見出し画像

自分について


「私」とは?

休職するタイミングで産業医とかOJTとか心療内科の先生とか色んな人に
「自分と見つめ合う時間を作ってね」と言われた。

もちろん悪意はないだろうし、私が自分と見つめ合った先に精神的な安定があると思ってそういう言葉をかけてくれたんだろうけど、
それを言われた時正直辛かった。

就活とか関係なく、私は常に「私」を考えてきたつもりだった。
自分の行動特性とか思考の癖とか気質とか性格とか長所とか短所とか、
嫌になるほど考えてきたつもりだった。

これだけ考えても、足りなかったのか。
私は、私のことが捉えきれていないから休職することになったのか?と
軽く絶望した。

結局どれだけ考えても分からなかったから、会う人会う人に
休職した理由を聞かれると
「う~ん、なんででしょうね(苦笑)」と返した。


MBTI診断

私のMBTIはINFJ(領事官)らしい。
大学1年生のとき初めてMBTI診断をやって4年が経つけど、
他の属性を時々経由しつつ結局INFJに帰着する。

知り合いから「INFJは全人口の1%しかいない」と聞いて、
へえ、と無味な感想を抱く。
「INFJはこういう性格をしています」という紹介を流し見て、確かに当てはまるが当てはまらない部分もある、と毎回思う。

別の知り合いから「はるなちゃんってHSPじゃない?」と言われたことがある。
確かに人に気を遣いすぎる気があるし、たまに主語を「私」から広げすぎて余計なことまで考えてしまうことがある。

休職して、自分は躁鬱なんじゃないかと思ったこともある。
統合失調症かな、とか、ただの鬱病かな、適応障害かなとか、よくわからないけど、何かしらの病気に当てはまっているような気もする。


でもなんていうか、私は、自分をなにかしらの型に当てはめることに大きな抵抗がある。何かの類型に自分を当てはめてしまったら負けだと思っている。先に言っておくと「自分はINFPないしHSPだ」と認知する人を軽蔑するつもりは全くない。ので、そういう方が読んでたらごめんなさい。

これは、私がどういう人間なのかを私がある程度分かっているからこそ決めているある種の自分ルールなのかもしれない。
たぶん私が自分を「こういう類型に当てはまる人間だから、こういう気持ちになっちゃうのは仕方ないね」って自分を慰めるようになったら、私はその類型を逸脱する自分を許容できなくなってしまう気がする。

あと、人間は自分の都合のいいように物事を捉える癖があったり、MBTIではじき出される性格的特徴もバーナム効果ぽい感じがするから、内外ともにこういう「分類」を信じられないというのもある。


このnoteは復職直後に書いて、下書きにしたためていたものです。時系列がちょっとおかしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?