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私の積年の…的なヤツ。。。


先日

お友達のSNSのとある投稿に

おもわず触発されて


湧き出すように

自動筆記に近いような感じで

コメントを投稿させてもらった長文を。


ちなみに
お友達は海外生活の長い方で
帰国されてから地域のコミュニティで
日本の音楽の教育の古い慣習というか
ぶっちゃけ
ダメ出しばかりの
全然楽しくない指導に触れて
かなりびっくりされての投稿でした。


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私もその教育で自分がすっかり萎縮して身動きとれなくなってしまった人間の一人であります。
外からのダメ出しを全部受け取って受け止めて自分で自分を常に強力に戒め続けてもうぱんぱんになってるから、他者からのほんとに些細なひと言で表現するどころかもう余計に萎縮してビビってしまう。挙げ句の果て本番で身体症状や最悪のしゃっくりみたいな演奏しかできなかったことはもう数知れず。もはや世間的に言うなら神経症との境目ぐらいだと思ってて。今おかげさまで若干引きずりつつも日々リハビリのような毎日。
自分がこんなふうで、なのにこんな私に何故かご縁もあって教えさせて頂く立場になり、自分を反面教師?に
未来ある方々に向けてはずっと「それでいい、それでいい」ととにかく自信を持ってもらいたい一心でずっとお伝えしてきました。なにせ親世代そのまた上の世代から脈々と続く「間違うことは恥」高じて「恥=死」の文化ですのでそれを覆すことは容易なことではないですよね。加えて演奏家のアスリートのような一音一音に身を削る様な芸術に対する姿勢まで常に模するべきなのか、、、確かにそれはそれで一つの在り方ではありますが、、、果たしてダメ出しをされてる方々は同様にご自身はそこまで完璧でいらっしゃるのか?と口にはしませんが捻くれ拗れた私はすぐ思ってしまいます。スミマセン。
たしかにセオリーはとても大切ですがそれだって指導される方々お一人お一人で微妙に解釈は違っていて、指導を受ける側も一人一人身体的なものや心や経験等も諸々全然違っていて、だからひとつに雁字搦めになる必要もなくて、それぞれリスペクトしながら自分に合うところをいいとこ取りすればいいとおもうのだけど、
どうも、こと島国なのもあるのか
一旦「先生」認定されると良くも悪くもそこにいろんなものが生じてしまうのがこれまでの世の常だったかと。なんかこれある意味「宗教」にも近いものもあるかもなぁ。と。
それだけに教える方も教わる方も
ずっと信じて信じすぎて他を排除しながらも賢明に頑張ってきただけにそれを根底から覆される(実際はそこまでじゃないのに)=自分のこれまでの生き方を全否定されてしまうぐらいの恐怖を感じてしまうとかもあるのかもしれないですね。
それで守られてきた部分ももちろんあるかと思いますが、もういまからの情報共有の時代、全体にとって不必要なダメ出しはどんどん淘汰されていってる気がします。なぜなら結局全部自分に返ってくるから。

、、、って思わず長文書いちゃった、ごめんなさい。
私がこの問題何よりも苦しんでる当事者でもあるので。

でも現場もここ10年ほどで自分も含めですが少しずつお互いに受け入れたり認め合ったりしながら徐々にやわらかく延び延びと表現しやすい環境になってきている気がします。

なにより大人と呼ばれる方々は、
自分の見ている部分や知っている部分は本当に自分だけの視野で、もちろんそれは唯一無二独自の尊いものでありますが、同時に、できたらある意味自分だけの非常に狭くて偏ったものでもある、という認識も持ちながら
未来ある小さい方々には一人の人間として尊重し対等もしくは逆に教わる姿勢でいるぐらいがちょうどいいのかな、と個人的には思っています。

想いを出し始めたら止まらなくなっちゃいました。
本当に長文をごめんなさい。
場に不適切でしたら
すぐ削除します。m(_ _)m

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