キリン)でアイオロス全景シリーズ4作目なのだけれど、思ったよりも進みが悪い。
あれもこれも並行してやるから当然なのだけれど、唯一自慢できるところは、自分から始めた思いつきはネットにリリースしたら最後、誰が待っていよういまいと、ラストまでやり切ることだと思う。
ラフ段階から大幅に修正をかけて、結果的に当初の計画と随分違った絵になることはよくあるが、「どこを描こうか?」と言った方針は変わらない。

この絵は後々になって重大なミスに気づいたというか、
「空間的に成立しない」ことが発覚したのが線画を60%以上終えていたタイミングだったので、焦りと諦めの両方に責め立てられながら、なんとか筋が通るよう、ゴリ押しの軌道修正に取り掛かった。

なかったことにして完成させないのは、過去の自分に失礼だろうし、とにかく負けた気がしてならない。
負けるのは嫌なので、どんなに時間がかかっても自分が納得できる形にしてやろうとやけになった。三段論法。

そうして改善策をぶつけてやろうと足掻いた結果がこれ。
右半分の「汽車」の破壊。

中央地区:黄輪(旧ラフ)

↑(初期ラフ。これよりさらに初期の案では、汽車ではなくペデストリアンデッキだった)

むしろこの荒さを生かしたまま、下書き→線画→着色にかかればよかったものを、一度はじめた「ぶっ飛ぶほど精密な線画」という自分のアイデンティティーをキープしたかったので、いつもの気の遠くなるような”整備工事”に取り掛かった。

しかし、どこかのプロセスにおいて消失点でもずれてしまったのだろう。
奥行きの様子が明確化されるパーツとパーツの重なりから、三次元的な振る舞いが感じられない(=要はパースぶっ壊れてる)。
このまま既定のプランをねじ込んだところで、おかしな絵になることは明白。
だからと言って1から書き直すにはもう随分描き込んでしまった後だった。

おかしいならおかしいで、おかしいことを説得する要素が求められる。

作品の軸を大きく歪ませないために、私は風景画を描くのを諦めて、「情景画」を描くことに決めた。

そんな低レベルな苦悩の中で降って沸いて生まれたのが、
「アンブロイドの瑰戻(かいれい)」という物語のエッセンスだった。

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↑(Twitterに載せた制作過程。私は自分が飽きないために、小まめに空の色を変えながら物体を描く。地味にリフレッシュになる)

「アンブロイドの瑰戻」とは、この中央地区で噂になっている都市伝説のようなものだ。


琥珀色に輝く空に向けて飛行船が出立する午後、
この港町で巻き起こった戦争の”傷跡”を幻視する。

つまり、以下の条件が揃った時にだけかつての戦禍の情景が蘇ると言う、怪奇現象か、あるいは巧妙な目の錯覚なのだろう。
・昼下がり(午後)
・飛行船が出立
・大雨の予兆などによく見られる、奇妙な琥珀色の空

そんな嘘か誠か確かめたくなる、不気味で恐ろしくて心惹かれる噂話を聞きつけたふたりの子供が、冗談半分で中央地区を一望できる場所までやってきたら……というシーンが、このように絵になった。

黄色い空のことを「アンブロイド」と呼んでいるが、これは加熱圧縮形成された再生琥珀のこと。
自然に産出されたものではなく、琥珀の粒を集めて熱処理したのち、一つの塊にした加工製品であるというところに、「一度壊され、再建した」今の街がたどってきた運命と重ね合わせてみた。

「瑰戻(かいれい)」という言葉は造語だ。同じ音の「瑰麗」という単語から、「麗しい」を引っこ抜いて「戻」に挿げ替えた。
回帰するだけで心洗われるような、美しく得難いもの……というニュアンスでぴったりの言葉が見つからず、自ら作った。悪くないような気がする。

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↑(結構がんばって描いたのにボツになった犠牲者パーツたち。絵全体を良くするために、断腸の思いで表舞台から撤退いただいた。供養)

結果的に、都市伝説のエピソードが飛び入り参加したことは功をなした。
物語という時間の奥行きが内包されたことで、絵に深みと立体感ができたからだ。
また、方向性がより強固なものになったことで絵を通して伝えたいことが明確になり、私の作業効率が格段に上がったのが、精神衛生上、得をした。

ただ綺麗であるとか迫力があるとかうまいとかでない、
「この絵は一体何なんだろう? なんだかとんでもないことになっているけれど、なぜだろう?」と頭を捻らせる、間(ま)ができたこと。
そういった間、鑑賞者の付け入る隙、想像の余地が提供されたミステリアスな作品が、私は好きだ。

そもそもが、シリーズの一環として成り行きで企画された創作物だ。
「次はもっとスゲー絵を描いてやろう!」なんてモチベーションでスタートさせてみたのが、よくなかったのかもしれない。

その時は忘れていたけれど、私は絵を描くために絵を描けないのだ。

ちょっと上手くなってきたからって、調子にのって
「うまい絵を描こう」と下心丸出しでやるもんだら、
今回は何度もつまづいたし時間もかかってしまったのだろう。

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↑(確認したところ、このキャンバスにかかった時間は92時間と20分。実行されたストロークは2万回を超えていた。数値で目視できないところに、実は様々な紆余曲折を秘めているのだけれど、それらを語る必要はない)


詰まるところ、
本当に描こうとするビジョンがあって初めて筆は動くと私は再認識し、信じざるを得なくなった。
これは精神論ではない。

どれだけ明確なイメージと動機を持って描けるか?
方向性は定まっているのか?
自分がこれから表現するものと向き合えているか?

以上の心がけを、具体的な技術力へ落とし込まれてくると、作業中は以下のようなメリットとして反映される。
・今描いている線ではなく、これから描くところに目線がいく
・探るように描く工数が減る
・そのために必要な参考資料や技術が即座に判明するのでスムーズ
・どう描けばうまく見えるかだけでなく、どう描けば伝わるかを考えられる

絵の根幹は「伝えること」。
もっと上を目指すならターゲットに「伝わること」だ。
で、伝えるためには当然、伝えたい事柄と伝えたい相手をよく理解している必要がある。

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↑(空の色差分。気分転換のために作っただけの副産物なのでストーリー上の設定は無視しているが、これもこれでいい)


私は今後も、暗い宇宙で偶然出会った作品世界のために、あの二人の旅路のために、作っていくんだと思う。

では、作品を公開した先にいる伝えたい相手は誰?って、
それは流石に気恥ずかしくて教えられない。

でもまぁ、こんなブログを長々と読んでしまった、あなたみたいな人かもしれない。


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