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adieu note - 何者でもない少女

はじめまして「さようなら」
最初で最後の「さようなら」

客がまばらに散った新幹線の車内。その窓際。
光を探すわけでもなく眺めた、窓の外に広がる暗闇の深さを今でも覚えている。
彼女の歌声は、心と体、感覚のすべてを支配し、フワフワと浮かべた。目に見えるわけでも、手の上に転がっているわけでもない。それでも確かに、その歌声は現実から離れたところに浮かぶ世界へと私を誘いさらってゆく。優雅に揺らめき夢のように消えてしまいそうな、手の届かない不思議な世界へと。

adieuに出会った当時、私は高校生だった。
都内の高校に通う17歳の女子高生。明かされていた彼女のプロフィールはほんのわずかだったけれど、変わらない日常を右から左へとただただ見送っていた私にそんなことは関係あるはずがなくて。「はじめまして」と「さようなら」の一言が、世界に響いているのはそのシンプルな挨拶だけなのかと錯覚するほどの静寂を引き寄せ、心にこだまする。生まれて初めて抱いた、生命の鼓動すらも邪魔者になってしまうような魂が浮遊する感覚、その何にも代えられない心地よさはこの身に深く、深く刻み込まれた。この先も消えることはないと一目でわかるくらいに。

それからというもの、adieuという少女の歌声は日常のありきたりな景色を特別な記憶へと色づけた。大学受験を終え、どうにも重い身を任せた新幹線での光景は、ぐるぐるに絡まった心がゆっくりと解かれたその感覚は、今でも脳裏で瞬きつづけている。闇夜に浮かぶ小さな星のように消えそうで消えない淡いかがやきは、彼女がくれた不思議なパワースポットだ。

adieuの歌声には時という存在がからっぽになるくらい、世界を美しく彩ってしまう力がある。正体不明な感情まで、主張の強いものも弱いものもごちゃまぜになった心に中和剤を一滴。心に溶け込んで、固いものを溶かして、そのすべてがはかないと感じてしまうほどフラットに、透明にしてくれる。現実の闇も光もすべて裏返して透かしたまあるい世界を、目の前に広げ包み込んでくれる。

初めてナラタージュを聴いたとき、それを歳のほとんど変わらない少女が歌っていると知り驚いた。私なんか、それがどうにもならない切なさに寂しさ、はかなさだけで紡がれた歌ではないということに気づいたタイミングでさえ、さらに歳を重ねてから。それでも、今もこうしてadieuが創る世界の片隅に佇んでいられること、それでいて新しい気づきや心の叫び、感動に出会えること、なんてしあわせなんだろう。いつまでもその世界の住人でいられますように。

ナチュラルな美しさを編み込んだような音色たち。
これ以外は失ってもいいから、これだけは失いたくないと思える存在に出会えるなんて。ついつい縋ってしまう大事な大事なおまもりは、きっと今日も明日も、その先の先の未来の中でも、この弱くてちっぽけな心に寄り添いつづけてくれるんだろうなあ。adieuの歌声に力を借りて、違う景色を見に行こう。香水のように漂う世界をくぐりぬけて。


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