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모두 기록하자精神

せぶんてぃ〜んさんに対して感情が湧かない時期があった。あった、というかぬるくだけど今も進行している。別にオタクは義務じゃないから咎められることはないけどなんか良くないような気がして、また一人で勝手にヘコんでるだけ(西野カナオンニ)現象に苛まれていた。

普通に忙しかったのもあるし、ドラマに狂ってたのもある。その間はごくたまにオタ垢にちょぴっと舞い戻って静かに徘徊してすぐ帰るだけ、みたいな感じだった。それでも私の人生に特に変化はなかった。アイドルとオタクのある面から見ると非対称的な関係性について、いっちょまえに悔しさとか残念さみたいなのを抱いたことがあったけど、一方通行だからこそ私は好きに彼らを好きでいたりちょっと熱量を失ったりすることができるのだということを実感した。アイドルが見ているのは不特定多数のファンで、ファンがどれだけアイドルのことを考えたって基本届かない。その代わり私はどこまでいっても自由だ。今すぐにせぶんてぃ〜んを好きでいることをやめて、ファンクラブから退会して、アルバムを整理して、諸々を経てきっぱりと遠のいたとしても、誰にも非難されないし、彼らに伝わることはない。寂しくもあるけどすがすがしい関係だな、とこんなことを初めてちょっと思った。あと、「自由には責任が伴います」みたいなさ、学校の先生に遠足とか修学旅行とかの機会にリマインドされがちな言葉、あれを思い出した。当たり前だけど私は自由で、SEVENTEENのファンでいることを選んでオタクをしている。別にオタクに責任はないけどね、公的なのじゃなくて自分の気持ちの問題。やめたければ好きにやめればいいという前提の中で、私はCARATであることを選択しているんだなと思った。その前提はドライで薄いようにも見えるけど、強制じゃないのに選び取っているってよくよく考えたらすっごいきらきらしたものな気もする。

最初に書いた通り今も前みたいな全力感情があるわけじゃなくて、あろうことかナナツは1話の20分くらいでずっと止まってるし(さすがに時代遅れすぎる)、ウィもかなりご無沙汰だし、なうのせぶんてぃ〜んさんのことはあんま知らない。(なうってもう死語かも…)でも喋りたいことはちまちまあるし、5月のライブは楽しみだし、ソウルコンは大成功してほしい。ちょっと離れたところにいる友達に向ける感情みたいな?蔑ろにしているわけでも嫌になったわけでもないけど、関わりは減っているから日常の中で思いを馳せることもなくなっていて、でもふとしたときに気にしたり、元気だったらいいなと思ったり。このスタンスがいいとか悪いとかじゃなくて、今の私はとりあえずこれなんだなあとフラットな気持ちで思う。自分のオタクマインドを整理整頓するタイミングが今だったのかなって感じ。それをちゃんと文字にして残しておきたくて、突然書き留めてる。明日も早起きなのに(←朝眠すぎて後悔するやつ)

そのうちまた大爆発オタクで元気に喋り出すかもしれないし、今の感じがゆるく続くかもしれない。わかんない。あ、でもちょっと遠ざかったからといって他のアイドルに目がいくことはなかったから、私にとっての最後のアイドルはやっぱりせぶんてぃ〜んなんだなと改めて気付いた。それはとても嬉しい。

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