人間は生きることが全部である。死ねばすべてなくなる。坂口安吾/不良とキリストより

坂口安吾といえば、堕落論である。人は落ちきるところまで正しく堕落しなければならない。落ちきる道に個の救済の道があると説いた。第二次世界大戦後の退廃的で虚無主義的な思想を感じさせる一節である。彼の印象はダイナミックで無骨で男性的です。ただこの不良とキリストは若さにものをいわせた脆弱的でありながら神秘的な対象を不良とキリストと例えています。
ではなぜ、安吾は死ねばすべてなくなると問うたのだろうか。

彼が語るデカダンとは何かとなると、冒頭で述べた堕落につき、この下降思考をデカダン的と表現している。なので一般的なディストピアでみられる退廃とは異なる表現となります。ディストピアは一方的な下降現象だが、デカダンはエネルギーを発生させる浮揚的な現象です。ニーチェの語る超人思想に近しいものを感じます。

キリストは人間そのものであるとこの文章では語っている。パスカルも語ったように人間はか弱い。でも人間を押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分だ。という。だから自分たちのあらゆる尊厳は考えるという態度自由にある。我々が立ち上がらなければならないのはそこからであって、我々の満たすことのできない空虚な物質、空間や時間からではない。だからよく考えることしよう。

そこに私が生きるということのあるべき姿がある。