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エーリッヒ・フロム『愛するということ』より派生して、人間関係を考える

たくさん本を読んできた、とはまだまだ言えるほどの読書量ではありませんが、そんな私でも強く心に響いた本がいくつかあります。
特に古くから名著と言われる本には、それなりの理由があるなと納得します。

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は、私にとってはとても響いた本でした。
「愛する」というのは生得的にできる行為ではなく、訓練を積んで能動的にするものだというのです。
「愛」はもちろん自然に生まれるもの。親子間の愛は無償の愛。私も子供に愛情は当然あります。
しかし、「愛する」というのは、どういうことなのか。突き詰めて考えたことはありませんでした。
フロムいわく、自分自身が自立し、自分の生命によって相手に与えることができる存在であること。与えるのは物質的なものではなく、その人が感じた喜び、知識、ユーモアなどを与えることで、相手に活力をもたらすことができること。見返りは求めずに与える喜びを感じることだという。
正直に言って全く出来ていなくて衝撃的でした。私が「愛している」と思っていたのは幻だったのか、ひとりよがりの押し付けだったのか。私は存在することで誰かの役にたっているのだろうかと、しばらく呆然としてしまいました。
愛している、のではなく、「愛してくれ」「好きになってくれ」と押し付けていたのかもしれない。40代半ばになってそんなことにはたと気づいたのです。

親子関係、恋人関係だけではなく、ここからの学びは様々な人間関係に役に立つと思います。
距離感を間違えていたり、クレクレになっていたりして数々の失敗をしてきたなあと思い当たるフシがあります。

自分自身をしっかりもって、相手と接する。距離感を間違えてなんでもかんでも頼り過ぎると依存になり、関係は歪になっていきます。
無論、わざと依存関係に引き込む場合(新興宗教など)もあるでしょう。
そうならないためには、相手との境界線を引く。それは距離を置くわけではなく、尊重し合うということ。一つ前の記事とつながりますが、まずは自分と向き合い、そのうえで他人との関係性を築く。難しい、難しいですよ!
だからたまには甘えます、ねえ、聞いてよ!と。私には幸い、話を聞いてくれる友人たちがいます。泣きながらLINEをしたこともありますが、だからといっていつもいつも頼りすぎてばかりではなく、私が友人たちに元気や勇気を与えられる存在でありたいものです。
お互いに、信頼して安心して話ができる、話すことでいい影響を与え合える。理想ではありますが、そんな関係性を目指したいですね。

まずは、自分自身の内面を磨くこと。まだまだ未熟だという自覚はあるので、頑張っていきます。

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