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「生徒のため」は誰のため?

私が今年最も耳にした違和感のある言葉が「生徒のため」という言葉である

往々にしてこの言葉は「発言者の頭でイメージされる生徒のため」に使われることが多い


ご存知の通り今年はコロナ渦における学校運営を余儀なくされている

行事の一つ一つが検討され、中止または延期されている

この検討会議で頻繁に使われているのが「生徒のため」だ


私は「生徒のため」と言っている先生方が皆、偽善者なのだと思っているわけではない

心の底から生徒のために何になるかを考えているのだろうな、と伝わっている

にもかかわらず違和感を感じるのは担任としてこんな光景を目にしているからである


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夏の総体の中止が決まった7月

我が校は全校放送にてその事実が生徒に伝えられた


「今年は県、市、すべての夏の大会が中止となることが決まりました」


その放送を聞いた生徒の反応は様々だった

A子は涙を流して悔しがった

B子は静かにガッツポーズをした


私は今年度この学校に異動してきた

A子もB子も付き合いは浅いが、日頃二人が部活動に対してどんな想いでとりくんでいるのかはなんとなく知っている


A子は部活動が好きなのだ

最後の大会に向けて並々ならぬ思いを持っていた


B子は部活動が嫌いなのだ

1日でも早く引退したいと考えていたし、休校明けはもう心は引退していたのだろう



しばらくして市大会に代わる代替え試合が行われることが決定した

大人たちが「生徒のため」と銘打って用意した大会である



B子は私のところに来て泣いていた

「やっと引退できると思っていたのに」

よっぽど辛い3年間だったのだろうなと想像した



「生徒のため」の生徒の中にはB子は含まれていなかったのだろうか


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本校では1学期に体育祭を行う

休校中に会議が行われ、一度は今年度の体育祭は中止になった


それが7月に数名の先生と管理職が声をあげ、「生徒のため」と言い体育祭復活


A男は喜んだ

B男はため息をついた

聞けばB男は運動が大の苦手で、毎年体育祭の時期は憂鬱なのだという


ここでももう一度、

「生徒のため」の生徒にはB男は含まれていなかったのかなと考えた


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「生徒のためにやってあげよう」

「行事がなくなってかわいそう」


私は、代替え試合や体育祭の是非を問いたいわけではない

これらの言葉は、あくまで発言者の頭の中にいる生徒のためでしかないということを言いたいのである

B子やB男の気持ちが想像できているかが疑問だ


いろんな生徒がいる

だからいろんな考え方がある

大人が勝手に「生徒のため」「かわいそう」という言葉で勝手に価値観を押し付けてはいないか


代替え試合や体育祭を行うことは決定した

私は担任として、せめてB子やB男が少しでも気分良く取り組んでもらえるよう支援していきたい


「生徒のため」の生徒はどんな生徒なのか?


さいごに

私の周りにいる「生徒のため」と話す先生は、本当に「生徒のため」に何ができるか考え、動いています。

彼らの気持ちを否定するわけではありません。

同じような気持ちを持っている方で、私の文章を読んで気分を害された方がいたらすみません。

ただ、盲目的に「生徒のため」という言葉で例年やっていることを復活させるのはいかがなものかということを伝えたくて書いてみました。

行事をやるのもやらないのも、どちらも喜ぶ生徒と悲しむ生徒がいるのかもしれない。

しかしどうせやるのであれば生徒が受け入れられるような言葉をかけたいとも思いました。

担任が不平不満を言っていたら生徒も盛り下がっちゃいますもんね。


今日のリライト

夏休み中は過去の記事をリライトして、写真やイラストを足したり文章量を増やしたりして情報量をあげたいと思っています。

今日はこの記事を全体的に改行をして、レイアウトを少し弄りました。

明日は見出し1をいじってみようと思います。

変化の様子を見たい方は明日もまた見てみてください。

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