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話せる相手がいること。

皆さんには、自分の本音や悩みを話せる人はいますか?
私が話をする(本音はともかく)友達としては、学生時代の友達、趣味の友達、職場の友達、ママ友、それから家族ですかね。
平野啓一郎さんの著書「私とは何か」で出てくる「分人」という概念に照らし合わせると、それぞれちがう私の顔がある、ということになります。
職場ではしっかりした風に振る舞う私、ママ友には子供の話以外余計な話はしない私、趣味友にはダラダラお酒を飲んでいる私、昔からの友人には割と素な私。家族の前では母親の顔。それぞれの顔を付けて接しているような気もします。

年とともに、抱える悩みや気持ちも変化していきますよね。悩みが複雑化した気がします。
数年前まで、この頃の自分の悩みや苦しみを吐露できる友人はいませんでした。特に話そうという気も無かったし、まあ結局私は一人だし、なんとか自分だけで解決していこうと考えていました。

それがいつの間にかお互いの悩みや本音、苦しみを話せる友人たちができていました。
もうそれだけで人生優勝じゃないかしら、と思えたりもします。幸せなことです。
一緒に苦しみを共有したから、というのもあるかもしれません。特別な仲間です。
その出会いに至るまでも、別の大切な出会いがいくつかあり、苦しんだり悩んだりしたことを経ての今なので、人生で無駄なことは一つも無いんだとしみじみ思うわけです。

この頃は聞いてもらえる、というだけで本当に救われるのに、更に勇気づけてくれたり、時には静観してくれたり。客観視してもらったり。本当に恵まれております。
もちろん、自分の人生ですから決めるのは自分自身、責任も自分にあるのですが、背中を押してもらえると勇気が出ますよね。

コロナ禍あたりから、私の人生はいろんな意味で転がり始めたんだと思います。
自分で色々歩み始めてからが本番、最近も新たな出会いに恵まれて、刺激をもらっています。
コロナ禍で人に会わない日々が続いていただけに、生身の人間に会えること、話せることに喜びを感じるのかもしれません。
友人たちから色々な話を聞くのも好きです、そういう考え方もあるのかとか、知らなかった世界の話とか、みんな色々な世界を持っていますよね。

これからも、自分だけの時間、友人や家族との時間、仕事のバランスをうまく取りながらやっていきたいです。好きな人たちに会えるって、本当に素晴らしいことなんだなあと日々噛み締めています。
私が良い刺激を与える方になれるように、精進していきます。



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