ホリデーシーズンに思うこと

おはようございます。
早朝の代官山、今年も冬が来たことを知らせるジャンジャーブレッドラテ。
毎年、朝晩が冷える頃になるとジンジャーブレッドを楽しみに過ごし、ホリデーシーズンに胸を踊らせる。
大人になってから、クリスマスなんてめっきり関係なくなったようで、やっぱり街が色めき出すこのシーズンは、いくつになったってワクワクする。
去年は確か修論でクリスマスどころじゃなかったし、その前の年はバイト帰りにお気に入りのカフェに行って、カップルと相席になり早々に席を外したり。
子供の頃は、おもちゃのチラシを見て、これがいい!と母に言い、クリスマス当日の朝はとびきり早起きして枕元のプレゼントに飛びついていたなぁ。やっぱりどうしたって、私はサンタクロースもクリスマスも大好きで、いつだって誰かにそんな風にときめきを与えられるような人間になりたくて、胸がじんわりする。いつか、フィンランドのサンタクロース村に行くのが夢。


早朝7時から営業している代官山のスタバは、休日の朝から過ごすにはもってこいの場所でずいぶん気に入ってる。いろんな人がいて、思い思いの時間を過ごす。
私は、学生時代の部活中心の生活や始発電車でのアルバイトの経験もあって、早寝早起きの健康生活が身体に染み付いている。たまに一週間の疲れで土曜の朝寝坊しちゃうけれど、やっぱりこうやって朝早く活動する生活が、心地よい。同じように朝から活動することが好きな友人がいたらモーニングなんていうのもしてみたいけれど、あいにく周囲の愛すべき友人は揃いも揃って休日は昼まで寝て過ごすのがお決まりのパターン。ひとり時間が必要な私には、ちょうど良いのかもね。


iPhoneの写真フォルダを何となく眺めて、月日の流れる早さにびっくりする。え、これもう2年前?え?これなんて4年も前のことなの...なんて。当たり前に時間は有限であっという間に過ぎる。わかっているはずなのに、いつも驚かされる。
社会人1年目、26歳。
若さにすがる気は無いけれど、そうは言っても肉体的に抗えない老化、というのは確実にあって。だからこそ今を生きたくて、1分1秒だって惜しい気がして。
2020年も、あと2ヶ月。
年末だから焦る気持ちもあるのだけど、それ以上に年齢的に焦る気持ちが大きくて。あれもしたいこれもしたい、行きたい場所も欲しいものも無限に湧いてくる。
その全てを叶えることなんて、と怯む気持ちは一切ない。
全部叶える。
誰かを頼ったって神様に願ったって、何一つ変わらないことはよく知っている。
私の願いを叶えられるのは、いつだって私一人だ。




前回のnoteで、愛やら恋やらについて綴ってみた。

好きって何だろうなぁ、と思う。
26年生きてきて、愛も知らなければ好きが何かさえわからない。
恋はしているつもりなんだけど。
気になっている人がいて、でもそれを好きと呼ぶには早い気がしていて。
じゃあどうなったら好きと言えるのかな、今より相手のことを知ってから?相手の良い面だけじゃなくて嫌なところを知って、それでも愛しく思えたら?それって愛じゃないのかな?じゃあ、まだ良いところも悪いところも何にも知らないけれど、会いたいって思うのは、それは好きってことじゃないの?
やだ、スタバでクリスマスのBGMが流れていて、うっかり泣いちゃいそうになる。私はクリスマスにめっぽう弱い。ああ、昨日見たラブコメみたいに、クリスマスを愛しい人と過ごしたい。ワンルームにフランフランの小さなクリスマスツリーを飾りたい。

好きになってくれる人を好きになれたら良いのに、なんて今は思わない。
私が好きになった相手に、振り向いて欲しい。
ラブコメを見た後だからか、やたらと情熱的な気分になる。

誰かを心から好きになんて、心の底から愛してるなんて、そんな風に思える日が来るのかな。会いたくて走り出しちゃうなんて、そんな日が来るのかな。
叶わなくても良いから、せめて、そんな風に誰かのことを好きになれたら、私はその時に愛やら恋やらが何なのか、やっと知ることができるのかもしれない。









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