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あけましておめでとうございますから、NHK目撃!にっぽん「『筑豊のこどもたち』はいま “貧困のシンボル”の末に…」

note上では遅くなりましたが、2021年、みなさまあけましておめでとうございます!

って、いよいよ、新型コロナ緊急事態宣言がでてしまい、新年早々今年もなかなか辛抱と多難な年になることが予感されますが、みなさま、落ち着いて、可能な限り、平穏に過ごすことができますよう願っております。

我が家では、おかげさまで子供の熱も年末に下がり、穏やかに新年を迎えることができました。
「普通」の日常を過ごすことがどれだけありがたいか、考え直せるだけでもよい機会になっていると思います。
「〇〇ができない」という否定的な考えには、すぐに「じゃあ、××をしよう!!」という代替案(全く関係のない代替案でもいいんです!!)で対応していきたいと思っております!

さて、昨年末12月20日に、NHKの番組「目撃!にっぽん」で、「『筑豊のこどもたち』はいま “貧困のシンボル”の末に…」というタイトルで、土門拳さんの写真集「筑豊のこどもたち」が取り上げられました。

番組については、交流を持たせていただいている、大好きな写真家、柴田秀一郎さんの記事を通して知りました!

柴田さん、ありがとうございます!!
今年も何卒よろしくお願いします!!

ボクの大学の写真部の部室に、土門拳さんの写真全集があった。
ボクは、そこで初めて、「土門拳」さんのお名前と共に、その第11集「筑豊のこどもたち」と衝撃の出会いをはたしたのである!!
それ以前にも、ボクは、鉄道貨物や産業遺産、廃墟が好きだったことから、長崎の「軍艦島」の写真に興味を持ったり、日本の石炭産業の盛衰について、ある程度、知識としては、知っていた。
しかし、そこで暮らす人々を、これほどまでにリアルにとらえた写真があることに、当時のボクは衝撃を受けた。
表紙になっている指をくわえた「るみえちゃん」の表情を何度見返したことだろう。
幼い子供で、しかも非常に粗末でお世辞にも美しいとは言えない服なのだが、本当に「芯の強い女性」の眼差しを見たし、「美しい」と思った。

ボクのような未熟ものが「人を撮る」写真について語るのもおこがましいが、人を写真に撮るとき、その写真を見た人が、写真から感じられることには、縦軸と横軸があると思う。
上手く説明できないのがボクの未熟なところなのだが、
◎その写真に写った人物から感じられる、その人の人間性(縦軸)
◎その写真に写った人物から感じられる、バックグラウンド(横軸)
である。
言い換えれば、カメラマン(写真家)は、人間性(個性、性格)を縦に掘ることと、背景(時代性、環境)を横に広がらせること、がどこまでできるかということを常に考えなければならない。
もちろん、縦、横、どちらかに振り切った写真を撮ることも可能であろう。
いや、一応断っておくが、カメラは光学機械なので、人間の「心理」や背景となる「物語」を文章や音で記録することはできないからね。あくまで、「どれだけ感じさせるものを撮るか」という話である。

土門拳さんの「筑豊のものがたり」は、ボクが言うまでもないことであるが、その「縦」と「横」の双方のバランスが、素晴らしいのである。

土門拳さんのそのリアリズムには、足元にも及ばないのだが、ボクは、この筑豊の炭坑の歴史に大いにインスピレーションを受けて、2015年に「炭坑」をテーマにしたムーニー劇場を制作するに至ったのである。

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いや、この作品だけではなく、土門拳さんの「筑豊のこどもたち」は、ボクのムーニー劇場全般における「原点」とも言うべきものかもしれない。

2021年、年始早々、「筑豊のこどもたち」についての番組を拝見し、大学卒業後、古本で購入した「筑豊のこどもたち」を再び見直すきっかけになった。
「初心を忘れるな!」と言われたような気がした。

では、いつかムーニー劇場はリアリズムになるのか?と言うと、それは違う。

敗北宣言をすると、ボクにはできない!と思うし、ボクが申し上げるのもおこがましいが、「リアルなモチーフ競争」にボクはあえて参戦したくないのである。

下に引用した話が全てではないかもしれないが、土門拳さんも、当時学生だった桑原史成さんとの間で、この筑豊炭坑のモチーフを狙って、密かに争ったそうである。

Wikipedia「筑豊のこどもたち」の項目で引用されていた、深津邦夫さんの「カメラの感触」サイト内「若き学生が撮った「るみえちゃん」

「リアリズム」はリアリズムであるが故に、観る人に訴える力も強いかもしれないが、それは同時に、「カメラが凶器になる」といわれるような、危険な一面もある。
そこに挑戦するか、しないかは、その写真家それぞれだと思うが、リアリズムを突き詰めると、だんだん笑えなくなる怖さを持っていることを承知しておくことは必要だと思う。
今回のNHKの番組で改めて思ったが、そこに写った人それぞれの人生(の一部かもしれないが)を、ある意味「背負う」ことにもなってくるのだ。

ボクは、ムーニー劇場の「エセ・リアリズム」で、敢えて「笑う余裕」にこだわってみたいのである。

2021年、土門拳さんの「筑豊のこどもたち」に敬意を込めて、そして、今回、そこに写った人々の「その後」を克明に追った、NHKの取材班にも敬意を込めて、改めて、自分の写真を考えてみました。

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