見出し画像

回復期って、こんなに辛いんだね… その3


自分らしさを取り戻す、ということ



気がつけば、ずっと自分を抑圧していたところがあって。
「自分がどうしたいのか?」ではなく
「他者から見てどうなのか?」
「他者はどうして欲しいと思っているのか?」を基準に
選択・決定してきたところがある。

自分よりも他者を優先して判断するので
「自分が選んで、自分が決める」ことが
かなり苦手な状態にある。

その状態で
「自分が選んで、自分が決める」
「自分が考えて、自分が行動する」という状況を設定されて
どうしたら良いのかわからなくなった。

「自分」を優先して判断する経験が少なすぎて
やり方がわからない。
その状況を「深い霧の中にいるみたい」
「放り出された感がある」
「真っ白なパズルを組んでいるみたい」と表現していた。

どうしたら良いのかわからない


ずっと抑圧して、なかったことにしてきたので
どう扱ったらいいのかわからない感情も出てきている。

良くも悪くも「護られた」環境にあるので
「そこから出てみること」が選べるようになっても
経験不足のために、どうしたら良いのかわからなくなってしまう。

「できて当たり前」「ほめられて調子に乗るな」
そんな環境で育ってきたこと。
性格特性としての「負けん気の強さ」があることで
「常に正解を出さなければ」
「正解を出すためにはどうすれば良いか?」
「どうすれば正解を出し続けることができるのか?」を考えるようになり。

自分に向けられるポジティブな感情は否定。
ネガティブな感情は拡大して解釈。
という思考(認知)が強化されている状態だった。

大丈夫だよ

今は
自分の感情と向き合って、感情を見つけることや
自身の内面を言語化して表現することが
できるようになってきていて。

安全な場所で、安心できるひと達との交流の中で
「自分らしさ」を取り戻しているところ、で。

すみっこに追いやられて
小さくなってカタカタ震えている「しまじろう」に
「大丈夫。怖くないよ」
「ここは安全な場所だから、安心して」
と言える時間が増えてきたり。

いろんな経験を重ねることで
「自分が選んで、自分が決める」ことができるようになってきている。

自分の感情を抑圧する(なかったことにする)のではなく
何も解釈せずに、ただ受けとめることだったり。
自分の感情に気がついて言語化して伝えていくことが
できるようになってきていて。

「社会はわたしを傷つけるもの」ではないのかも知れない。
と、外に出てみようと思えて。

少し広くなった「社会」を歩く時も
「今は練習中」
「できるようになる過程も大事」と
考えられるようにもなってきた。

コミュニケーションエラーを起こしやすい状況がわかってきて、対応できたり。
エラーが起きた時の対応もできるようになってきている。

「自分よりも他者を優先すること」や
「相手の意を汲もうとすること」は悪いことばかりではないし
「内面を言語化して伝えること」は迷惑なことじゃない、など
成功体験を積み重ねることができている。

アサーティブなコミュニケーションが
図れるようになってきていること。
グレーを認めるしなやかさも生まれてきていたり。

「大丈夫だよ」と自分に言うことができる時間も増えてきている。

自分らしさって?

「自分らしさ」って?と聞かれた時に
明確な答えはまだ持ち合わせてはいないけれど。

たぶん
すみっこに追いやられて
小さくなってカタカタ震えている「しまじろう」が
ちょこんと座ってニコニコしている状態が
「自分らしい」のだと思う。

ちょこんと座って、ニコニコしている「しまじろう」であり続けることができるように。

今の「しまじろう」の状態を気にかけて。
いろんな経験を積み重ねていくことができたらな、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?