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lostandfound


 2022年3月13日 23時26分のこと。

 普段は素っ気ない母親から、いきなり長文のLINEが届いた。

昔、大阪にソウルファクトリーていうソウルのディスコがあったんよ。
そこでわたしと栞のお父さんが出会ったワケなんやけども。
わたしが22、23歳の頃。
お父さんはファクトリーのスタッフで、DJとかやなくカウンターに居てて、通い始めてすぐに見初められて付き合い始めたんよな。

で、最近ファクトリーの伝説のDJ澤田さんが、その頃のファクトリーの様子をYou Tubeであげはったんよ。
マジ懐かしい映像。
その頃のソウルファクトリーがどんだけすごくてメチャクチャやったんかがわかる(笑)

お父さん、見せてあげるわ

 私はこの夜、生まれて初めて、自分の父親を見た。


 1996年8月11日。私が生まれる1年前。大阪堀江 "SOUL FUCKTRY" で行われた、4周年パーティの、5時間以上にも渡る大記録。

 ディスコ・クラブの全盛期だと母は言う。よく喋るDJ、若者たちも野次を飛ばしながらぎゅうぎゅうにして踊っている。

 その若者たちの中で、スラッと背が高く、体格も良く、長い髪を一つに束ね、どこか凛としたオーラを纏った人がいた。周りの人からは愛称で親しまれていて、チャーミングなところもあり、お調子者っぽさも否めない。それが私の父親だった。

 目の細さ、目のはなれ具合、笑った顔、それから妙なリズム感。
 どこかで見たことあるような、というよりなんか、「知っている」ような。

 今の私と同じ歳くらいの母親は、クラブイベントにも関わらず、何故か浴衣を(それも見事に)着こなしていて、大口開けて無邪気に踊っていた。
 同世代の他の若者とは少し違う、品の良さと、溢れてやまない魅力。そんな麗しきダンシングクイーンを、父親は肩に乗せて踊っていた。

 Jackson5の "Never Can Say Goodbye"が流れる。
 肩車された母親は嬉しそうに、父親の髪をワシャワシャとかき乱し、父親もまた嬉しそうに、母親の太ももにはさまれながらにんまりとしている。

 クライマックスのチーク・タイムでは、2人抱き合いながら、ロマンチックにゆったりと舞っていて、まるで映画のワンシーンのよう。
 娘の私から見ても、父親と母親が2人で揺れるその姿は、大変に美しいものだった。

画面中央、微笑み合う若者アベック


 
 物心ついた頃にはもう、私はお母さんと二人きりだった。

 私にとって、父親がいないことはあまりにも当たり前のことで、子供のときは「お母さんが "1人" で私を産んだ!」だなんて本気で思っていたくらい。
 私にも「お父さん」と言われる人がいるって知ったのは、随分経って小学校4年生のとき、母親が今のパパと再婚するときだった。
 
 いないと思っていた父親がいる!と知ってからはもう大興奮。父親についての質問を母親に投げかけ続けた。

「どんな人やったん?」
「なんで結婚したん?」
「なんで離婚したん?」
「今どこにおるん?」
「会ってみたい、会えへんの?」

 けれど母はいつもうまく交わした。

「うんうん、また今度な」
「別に知らんでもいい話」
「アンタが大きくなってから」

 手応えのない返答に、ああ、そうか、父親の話題はタブーなのかと子供ながらに感じ、私はいつの日か聞くのをやめ、掴みかけた「父親」はあっけなく去ってしまった。

 父親がいないから、父親がいないなりに、私は彼の幻影を無意識に追い求め続けてきた節がある。
 とにかく懐が深く、博識で、遊びの達人、私のことをよく理解し、気にかけ、必要な時に必要な助言をくれる、そんな父親的存在を。
 「父親がいなければ、父親をつくればいいじゃない」と心の中の王妃がケタケタ笑っている。

 たとえば、大学時代によく通ったバーのマスターは遊ぶ楽しさを教えてくれる。
 行きつけのラーメン屋さんのご主人は、寛大な心で安心させてくれる。
 上京して出会った芸術家は、博識で、生き方そのものに喝を入れてくれる。
 とある音楽家は、私以上に私のことをいつも気にかけてくれる。
 そして、今の恋人も、必要なタイミングで、目から鱗の建設的な助言をしてくれる。
 そう、今となっては私には沢山の父親がいる……!

 
 私の愛読する『流転の海』シリーズ(宮本輝著)の一節。
 彼の、父無し娘に対するこの見解は的を得ている。

 父なるものへの処し方を知らないことが、麻衣子を女として頑迷にさせている。甘え方を知らず、許し方を知らず、怒り方を知らず、くつろぎ方を知らない。それは、男というものに対してだけでなく、自分以外のものに対して、すべてそうなのに違いない。
『血脈の火』/宮本輝

 確かに私は、人間として肝心なところの、甘え方、許し方、怒り方、くつろぎ方を知らずに育ってきたように思う。

 幼い頃から母親の足手まといになりたくなくて、比較的いい子ちゃんで居た私。
 気がつけば他人の顔色を伺って、本音を隠す癖がついてしまった。
 何かあっても、頼り方を知らないから、自分の力で解決する他は無く、
 何かあっても、うん、言えないよ、怒れないよ、空気乱したくないもんね、
 私の言葉で、行動で、誰かを傷つける訳にはいかないし。
 素直な気持ちをそのまま出した時に、ちょっと試しに甘えてみた時に拒絶されてしまったら?関係性が崩れてしまったら?
 本当の私を出したところで、受け止めてもらえなかった時は、一体どうしたらいいの?
 私が我慢していれば、穏やかなその状況が変わることはないのでしょう?なら、喜んで我慢しますよ。甘えもしません。その辛さを味わわないで済むのなら…………。

 さあいよいよ、心をうまく、解放できない。
 勝手に構えて、殻に閉じこもっては、誰も助けてくれはしないとより一層の孤独に浸る。(SOSを出すこともしないで!)


 けれど、そんな風に強張りっぱなしだった私も、数多の父親たち(仮)に都度救われながら、甘え方も、許し方も、怒り方も、くつろぎ方も少しずつ、少しずつ分かるようになってきた気がする。
 あ、私も甘えていいんだな、思ったより、許されるんだな。少しずつ、少しずつ。
 24歳にして、突然の童帰り。

 そんな中の、本当の「父親」との突然の再会。

 幼き頃の記憶が蘇ってきた!なんてマジックのようなことは起きなかったけれど、ずっと欠けていたパズルがようやく埋まって完成した感じ、揺蕩っていた風船がやっと持ち主の手にかえった感じ。

 改めて、まじまじと、自分の父親を見る。

 身長が高いのも、目が小さいのも、
 ブラックミュージックも、
 クラブで踊り狂うのが好きなのも、
 踊るのが好きなくせにダンスがヘタなのも、
 私は間違いなくこの人の血を継いでいる。


 今までぼんやりと抱えていた漠然な孤独感の答え合わせ。訳の分からない感情が渦巻き、涙が止まらなかった。

 いつか父親と母親の3人で踊れる日が来ればいいなあ、と夢見てしまう。

 昔のようにロマンチックに愛し合う2人の構図では無いにせよ、また違った慈しみがきっとそこにはあるような気がする。
 そんな時があれば、私ははじめて、ようやくはじめて、甘え方も、許し方も、怒り方も、くつろぎ方も知った、子どものようになれるのだろう。

 いつか、会えますように。
 
 父親と、数多の育ての父親たちと、今のパパ、そして皆に、愛を込めて。

無邪気な私のお父さん


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