生活が変わること

ある日を境に、今までの日常が大きく変わってしまう時

その日を逆算して残りの時間を大切にしようとしたり、気持ちを落ち着かせようとしたりする

明日は3月31日

4月1日から社会人になる自分は、”大学生”という人生の夏休み最終日を迎えようとしている

まだ半年ある、まだ三ヶ月ある、まだ一か月ある、まだ一週間ある、、、

そうしてカウントしていたけれど、もう明日がない

そしてもう戻ることができない

これまでの生活を愛おしく思う気持ちが大きすぎるせいか、ここまで少しずつ気持ちを作ってきたつもりでも、やはり100%前向きにはとらえられないものだなあと思った

はたから見れば、ただ生活が変わるというだけのことなのに、なぜか自分は、この日を境に自分が死んでしまうような気がしている

大学生の4年間は刺激であふれいていた

サークルの意味が分からないくらいに楽しい瞬間、大学の友達のそれぞれのセンスや考え方、バイト先の仕事ができる先輩、出会った音楽、、、永遠にエトセトラだ

そんな刺激の中で、自分自身が開放的になったと感じる

それまでの学生生活では自分の殻にこもって、誰かに自分の考えや気持ちを表現することもできなかった、自己表現的な部分が欠落していたんだと思う

自分を思う存分さらけ出すことができたのはこれが初めてだったし、単純に明るくなった、ああ生きていてよかった、この日々のためにあの時生きることを選んだのかもしれないと

親不孝的なところがあったかもしれない、自堕落な生活のように見えたかもしれない、それは謝りたいと思う

何事も考えすぎてしまう自分にとってはやっぱり良かった面でもある、だからこそ、大学生時代の自分が大好きだ

せっかく変わった、変われた自分がいるのに、

前述したように、その日を境に自分が死んでしまうような気がしている

前までの、殻にこもった内気な自分だけが取り残されるような不安を感じている

大学生時代の大きな目標は”フットワークを軽く”だった

約束の時間に間に合うように、準備をして家を出なくてはいけないのに、今日は家を出たくないなと思って、ギリギリまで現実逃避してしまう事もよくあった(最低)が、それでも重い足を見せかけだけは軽く、人に会うことで、やはり自分が明るい気持ちになれたし、ひとつのことを考えすぎてしまうというという悪い癖が発動することもかなり抑えられた理由だと感じる

今後も、そうして人に会えさえすればよいのだろうか

もはやこうして書いてることさえも、考えすぎてしまう悪い癖がひょっこりと顔を出し始めたという事なのだろうか

答えは分からないし、わかるはずもない

ただ、どうか自分の中の大好きな自分が死にませんように






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