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価格設定とは、お客さんにこう生きていってほしいという表明の一部

お値段設定の話です。個人が始めたインデペンデント型ビジネス=起業というスタイルだと、この価格設定は命にかかわる大命題です。
とても難しく、その上最初はほぼ値付けには失敗します。手作り作家をやっている人も、様々なサービスを作っている人も、起業というスタイルでゼロから作り始めたら、最初の値段設定に死ぬほど悩み、そして大体失敗します。(経験が少ないほど安くし過ぎる傾向があります)

でも、値段設定が、その商品やサービスのかなり多くの部分を語るのです。

当店は基本的に「目一杯、出せる限り価格を下げて提供する」ことにしています。問屋さんを通してしまうと、売るほどマイナスになります。だから、今のところ直接お取引させて頂けるところでないと厳しいという状況です。

今は手帳1冊900円で、1年分で2冊なので1800円です。
でも本当は3000円くらいは欲しい。
ただ、なるべくお金のかからない形で、なおかつその形に意味があるものということで、今の中綴じ&1年2冊の分冊スタイルになっています。

月額マガジンも、金額設定は相当悩みました。
本当は800円くらい、手数料や消費税(最終的に当店が納税するものです)などを考えても、そのくらいは……。規模的にも100人くらいだと全然だめで、この額なら800人くらいはいないと、経営の視点では話にならない訳です。個人のお小遣いや副業的な話なら全然いいんですけれど……。

800という数字が二回出てきて、何となくめでたさはありますが。が、やはり、ここは一度価格を下げられるだけ下げてみよう。

理由はいくつかあります。
金額設定というのは、お客さんにこの商品を買う事でこのように生きていってほしいという、作り手・売り手のメッセージの一部です。

だから、高価なもののお店は、安いものを置きません。しっかり作り込んだ高価なものを持って生活していきたい人の為に売っているからです。
こういうふうに生きていってほしい、そんな人が存在する社会を支えたい、というのがそのお店やブランドの表明になっていくのです。
いわゆるビジョンと呼ばれるものに繋がっていくのでしょう。

当店でも、価格にはある程度の考えがあります。

○手帳という消耗品が高過ぎるのは使いにくい

高い商品の方が好きという方もいて、そういう人のためのラグジュアリーな手帳もたくさんあるのですが、ムーンプランナーはまずは「道具」として作ったので、手軽に買える価格にしたいと思いました。消耗品である、という位置づけです。消耗品なら、1つ1000円に納まるようにしたいな、という金銭感覚からつけられています。消費税込みで、1000円に納まること。そのくらいの生活イメージということです。

300円なら買うけど…という金銭感覚ではないし、5000円でもいいわよとは言わない金銭感覚のイメージです。
それで提供できるようにするには、削れるところは徹底的に削らないと存在自体が厳しくなります。いわゆる企業努力というやつです。

ただ今後、方針を変えて、ラグジュアリーラインを作ることもあるかもしれません。ここは現時点での在り方です。

○低価格にしたいからといって、無料では出さない

ある意味、そんな儲ける気がないなら、無料で出してしまえという考えも世の中にはありますし、それでうまくいっているケースもあると思います。
ただ、それは「安さが持っている毒素」が世の中に広がることに繋がると思っています。

客の要望には何をおいてでも答えないといけない、という消費者至上主義がここしばらくの日本にはありました。今もあります。
でも、それでちゃんと社会が回っているのかというと、いろんな問題が出ていることがだんだんと多くの人が認識し始めています。
お客という立場ならいくらでもお店から搾取していいのか?というテーマです。

消費者という立場は、非常に暴力的でズルく泥棒のようになっている、ということは、モノを作る・売る側に立たないとやはり見えにくいものです。

あるチェーン型のカフェにいた時の事です。
よれよれの服で挙動不審のおじさんが入ってきて、レジには向かわずに砂糖やミルクのおいていある台にまっすぐ行き……、置いてある砂糖をつかんでポケットに入れ、走って店から出ていきました。
判断能力を失っているのではない事はひと目でわかりました。いい歳の大人が、うしろめたさ、恥ずかしさを感じながら、無料の砂糖を盗んで逃げていく。いろんな意味で、とてもショックを覚えた出来事でした。
コーヒーシュガーをランチにするのだろうか、それほどひっ迫しているのか、無料のものだから万引きとは言えないかもしれないけどサービス品だけ持っていくのは厳密には窃盗になる……いろんなことが一度に頭の中を駆け巡りました。

でも。

これに似たようなことを、わずかなお金で消費者の立場をゲットしてやっていなかっただろうか?
わずかでも支払っているから私は万引き犯ではありません、当然の権利だと言わんばかりに、彼と同じことを恥じる気持ちさえなくやっていなかっただろうか?
自分は。

そしてお店はそういう人もお客さんとして、丁重に扱う事を前提とした良心で運営されている事が多いです。
良心をいい事に、無礼や恥ずかしい事を見逃してもらい、お金のなさを助けてもらい続けていたともいえるのかもしれません。
低価格サービスのおかげで人並みらしい生活を整えられている面は否めません。
それにしても、限度というものがあるのです。それに気づいている人たちも増えています。いつまでお店は良心を持って運営してくれるでしょうか?

お店を搾取してくるのは、お金がなくて生活もずたずたな状況にいる人が多いです。とても大きな問題を抱えている状態です。
そういう根本的な問題を無視して、貧乏人同士が奪い合う状況を作り出すのが、「安いもの」が持つ大きなリスクです。しかもパッと見、貧乏人を助けている部分があるところがとても罪深い。
安く売るのは、お店の人の給料が下がり貧乏になるということです。

これは少しでもいいから、食い止めていきたいとおもうのです。
それがたかが1000円程度の手帳でできるのかというと、相当おこがましいことかもしれません。実際にはなにもできていないに等しいかもしれない。

ちゃんとお金を払うということは、この社会全体に回った毒に対抗するとても重要な行動のひとつだと思います。
そう考えると、当店のなるべく安く設定したいという値付けの基準や、たまに行うセール(2月中は書籍と手帳が大特価特別セール中)は、この毒を深める事になっていないだろうか、と思う事も、ない訳ではありません。
自分の中で矛盾や、ある程度の妥協を感じている事も確かです。
でも、現時点での精一杯の誠意とできる事は、理想から遠く見えても諦めることはないと思います。

○おまじない的な意味合いで買う人がいるからこそ高価格にはしない

ここまで考える意味はないのかもしれない、と思います。
そんな事、個々人の事情まで考えても、仕方ない。もっと利益をちゃんと持てるように作ったほうが、ビジネス的に健全じゃないか、という迷いも、正直あります。
が、特に手帳という商品の特性と、そこに月の満ち欠けという要素が重なると、ものすごいスピリチュアルな視点で興味を持つ人がブワッと増えます。こちらはそこまで想定していなかったんですが、ほとんどの人がそうやって見ているんじゃないかと思うくらいです。

おまじないや占い、スピリチュアルな雰囲気は、エンターテイメントのひとつです。否定する必要はないし、とても面白く楽しいものだと思います。
素晴らしい映画で人生が変わる人がいるように、人の心に繋がる喜びや学びがあるものです。
が、それだけではないのが、怖いところなのです。

そういうおまじない的な希望を持って買う人は、かなり精神的かつ経済的にひっ迫しているケースが少なくないです。砂糖を盗んだおじさんのように。
そういう人がうっかり買っても、大打撃にならない程度の価格にしておきたい、と思っています。

いいかえればそういう状態の人たちが多いということは、いいカモがたくさんいる状況です!言葉は悪いのだけれど、気を付けてほしいからそう書きますね。

手帳は「書けば夢が叶う」というコンテンツが山ほどあります。
そういうところに食いつくのは、うまくいっていない状況の人の方が多いでしょう。
さらに、満ち欠けって入っていると大いなる宇宙の力でパーッと何かが解決するような気持ちに傾いてしまうのは、なかなか止められません。

ということを望む人が、ある程度集まってしまうキーワードになってしまっている。
言い換えれば、簡単に搾取できる状態にいるのです。
だからこそ、値段は低めに設定しないといけないと思いました。私はあなたをそれ以上金銭的に苦しめたくはないのです。

疲れて混乱して、なんでもいいから夢をかなえてくれる魔法の杖のようなものを探し回っている人は、普通に生活していると出会うことが少ないかもしれませんが、私はこの手帳を作るようになってからものすごくたくさん出会いました。ものすごくたくさんいるのです。
そして、それはこれを読んでいるあなた自身かもしれません。

そういう状態の人に、「そんな魔法の杖はない、自分の力で努力したほうが願って叶えるより何倍も速い」というと、激昂されます。
その努力はことごとく裏切られ、努力することも封じられ、自分の力を使う事を徹底的に否定されて自尊心も自己肯定感も自己効用感も失っている状態だからこそ、魔法の杖を探しているのですから。

自尊心が低く自己肯定感がないと、搾取されているほうが楽に感じる事さえあるのです。

詐欺師は賢い金持ちよりも貧乏人と判断力のない人を狙っていきます。そのほうが簡単に騙せて、逃げるのも簡単だから。

商品は、作り続けるのに必要な価格で提供しないといけませんが、搾取の入り口になってはいけないと思っています。
また逆に、先ほど書いたようにお店もお客さんから搾取されてはいけないとも思います。搾取されると、搾取し返す気持ちに歯止めは効かなくなります。そのバランスを、ちゃんと取っていかないといけないと思っています。


価格はコミュニケーションです。
同じ商品を5万円で買う人たちとコミュニケーションをしたいと思っているのか、1000円で買う人たちとコミュニケーションしたいと思っているのか。お店はそれを決める事ができます。
だから、日本で売っている時はこのスタイルで行くけれど、違う国で販売する時はその場所にあわせた形で、もしかしたらすごいラグジュアリーなスタイルになるかもしれません。

そういう事を一切考えずにお店を、ビジネスをやっていっても、別に困らないかもしれません。
でも、できれば、せっかくなら、私は考えたい。
買う側という立場から、一緒に考えてもらえる人がいたら、いいなと思っているし、実際にセンスがよく賢いお客さんはたくさんいて、よく「なんてすごい」と思う事も多いです。

搾取ではないビジネスというコミュニケーションは、どうやって形成したらいいのだろう?

そういう問いは、ビジネスをしているとどうしても発生してきて、そこを無視せずに活動をしているお店やブランドも現在たくさんあるので、これから少しずつ紹介していこうと思っています。

特にカフェや、最近ではアパレルメーカーなどがそういう考えをベースに商品を作ったり販売したりお店を出したりしています。
スルッとナチュラルに、今までできなかったようなことをやっている人たちは、誰かから与えられた政治的思想に操られているわけでもなく、自分自身の感じた事に率直かつ妥協なく、平和的で楽しく解決する方法を提示してくれています。
一消費者としてとても興味があるし、心も踊るし、お店を持つ者としてとても勉強になります。

お店の人も、生活者であり、消費者です。
消費者であることから逃れられないのです。
ならば、どのような立場でも良き消費者であるのは、大切な事ではないかと思います。
善き消費者になれるための商品の売り方を、一消費者として考え、販売者として実行していけたらと思っています。

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