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抗いがたい人間の心

今日は、目をそらしつつ誤魔化してきた、心の負の面について。
表面上優しく美しく見える人にも、ドロドロとした感情がある。爽やかで素敵に見える人にもひねくれた嫉妬心がある。憎しみに溢れている。
それが人間らしさ、でもあります。
けれど、それを乗り越えなければ、平和な世界はやって来ない。乗り越えられないから来ないのかもしれません。

本当の強さとは、はっきりと相手の間違いを責め立てることが強さ、だけではないはずです。
「人を動かす」というD・カーネギーの名著があります。
「我々は他人からの賞賛を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる」これは、どんな人でも当てはまるのではないでしょうか。私があまり読まれないnoteに今回の内容を書いていることが、その証左でもあります(笑)。非難されるのが面倒だし、怖いです。

誰だって、非難されたり怒られたり怒鳴られたりするのは嫌ですよね。
まして人前でそんな事をされたら、心は貝の如く閉じ、ひいては恨みにつながる。要するに自分の首を締めることにもなるのです。
じゃあ、何も言わないのがいい。そう言っているわけではなくて、解決法を提示しながらの対話、が大切になるでしょう。

先日の話を恥を忍んで一つします。
その日私が担当したポストは、とにかくあり得ないほど忙しくて時間との戦い、という仕事でした。
年下の先輩とペアで仕事に当たりましたが、慣れてない団体客の対応でモタモタし、怒鳴り声での叱責を受けました。
「すいません…」というのがやっと。知らないことの対応を英語でせねばならず泣きたい位なのに、うるさいな!!って正直思いました。
しかし、冷静になるためにしばらく無口で作業をこなし、落ち着いたところで、「では、次回からの参考にどういう対処がいいですか?教えていただけますか?」と話しかけて、先輩も「じゃあこうしましょう」みたいな感じになりました。
その後は私自身わだかまりは消えて1日過ごせました。

そればかりは年の功なのかもしれません。
誰だって叱責されるのは嫌です。しかし、叱責する人の多い仕事でもあります。
今は、自分が叱責する側に回らないように、そしてだからと緩くならないように工夫をしていく立場だと思っています。
叱責した方は言いたいことが言えて一時的にスッキリするかもしれませんが、必ずや歪みは出てきます。私もそういう失敗は何度も何度もしてきました。相手のプライドをズタズタにしてはいけないのです。

難しいことですが、どんな状況であっても、「相手の立場に立つ」「自分が言われたときを想像する」を忘れてはならない、と思います。
相手を責め立てて、悦に入る、なんてもってのほかです。いつか自分に返って来ます。
私も跳ね返ってきたことがあります。
思い返すと穴に入りたすぎて穴が足りません(笑)

相手の自尊心を傷つけたり、相手を決めつけたりすることは全くもって得策ではないということです。
書きながら、アイタタタという感じもなくはないです。人間は本当に難しい。
「誰かを強くぶった切りたい」は、抗いがたい感情かもしれません。
だって、悪いことしてるじゃないですか?嘘付いてるじゃないですか?
指摘はしていかなければなりません。絶対に。

しかし、その上で、生産的な解決方法を提示していく。

『じゃあ、どうすればいいのか』 

を提示していくのが、大事なポイントなんではないかと、感情的な私が最近気づいたことです。

「あの人はキレイで目立つから足を引っ張りたい」「自分は頑張って来たのに評価されない」
とある場所では、そんな声ばかりこの頃は聞いています。自然な感情なんですよね、人間の。
しかし、その気持ちを剥き出したまんま行動するのは幼児そのものです。
でも、意外とびっくりするほどに剥き出しな人ばかりです。
人間の性なのかもしれませんね。他人事みたいに言ってますが、私にも汚い感情はあります。
そんなときは、最近読んだ「般若心経」を唱えて落ち着けようと思います。

自分の心は自分で処し方を会得しておくことができたら、平和なのでしょうね。
自分自身も、試行錯誤していくつもりです。

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