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年賀状について

ムーニー劇場第五幕
@神保町画廊
2020年1月17日(金)~26日(日)
「ムーニーパラダイス」

そろそろ、ムーニー劇場第五幕「ムーニーパラダイス」の準備をしないと、本当にヤバイのだが、同様に、我が家では、2020年、令和2年の年賀状の準備も、嫁様から緊急命令が出ており、本当にヤバい。

「年賀状なんて、前時代のもので、メールか、SNSで済ませればよい」と、考える人は、それも良いでしょう。
しかし、ボクは、社会人になった後、一旦年賀状を一切出さなくなったが、結婚した後、年賀状を復活させて、今に至ります。

やっぱり、紙面で、年賀状をやり取りする文化を見直しました。

実は、1996年 、ボクが高校2年のお正月、今からちょうど24年前、「ねずみ年」でした。

1995年の夏休み、東京に住んでいた従兄弟を訪ねて 、吉祥寺で伝説の映画「Super Comming」を観たり、

NHKソリトンside Bの影響で、小西康陽さんに出会い、Pizzicatofiveは、オーヴァードーズ!

からROMANTIQUE’96 、小山田圭吾さんも、アルバム「69/96」

を出して、ボクが今に繋がる文化的人生基盤の形成を行った ( 誤った!?)大切な1996年でした。

その年の年賀状、ボクはどうしたかと言うと、水彩画で、年賀状を大量生産しました。

「 水彩画を大量生産!?」の意味がわからないと思いますが、年賀状を、画板に何枚もマスキングテープで張り付けて、鉛筆で同じ絵を各ハガキに描きます。もちろん、同じ絵を描くと、自分も飽きるので、少し変化させてみたり。

その当時は、インターネットもまだ普及していなかった時代、高校の学年別に、住所と連絡先を書いた、名簿が発行されていました。

何とボクは、高校時代に好きだった女の子を含め、仲の良い友達、女の子に、自筆の水彩画を大量生産して、送付していました。
というか、無理矢理送り付けていた女の子も多かったように思いますwww

年賀状テロ!!

個人情報をそんなふうに利用する人がいるから、個人情報保護法ができたとか何とか。。。

確か、岡山には、その制作過程の写真も残っていたハズです。。。
今度岡山に帰ったら、探しましょう。。。

個人でカラープリントなんて、夢のような時代、カラーでプリントする年賀状など、夢のような時代、カラープリントするなら、写真屋さんに頼むか、プリントゴッコ!!が全盛だった時代www

プリントゴッコ!懐かしいけど、実は我が家は結局購入しませんでした!!
親戚の家で使ったから、懐かしい思い出ではあるのですがw

ボクが中学生の頃から、ボクが直筆で大量に年賀状を製作するようになったことも、プリントゴッコを購入しなかった理由だと思います。

ボクにとっては、大量に年賀状の絵を描くことを、「絵を描く練習」と捉えていたことも大きかったと思います。
実際に、同じ絵柄を何枚も描くことは、絵の練習になったと思います。

いやぁ、もちろん今はできませんが。。。

さ、年賀状をプリントしなければいけないので、今日はこの辺で。。。

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