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おばあちゃんが亡くなったので私なりの見送りを

はいたい!お久しぶりです、早速更新をサボったいーたんです笑 

そんでもって、2回目に、島暮らしイェーイを書くと思ったそこのあなた、残念でした、今回は違うこと書きたいので、みてくれたら嬉しいです😌

最近私の母方のおばあちゃんが亡くなってしまって、おばあちゃんは茨城の下妻にずっと住んでました。

島に嫁いでから年に一回ぐらいは東京に帰って、親戚に会ったりしていたわけだけど、コロナが日本に上陸してからは、帰れずじまいで、一昨年の6月から帰れていません😭 
最後を見送りたい気持ちはあったけど、いろんな人に迷惑をかけてしまうことになるかもと思ったので、島にそのままいる選択をしました。


茨城の下妻めっちゃいいとこ。何がいいって、筑波山が綺麗なのよ。おばあちゃんの家の前は川が流れてて、周りは田んぼだらけで、そんでもっておっきいジャスコもあるし、しまむらもあるし、ばんどう太郎もあるし、サンキも前までは、あった。あと子供の頃はよくネイチャーセンターってとこで遊んでた。

長い休みの時は必ずと言うほど従姉妹たちも大集合で、子供の数はなんと6人。

みんなおばあちゃんの家に泊まるもんだから、お泊まり会みたいで楽しくて、私は従姉妹たちの中でも1番下だったので、可愛がられたり、からかわれたり、それも楽しかった☺️

おばあちゃんの作ってくれる味噌おにぎりが大好きで、おばあちゃんのお家に泊まって、朝起きると何食べるか〜?といつも聞いてくれたおばあちゃん。いつもいつも、味噌おにぎり!と即答。

そして、おばあちゃんの家の冷蔵庫にはジョアやら、ヤクルトやら、ヨーグルトやらがよくあった。
そう、おばあちゃんはヤクルトレディーとマブかった。

おばあちゃんはおじいちゃんのことが超好きで、おじいちゃんに看護が必要な時、せっせっと介護した。おじいちゃんが刺身が食べたいといえば刺身を出した。おじいちゃんが入院した時、おじいちゃんは病院のご飯が美味しくないと言っていて、おばあちゃんにこっそり何かを持ってくるように要請、おばあちゃんもこっそりなにかを持って行っていた。(まじでこれ病院の人からしたら超迷惑行為だと思うのでみなさんは絶対真似しちゃいかん!いくら超好きな人でも言うこと聞いたらダメなやつ!)

おじいちゃんは大工の仕事をしてたらしい。私の物心ある頃からの記憶ではおじいちゃんはすでに引退していて、入院したり退院したり繰り返してた気がする。たまにボケてるのか、ボケてるふりなのか、よくわからなかったけど、よくコタツの中に私の小さいおもちゃを隠して、私と遊んでくれた。必死にこたつの中を探すけど、おじいちゃんはおもちゃを隠すのがうまくて、いつも見つからなくて、ついには、おじいちゃんさえも小さすぎるおもちゃがどこにあるのかわからなくなってしまい、私が大泣きしたこともあった。
私が小さい時家の目の前にある川を一緒に眺めては、川には龍がいるんだよ〜とか言っていた。
龍がいるのか、こわい、ひぃ。食われるやんけと子供の頃の私は思っていた。もしかしたら間違って川に入ったりしないようにおじいちゃんが考えついた嘘だったのかもわからない。。おじいちゃんはいつも本気で龍が見えると言っていたから、嘘なのか本当なのか、大きくなっても、私にとっては曖昧だった。

私が中学生の時おじいちゃんは先に亡くなってしまった。
おばあちゃんはそれがとても悲しくて、かなしくて、本当に悲しそうだった。悲しそうなおばあちゃんを見るのはちょっと悲しかった。
おじいちゃんの介護は超大変だったに違いない。おばあちゃんもおばあちゃんなので歳もそれなりなのに、出来る限りおじいちゃんの世話をしてたようにおもう。
介護から解放されたおばあちゃんは生きがいをなくしたかのように見えた。
おじいちゃんが亡くなって少し経った頃、おばあちゃんは変わらず寂しそうだった。
おじいちゃんは悪戯好きで、亡くなった後も何度か悪戯をされたような気がするけど。笑

おばあちゃんはそこから生き甲斐を無くしてしまったかのように、ダックスフンドのあーちゃんと横になってることが増えた。

会う度におばあちゃんの体が元気がなくなっていってるような感じがした。

最後に会いにいったのは一昨年の6月だったと思う。その時は会えるのが最後だなんて思いもしなかったし、コロナでしばらく東京にも帰れなくなるだなんて全然わからなかった。

おばあちゃんは歳取ったらこれだからいやだっぺぇーなんて言いながら、それでも私やれみたんや母に飲み物を買おうとしたけど、最後に入っていた病院では、食事も管理されてた為、お金を持つことが出来なかった。


身体が元気がないまま、生きているのはとてもつらそうだなと、私は思っていて、死んだらその肉体からは解放されるわけで、やっと楽になれた!なんでもできる気分、最高!と思うのか、それとも、まだまだこの世界に未練があるのか、おばあちゃんはなんとなく前者のような気がする。


大好きなおじいちゃんにもやっと会えたんじゃないかと思うと、おばあちゃんに生きてる私が会えないのは悲しいけど、それはそれでなんだか、嬉しく思う。 おばあちゃんが喜んでいるなら。


私はお葬式に行くことも出来なくて、お別れができなくて、親戚とおばあちゃんやおじいちゃんの昔話をすることも出来ず、おばあちゃんが今この世界に居ないってことに実感がわかない。

人間は忘れる生き物だと思っているので、おばあちゃんが私にしてくれたことや、思い出や、もうそれは色んなことを、いつか私も何年か何十年かしたら忘れてしまうと思うと、こんなことを書き記しておきたくなってしまったのであります。。

こんなこと書くのどうだろう?とおもったけど、ここでは好きなこと書くねんと決めて作ったので、このタイミングで好きなことを好きなように書かせていただいた😌 

私の母は今とてつもなく悲しくて、かなしくて、しょうがないと思う。そして悲しい母をみると私もまた少し悲しい。(もちろんおばあちゃんが亡くなったのも悲しいんだけど、おばあちゃんはみんながメソメソすることを望んでないと思うから。まあでも、お母さんが死んだら私も超悲しいだろうな。私は私が死んだら葬式に来た人に悲しんでほしくなんかないとおもってて、お祭り騒ぎのように酒を飲み狂って、テキーラ用意して、パーティーして、ガハハとたくさん笑って欲しいと思っている。なんなら、結婚式で流れるビデオ並に私の人生の面白ミスを流したいぐらい。笑)

母はおばあちゃんの子供の中で1番末っ子で、小学生の時までおばあちゃんのおっぱいを吸っていたぐらい甘えん坊だったし、超可愛がられたらしい。(この話をおばあちゃんがすると、お母さんは必ずそんなことはなかったと否定してた笑)

最後に棺桶に入ったおばあちゃんの写真をお母さんが送ってくれたのだけど、おばあちゃんはなんと花嫁衣装を着ていた。棺桶に白無垢、初めて見たので超ビックリだったのですが、綺麗にお化粧もされてて、もう一度おじいちゃんのとこへ嫁入りするように思えて、嬉しく思えた😌 

東京に帰りたかったけども、いま帰ってもみんなに心配をかけるだけなので、私はわたしで今をちゃんと大事にして、ちゃんと働いて、ちゃんとご飯食べて、ちゃんと生きることが1番の供養になるんじゃない?と思ったので、明日も明後日もちゃんと生ききる!
おばあちゃん大好き。ありがとう。

おわり







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