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奈良原一高写真展「宇宙への郷愁」~写真は時空を超えて~

東京工芸大学「写大ギャラリー」で開催されている、奈良原一高写真展「宇宙への郷愁」を拝見してきました。

奈良原一高さんの写真展については、何度も拝見し、このnoteにも、過去、簡単に感想を書いてきました。

実は、以前に勤務していた会社で、ボクにとって、WEB制作や、黎明期のインターネットについて、そして、社内のデータベース処理に関するすべてを教わった、大先輩のT師匠という方がいらっしゃいまして・・・。
ある時、ひょんなことからボクが写真に興味があること打ち明けると、T師匠からも写真についてお話をしてくださった。

そして、よくよく話を伺うと、なんと、T師匠は、写真学校を出た後、奈良原一高さんの、助手をしていらっしゃったのです!!

何とも非常に幸運なご縁で、奈良原一高さんの作品について、T師匠から詳しくお話しいただくことになりました。
noteに書いたほかにも、「人間の土地」「王国」「JAPANESQUE」等々、機会あるごとに、何度も展示をご一緒に拝見させていただき、その後、助手をされていたT師匠と飲みながら語らせていただくという、非常に贅沢でありがたい経験をさせていただきました。
※注意※・・・とはいえ、ボクが書く奈良原一高さんの作品感想については、全くの個人的感想、解釈でございます。その解釈について、「これが正解」というような指南を、T師匠からいただいているものではございませんので、あらかじめご了承願います!!

今回、写大ギャラリーで開催された展示は、初期作品「無国籍地」から、2002年の「Double Vision」まで、奈良原さんの生涯にわたる作品の代表作が二部屋に集約された、ダイジェスト的な展示であった。

初期の「人間の土地」「王国」においては、「軍艦島」あるいは「修道院」という閉鎖空間の中での人間の営みを、決して、過度にジャーナリスティックに表現したり、問題提起したりするわけではなく、奈良原さんの好奇心たっぷりの自然な視線のままに情景を切り取っていく。

それでいて、その構図の中には、それを構成するディティールが、過不足なく、そして、あまりに、バランスよく配置されているので、何だかフィクションの映画か舞台芸術、もしくはシュールレアリスム絵画に描かれた、異世界なんじゃないか、とさえ錯覚させられる写真である。

しかしながら、そのシュールレアリズム的光景を「静」とすると、そこに、いざ人間が入り込むと、その何気ない一瞬の仕草、視線、表情のリアルな「動」の一瞬を捉えて、見る人を一気に現実(リアリティ)に目覚めさせる。
これぞ、奈良原さん的な、「静」と「動」の対比、逆説的にリアリティである人間を掘り下げるアプローチをしてきているように感じる。

日本を飛び出した奈良原さんは、アメリカで「消滅した時間」、ヨーロッパで「静止した時間」を撮る。

大自然を前に、何気ない人工物であるはずの「公衆電話」や「ゴミバケツ」をまるで近未来の宇宙船のように見せるところもすごいのだが、奈良原さんは、さらに、その背景にある大自然の、稲妻や雲の一瞬の造形を見逃さず、決定的な一瞬にシャッターを押す。

ヨーロッパでは、「鳩」や「猫」、制御不可能なはずの動物たちを「動」のアイテムとして、その一瞬の動きを奈良原さんは味方につけて、シャッターを押す。
「静止した時間」の中の一枚、建物の影の隙間に落ちた、飛翔する鳥の影の写真は、ボクが最も好きな写真の一つだ。

奈良原さんは奇跡の一瞬を呼ぶ、いや、決して見逃さない「達人」である。

いや、奈良原さんは、「奇跡の一瞬」だけでなく、意図的で卓越した撮影技術、テクニックを前面に生かした写真もたくさん撮られているのだが、そのテクニックの活かし方も、奈良原さんらしい「イタズラ心」が満載なのだ。
奈良原さんの「テクニック」が爆発しているのが、本来ならば粛々として荘厳な雰囲気であるはずの禅寺で撮影した「JAPANESQUE」。
しかし、奈良原さんの手にかかると、光線の上を僧侶が飛び、釣鐘は巨大な円形の幾何学模様となって構図に収まる。
寺の陰影、荘厳な雰囲気を残しながら、その修行僧を自由自在に撮った「JAPANESQUE」における摩訶不思議な写真の数々!!

それは、奈良原さんの「逆説的アプローチ」と「イタズラ心」に溢れていると思う。

一瞬を撮ることは、そこにある、無限の時間を凝縮するのだ!!

「時空を超えて、奇跡の一瞬を切り取る」とはいえど、当然ながら、偶然と運だけで、生涯にこれだけの作品は残せない。

奈良原さんは、そこにある無限の時間、空気を読み取り、どの瞬間に凝縮すれば最も印象的に仕上がるか、緻密にその構成をしているのである。

ボクは今回の展示で初めて拝見したのだが、X線レントゲンによる1991年作品「インナー・フラワー」など、奈良原さんは晩年まで果敢に写真の可能性に挑戦されていることも非常に印象的だった。
そして、その作品群は、今見ても古さを感じさせない。

まだまだボクも上手く言えないのだが、奈良原さんの写真は、幾人かの共通認識としての「時代」を写したものではなく、そこにあるのは奈良原さん一人による作家性、徹底した視点、感じた空気感の凝縮による写真だからだと思う。

写大ギャラリーでの写真展は、2021年11月20日(土)まで。
展示枚数は決して多くはないのだが、奈良原一高ワールドをダイジェスト的に味わうには、良い展示だと思いました。
みなさまも是非!!


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