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映画「白い暴動」~音楽は闘いの歴史だ!~

ボクがパンクバンド「ザ・クラッシュ」と出会ったのは、ボクの音楽史!?の中ではかなり早くて、高校1年の時、ボクの部屋には、「LONDON CALLING」のポスター、そう、ペニー・スミスが撮影した、ベースを叩き壊すポール・シムノンの写真が、でかでかと貼ってあった。(今でも岡山の実家のボクの部屋に貼ってある)

ボクとしては、親の影響で、ザ・ビートルズからロックの世界に足を突っ込んだ人間として、改めて、ロック黎明期から、ビートルズを経て、ザ・クラッシュ、パンクロックに至る、大まかな系譜はつかんでいたつもりだった。

しかし、正直なところ、今回、映画「白い暴動」を観るまで、情けないくらいに、「RAR~ロック・アゲインスト・レイシズム~」の活動について、知らなかった。
ちょうどボクが生まれた頃、1978年4月30日の「RAR」大デモ行進が開催された。10万人の参加者を前に、ザ・クラッシュが、「白い暴動」を歌ったのだ!!

その頃、これほどまでにグレートブリテン及び北アイルランド連合王国、いわゆる「イギリス」が、経済危機から疲弊し、荒廃していたとは、恥ずかしながら知らなかった。
その荒廃したイギリスで勢力を拡大していたのは、右傾化、人種差別、レイシズムだ。
本当に、黒人、アジア系のリアルな被害の実状と、危機を感じた人々の証言に、イギリスがここまで深刻な状況であったことに、非常に驚いたし、勉強になった。

思えば、ボクのイギリスの記憶は、その後、1979年に始まった、「鉄の女」マーガレット・サッチャー政権以降の記憶なのかもしれない。

ボクは、「空飛ぶモンティ・パイソン」(1969年放送開始)を観まくって、非常に笑わせていただいたし、その後の「ミスタービーン」なども見まくっていた。それに、歴史あるプロムナード・コンサートや、BBCシンフォニーオーケストラなど、イギリスのクラシック音楽も楽しんでいたのだが。

しかも、中学生だったボクは、当時、「パンク」に対して、「ファッション」から入ったのだな。
そう、多くの人々が、何となく、「パンクロック」という言葉からは、ツンツンした髪と、革製のチョーカーや編み上げブーツ、そしてライヴではヘッドバンキングやダイビングで暴れる、激しいイメージを思い浮かべてしまう。
(かくいうボクも、ザ・クラッシュは、一曲歌うごとにステージから唾を吐く、というのを信じていた。。。なんという恥ずかしい)

しかし、「RAR」の10万人デモ行進の映像を観て、ボクの意識が誤っていたことに気付いた。

「闘う音楽」というのは、殺気立っているのではない!

RARが目指していたのは、音楽を通じて、レイシズム、ナチズムに対して、団結すること!

スティール・パルスを中心に、レゲエのバンドと共演し、デモの最中も、トラックの上からは、スティールドラムの幸せな音が鳴り響く!!

気付いたのは、音楽を細分化し、分類することは、音楽をファッションとして捉えるならば、それは有効かもしれない。
しかし、音楽を文化として捉えるならば、そのルーツをより深く理解し、共通点、親和性を認識することが大切だと思い知った。

「差別なんて、この国の恥だ!」
そう考えた、ファッションとしては、ごく普通のイギリスの市民の多くが、文化として、パンクロックやレゲエの、音楽を求めたのだ。

ナチズム、レイシズム、今もどこかの国で、人々が自由に生きる権利が脅かされている。そんな時、いつもボクらは音楽と共に闘ってきた。

どこかの国で、「ミュージシャンは政治的発言をすべきではない」などと言われているのは、本当に大間違いだし、ホントに恥ずかしいと思いました!!

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