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落ちぶれた天使からのお願い

 私は地球初心者の宇宙人だと心の底から思っているのですが(その話はまたどこかで)、最近、地球での生活が、少し、しんどい。

 一般常識?
 お堅い社会の仕組み?
 地球で善かれとされている数々のルール。
 本当に知らない。分からない。

 この、地球というところは、私に理解できないルールが沢山あって、人々はそれを暗黙の了解として大人になるにつれどんどん心得、平然と生活している。

 「普通は〜〜でしょ」って言葉を今まで何回も何回も聞いてきたけれど、「普通」が何なのかさっぱり分からない。
 学校でも、仕事場でも、どんな環境にいても何をしていても、ずっと「浮いている」感覚があって、とにかく生き辛いったらありやしない。
 何か、違う。ずっと、違う。私のいるべきところはここじゃない気がする。本来私の魂は、この広い宇宙の、地球ではないどこか違うところで、飄々と存在していたんじゃないだろうか。

 自分が何よりも大事だし、一見何の根拠も無いような、感覚とか本能といったものに従いながら、あっけらかんと楽観的に、自分の魂に素直に生きる。
 しんどいのは嫌。辛いのも嫌。無理な辛抱もしない。逃げることは悪いことでも何でもない。
 そんなの無理だよ、甘えてばっかり、なんて、人は指さし、笑うかもしれないけれど、そんなのも知らない。関係ない。

 慣れない地球というところで、揺るがず私らしくあること、私であることを貫くこと、それが私の使命であり、取り柄であり、生と死を繰り返してもなお私の魂に付き纏う、言うなればきっと、業のようなもの。
 そうしているだけで私は愛すべき人を愛し、愛されるべき人に愛され、私と、私と関わる貴方との間に、小さいながらも平和で慈しめる世界を築けるって思っていた。

 ただ、最近、自分のことを落ちぶれた天使のようだと思うことがある。(宇宙人からの天使ってちょっと違和感あるかもしれませんが……)

 まず、私がすごく、苦しい。
 社会人2年目。責任。ずっと模索。がむしゃらに頑張ってたった1人で、空回り。何も結果を出せずにいる。考えなければいけないことが多すぎて、楽しい空想に耽る余裕もない。そんな中で唯一楽しみにしていた音楽イベントは流れるし、このご時世、実家にもやすやすと帰れない。毎日必死に生きすぎているせいか、ついには体調を崩してしまった。
 孤独を感じざるをえない状況にいながら、実際は何もかもが不安だし、希望もまるで無い中でずっと我慢だけが強いられている現状。でもそうした被害者意識みたいなものに苛まれ、結局何もできない自分自身がひどく虚しいし、やるせ無い。

 私の愛する人たちも、なんだか苦しそうだったりする。
 楽しそうじゃなかったり、何かに悩んで、何かに怒っていたり。
  「いつかアイツを見返してやりたい、思い知らせてやりたい」なんて口にしたりする。また別の人は「通り魔にでも刺されて早いこと死なないかな」と平気な顔をしてプツリと呟いたりもする。両者どちらにも、煮えたぎった烈しい感情が根底にあって、正直、恐い。そういう感情を目の当たりにすると、私は怯えて何もできなくなってしまう。お願いだからそんな悲しいことを言わないで。嘘でも言わないで。お願いだから……。

 このじっとりと迫り来るような薄暗い絶望からは逃げられないのでしょうか。
 愛するひとたちの、救いの手になれたら、いや、なれるはずだって本気で信じていたのに。おかしいな。

「貴方が楽しそうにしてくれていたらそれでいい」

 優しいひとが前に私に言ってくれたことばを噛み締める。なんて私想いの温かい言葉なのだろう。
 でも、ごめんなさい。楽しそうじゃなくて、ごめんなさい。
 こんなにも私も貴方もしんどそうなのに、何もできなくて、ごめんなさい。ああ、私は何のためにここに来たのでしょうか。私が楽しくしていたら、みんな楽しそうだったあの頃にはもう戻れないのでしょうか?どうして、今は。悲しくて、また涙が出る。自分の無力さに打ちひしがれている。「貴方が楽しそうにしてくれていたらそれでいい」私もただ、同じことを愛する人たちに願っているだけなのに。うまくいかない。私はとんだところまで、落ちてしまったような気がする。

 自慢だった、柔らかくて、ふわふわの翼。
 1枚、2枚と羽が落ちていく。

 過信していた。
 私、そんなに強くないや。

 ねえ、みなさん。

 天使でいられなくなった私は、一体何の為に生きているのでしょうか?


 空高く飛ぶこともできなくなってしまった落ちぶれた天使は、お気に入りの10個のカップを持って、自分の足でおもむろに歩き始めました。どうせなら何も知らないこの地球を知り尽くしてやりたいという気持ちでいっぱいでした。

 鼻歌を歌ったり、道端の花を愛でたりしながら、ただひたすらに歩き続け、道中自分で池や湖を見つけては、水を浄化してカップに注ぎ、ごくごくと美味しそうに飲んでいました。

 ある夜、落ちぶれた天使は歩き疲れたあまり、大草原の真ん中で動けずにいました。満天の星空に向かってお気に入りの曲を口ずさんでいると、「その曲は何だい?」と、村の住人たちがどこからともなく、計9人やってきました。
 ぶどうジュースに、カモミールティー、どこかで飲んだことのあるような深い味わいの珈琲、シャンパン、皆それぞれに違う飲み物を持っていたので、落ちぶれた天使が10個のカップになみなみと注いで、9人の村人たちに渡すと、真夜中のティーパーティーが始まりました。天使を含む10人は何回も盃を交わし、おしゃべりも尽きることなく、一晩中楽しい時間を過ごしました。
 「僕はあの、赤い屋根の家に住んでいるよ」「私は隣町のとんがり屋根の家」「あの煙突見える?あそこが私の家」「いつでもおいでよ」「本当に、行ってもいいの?」「ああ、一人でいると寂しくなることもあるだろう。いつでも、大歓迎さ」「ありがとう、ありがとう。あなたたちと出会えて本当によかった」

 それからというもの、ひどく空腹なとき、たまらなく寂しくなったとき、落ちぶれた天使は、パーティーで出会った村人たちの家のドアをコンコンと叩いて、温かいシチューなんかをおすそ分けしてもらうようになりました。「ありがとう、ありがとう」と落ちぶれた天使が一口一口を大事そうに、あまりにも美味しそうに食べるので、村人たちは何回もおかわりを注いであげました。
 すっかり元気になった天使は、どこか遠くの高原のお花を摘んできては、素敵な花束にしたり、花冠を結ったり、旅の道中で見た素晴らしい景色を絵に描いたり、お世話になった村人たちにプレゼントしました。甘い甘いりんごを沢山摘んできて、とろとろのジュースにして、村人たちにお気に入りのカップで振る舞ったこともありました。心温まるようなプレゼントに村人たちは大変喜びました。落ちぶれた天使は村人を愛し、村人に愛されていました。

 落ちぶれた天使は、その村を後にし、新しいところにたどり着いても、それまでとさほど変わらない日々を過ごしました。極力は自分の力で、けれど崩れてしまう前に誰かの力を借りる。人との交流は何よりも大切にする。いつの日か、地球も心地いいなあと思えるようになっていました。
 空を飛ぶ練習も始め、やがては以前と同じように、ふわふわの翼を大きくはためかせながら、空高く飛べるようにもなりました。自分を助けてくれた人たちのことは誰一人として忘れず、そのうちの誰かが悲しそうにしているとき、人知れず泣いているときには飛んで駆けつけ、ぎゅっと抱きしめ、お揃いのカップで温かいココアを飲むのでした。ふわふわの翼はどこまでも心地よく、その翼に包まれた人は皆、嫌な気持ちを忘れて、すやすやと眠ることができるのでした。

 落ちぶれた天使は、もう落ちぶれてなどいませんでした。天使は人を愛し、人に愛され続け、慣れない地球でも、ずっとずっと幸せに暮らし続けましたとさ。

 自分で使命なんかを設定してしまっている生き辛さもあるかもしれない。そんなに重々しく考えすぎてはいけないのかもしれない。どうすればいいのかは、うっすら自分でも分かっているような気もする。そう、ただ、力を抜けばいいのよ、きっと。

 けれど、足掻くことしか知らないんです。ちゃんとぶつかって、悩んで、人間らしい生き方をする。それもまた私の業なのかもしれない。ああ、なんて不器用なのでしょうか。

 だから尚更、誰かの力が必要なのだと思う。
 甘え上手な方、私に、甘え方を伝授してくださいませんか。我こそは天使、という方、愛情にゆとりがある方、問答無用で私に分け与えてくださいませんか。

 1人でやたらめったら頑張るのは疲れました。
 私の持つ、愛の総量がすっかり枯渇してしまったのです。


 長い長い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。
   自暴自棄な時にしか書けない、こういった押し付けがましくて、幼稚な内容と文章、たまには有りかと、どうかお許しください。(こんなやねこも、レアかもしれません)

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