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「優れ力」=「メジャー」「異なり力」=「ニッチ」という考察

さる先生こと坂本先生の記事です。この記事では、日頃さる先生が仰る「優れ力」と「異なり力」についてまず定義をきちんとしてからこれからの日本に求められる力を考察されています。

また、そこからさらに「異なり力」を身につけるには「アート思考」だと述べており、具体的な教材にまで落とし込んでいます。

先輩、恐れ入りました!という感じです。


さて、この記事が出る前から、さる先生は自身のTweetで「優れ力」と「異なり力」について少しずつヒントをくださっていました。

今日は、「優れ力」と「異なり力」についての(記事を読む前の)自分なりの考察とさる先生のこの記事とを比べながら自分なりの答え合わせをしていこうと思います。


私の考える「優れ力」の定義は「より多くの人(メジャー)に魅力と感じる物や情報を生み出す力」でした。

戦後の日本は、(今と比べれば)物がない時代です。

より多くの人がより生活を便利にする製品を生み出すことに価値があったと言えます。

例えば洗濯機。掃除機。テレビ。とにかくこれらの製品は多くの人にとって価値ある製品だったはずです。

対象としてはとても大きな分母です。


対して今は、とにかく物や情報が溢れている時代。

多くの人にとって便利な商品は、もしかしたら自分にとってはベストな製品でないかもしれない。汎用性が高いということは、一人一人でみると最適解ではないのかもしれない。


これらのことを考えると、今は昔と比べて「より狭い範囲で、希少性のある物や情報の需要」が増してきたのではないでしょうか。

私の考える「異なり力」とは、「より狭い範囲でニッチな部分に刺さる物や情報を生み出す力」です。


少し話は変わりますが、今密かに3Dプリンターの需要が高まってきているそうです。

プリンターの価格が下がってきたことだけでなく、より個人に適した製品が作れることに魅力があるからだそうです。

このことからも、今は「より多くの人に当てはまる80点の商品」ではなく、「自分だけにとって100点の商品」が求められているのだと考えました。


「優れ力」=「メジャーな分母に刺さる」

「異なり力」=「ニッチな分母にクリティカルに刺さる」

さて、そんな回答を持ってさる先生の記事を読んでみました。


さる先生は「優れ力」について以下のように書いています。

戦後の日本は、高度経済成長期を経て、一気に世界のトップへと躍り出ました。この頃は、「とにかく良いモノをたくさん作る」という正義が存在しており、それを達成することでどんどんと富が増幅されるという時代でした。平成元年にはNTT、トヨタ、日立といった日本の企業が、時価総額世界のトップ50のうち33社を占めるなど、日本の技術力が世界を席巻していたのです。では、この頃に求められた資質・能力とはどういうものだったのでしょうか。それは「より良いものを、より多く、より早く」というものでした。 明確なゴールへ向け、だれが一番にたどり着けるかというレースに勝ち抜く力。それをここでは「優れ力」と呼ぶことにします。

「優れ力」の定義としては遠からず近からずと言ったところでしょうか。「異なり力」についての定義は以下のように書かれていました。

そこで、「ここをこうしたらもしかたら何か良いモノやコトができるのではないか」という、自分だけの見方を働かせる力が必要となってきます。これが「異なり力」です。価値創出の源泉は「解決すべき問題」から「自分だけのものの見方」へと変化していくのです。

さらにここからこれまでの「サイエンス思考」ではなく、「アート思考」を伸ばす必要があると述べた上で、教材に落とし込んでいます。

私は定義を追うだけで精一杯だったので教材にまで落とし込めませんでした。もっと精進します。


「異なり力」=「ニッチ」という私の考察に、「付加価値」「自分だけのものの見方」という視点を加えてまた考えていこうと思います。

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