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何処へ行こうか

この歳になって、そう遠くない将来のことを考えることが多くなった。
春がきたら社会人2年目、27歳になる。一般的には結婚や出産も考える年頃で、先を考える機会が多くなったのは自然なことかもしれない。

社会人になって、全てを自分の給料でやりくりするようになって、当然お金のことを考えることも多くなった。
うちの会社は3年目くらいまで給料もボーナスも変わらないらしい。
30歳になったら、格安でとても住み心地の良い会社の寮から出なければならない。都内に住むわたしは単純に、家賃10万近くの出費が増えるわけだ。とてもじゃないけど生活できない、いやできるけどカツカツで余裕がないのは目に見えている。イヤだな...余裕のない生活からは、理想の自分は築けない。今のうちにできる努力はしておこう。資格取ったり、貯金したり...。




小学生の頃は、なにも考えなくても進学する中学校は決まっていたし、高校でて、大学行って、就職するところまではなんの疑問も持たずに突き進んできた。いい大学に行って安定した企業に就職する。良くも悪くもレールの敷かれたお手本のような人生を送ってきた。それなりに逆境もあったけれど、決して順風満帆な人生ではなかったけれど。わたしはその全てを自分の意思で、そして恵まれた環境のおかげで、全部自分で選んで自分で掴み取ってきた。




朝、テレワーク前にお散歩ついでにコンビニへ行った帰り、マンションに入る直前にゴウッと聞こえて、あ、これは、と空を見上げた。

思った通り、飛行機だ。

あの飛行機は何処からきて、何処へ向かうんだろう。




ハッとした。

そうだ、わたしは思い描いた人生を歩んできたけど、それは就職するまでしか描かれていなかった。この先のことは、なに一つ考えていなかった。だって、進学や就職はある程度は自分の意思でなんとかなる。けれど、この先の人生、結婚するか、ひとりでいるのか、家庭を持つのか、それらは相手があってこそのことで、自分ひとりではどうにもならない。そしてそれは、わたしにとっては縁があればそういう人生もありかもしれない、としか考えられないことで、つまり自分でなんとかしよう!とは到底思えないことなのだ。ひとりで過ごすことに、少しの不安と寂しさと居心地の悪さは感じるものの、一方でへっちゃらでいられる。
こればっかりは、どうなるのか全く先が見えないから、考えるのもやめた。






そうは言っても、仕事については自分の意思で選ぶものだから、考えることをやめられない。

東京にいるか、長野へ帰るか、何処かへ行ってしまうか。

全部、全部わたし次第だ。

全部自由にしていい。敷かれたレールはここで終わった。
空港へ走って、飛行機に飛び乗ったっていい。
パスポートと、体ひとつで、わたしは何処へだって行ける。






さて、まず今日の仕事を片付けて。


週末は、コーヒーと本を片手に、ちょっぴり先のことも考えてみようか。




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