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安達祐実と安達祐実さんの間には

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桑島智輝さんの写真展「前我我後」を拝見してきました。

中学校の頃、ボクは安達祐実さん(以下、敬称を略したり略さなかったり)のファンだった、というか、ファンだったことにしていた?という時期がある。
ちょうど1993年、15歳のころに「REX恐竜物語」という安達祐実主演映画が上映された。
映画自体は、正直申し上げて、観ていない。ごめんなさい。
ただ、ちょうどその前年に、映画「ジュラシックパーク」が上映されて、恐竜ブームのようなものに乗って、話題になった映画だった。

ボクは、中学3年になって、既に「初恋」のようなものも経験して、その失恋した状況の中で、友人たちが、中学生のガキの思考なりに、ボクを元気付けようと?失恋の傷を癒すため?ボクに、

「アイドルで、誰が好きか?」

ということを聞いてきたのlである。
その時ボクは、かなりテキトーな感じで、「安達祐実」と答えた。

すると、中学生のガキんちょの思考なりに、その友人たちは、ボクのために、安達祐実が写った、「REX恐竜物語」のグッズや、どこから引っぺがしてきたのか、かなり大きなポスターまで、ボクにプレゼントしてくれた。

要らないと言うのもめんどくさかったし、実際にそのころの幼い安達祐実はかわいかったので、ボクはその友人のプレゼントをありがたくいただいた。

しかし、初恋の失恋の傷は、まったく癒えなかったが。

ボクにとって、安達祐実さんのことを一番見ていたのはこのころだったと思う。

その後、ボクが高校生になったころ、安達祐実さん主演のドラマ「家なき子」が大ヒットした。主題歌が、ボクが大好きな中島みゆきさんの「空と君とのあいだに」だったので、多少注目はしていたが、ボクの興味は、もっと男女の恋愛が主体のいわゆる「トレンディドラマ」に移っていたため、「家なき子」のドラマも、ほとんど見ていない。ほんとうに申し訳ない。

その後、安達祐実さんについては、ほとんど関心を持っていなかった。

何となく芸能人と結婚して、離婚したことは、テレビの番組だか、WEBの芸能ニュースでしっていたが、どんな映画やドラマに出演していたのかも、まったくと言ってよいほど知らなかった。
再び安達祐実さんをじっくり拝見したのは、ボクが写真を撮るようになって、新潮社の「月刊」シリーズで、斎門富士男さんや藤代冥砂さんが撮影された、立派に成長された「女優 安達祐実」さんだった。

前置きが長くなったが(←ここまで前置きかい!?)、とにかく、ボクの中で、今までの安達祐実さんの印象は、そんなものであった。

そして、今回の写真展「前我我後」を拝見した。

そこには、ボクが全く知らない「安達祐実」さんがいた。

悪いわけではない。非常に素晴らしい写真展だった。

ただ、ボクの非常に薄い印象ながら、おぼろげに知っている「安達祐実」さんを観に来たつもりだったのに、そこに写っているのは、安達祐実さんじゃなかった!という非常に奇妙な感覚だ。

壁に貼られたたくさんの写真の大部分は、写真家桑島智輝さんが、妻を撮った写真だ。

そこには、「安達祐実」はいないのだ。
もちろん、安達祐実さんなのだが、女優安達祐実ではない、誰かなのだ!

確かに、「私写真」として、夫婦生活を撮った写真として観ても、この写真展は、とても素晴らしい写真展だったと思う。

しかし、それだけではないところが、この写真展をさらに面白くしているといえる。

「私写真」というジャンルでいくと、既にアラーキーこと、荒木経惟さんが、有名な「センチメンタルな旅」で、妻の陽子さんを撮った作品がある。一瞬、ボクの中でも比較してしまいそうになったが、
「待てよ?今回の桑島さんの写真展は、単なる『私写真』じゃないのではないか?」
と考え、改めて見直してみると、

見つけた!
壁中に貼られた、たくさんの写真の中に、数枚、女優安達祐実さんを見つけたのだ!
もしかすると「安達祐実さんの片鱗」と言った方がよいのだろうか?

そこが、この写真展の素晴らしいところなんじゃなかろうかと思ったのだ。

いやぁ、なるほど。
よく考えてみると、桑島さんは、よくもまぁ、「安達祐実さんを撮り続ける」という、語弊を恐れずに申し上げると、「恐ろしく」「切ない」ことをしているのだな、ということに気付いて、ボクは鳥肌が立ってしまった。

ボクも結婚をしているし、いや、夫婦ではなくとも、男女、他人同士の人間関係、誰でも、その関係性は、羽陽曲折、波乱万丈、それぞれのドラマがある。そのドラマを何気なく切り取って表現するだけでも大変な行為だと思う。

しかし、今回の桑島さんの写真展は、女優安達祐実を捨てていない安達祐実さんの、夫婦としてのドラマを撮ったものであり、女優安達祐実を裏側に内包することで、「桑島さんの妻」である安達祐実さんという人間を際立たせている。

桑島さんは、「女優安達祐実」をその人間から剥ぎ取ることは、不可能であると、当然解っていながら、目の前にいる、女優安達祐実の片鱗を持つ、一人の人間を撮っているのだな、と思った。

写真集の言葉に「失うことの恐怖」というものがあったが、それは、「若さ」「年齢」などという、時間軸に縛られるものではなく、「女優安達祐実」が、全て剥ぎ取れるものではないとわかっていながらも、その一枚一枚が剥ぎ取られていくような、喪失感のことではないだろうか?と思ったのだが、いかがなものであろうか?

残す会期もあとわずかになってしまいましたが、7月12日まで渋谷PARCO Gallery Xにて。桑島智輝さんの写真展「前我我後」
是非!



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