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転んでもただでは起きない?

転倒しました

先日、転倒しました。
駅に向かうため、山を下りておりまして。
車が上るのを避けるような急勾配の坂で
足を滑らせてしまって。
左膝下に大きめの擦過傷、左足背に小さな擦過傷
ふくらはぎに内出血、左膝の内側に痛みがある
という状態で。

たまたま、地元病院の内科受診日だったので
整形外来に「転けた」と報告。
主治医は出張で不在だったので
外傷再建の先生から診てもらうことに。

傷を診てもらって、処置してもらって。
「テープかぶれるんだっけ?」
「ここの採用はエアウォール一択」
ですとか。
エアウォールを貼る時に
ガーゼを押さえるとか。
エアウォールを貼るひと、フイルムを剥がすひと、と
役割分担しながらガーゼを固定するとか。

うん、看護師だね。
とはじめましての先生にもわかっただろうし。

看護師さん?って
たぶんきっと、確認もしただろうな…と思う。

レントゲンの結果やら、過ごし方の説明時に
「看護師さんだから」と言われましてね。

病気のことも、仕事のことも、生活のことも
経過を全部知っている病院だし
看護師さん達なのでね。
カルテ見てもわかるし、聞いてもわかるっていう。

2ヶ月続いて負傷しています

8月、引き戸に左足の小指をひっかけて。
やっと靴を履いて、ケガする前の動きができるようになったところなのに。
歩いていて転倒して負傷していて。

8月は症状が強く出ている場所を負傷したので
歩けなくなってしまうことへの恐怖が強かったけど
今回は膝関節を少しずれた場所の負傷だったので
歩けなくなるかもしれない、という恐怖感はなくて。

2ヶ月続いて負傷してしまったことについても
そして、今回はそこまで気持ちが落ちていないのは
周りが「動くようになれば負傷の機会も増えるさ」と受け止めてくれているから、というのもあるのかな?と思う。

「負傷したらその後が大変になる」という事実がある。
せっかくここまで動けるようになったのに
また動けなくなってしまうのではないか?
という不安や怖さは、もちろんある。

だけど、それを理由に行動範囲を狭くしたり
活動量を減らすのではなくて。

活動量が増えたり、行動範囲が広がることで
どうしても負傷のリスクは高くなる。
負傷のリスクが上がれば、悪化のリスクも高くなるのは承知の上で
今のわたしに何ができるのか?を考えていこう。
と受け止めてもらえているのかな…と。

あからさまに
「負傷されて困るんだけど」という態度を取られないというのも、大きいかな…。
CRPS発症当時はそんな環境におりましたものでね…
かなりな傷になっておるのです。

「こうやって、抱えている爆弾を時に爆発させながら仕事したり生活しているのが普通なのよ」
と言ってくれたり。

「それだけ無意識に動けるようになったんだよ」と言ってくれたり。

「誰だって、転んだ時の明確な理由なんてわかんないし…転ぶ時は転ぶのよ。
若い子だって、骨折する時はするんだし。
この年代、転んだら骨折のリスクは高くなるから
気をつけなくちゃいけないのは、みんながそうなんだから」

「小指の時に骨折しなかったのはすごいことだよ。
骨が大丈夫なひとでも、骨折しやすい場所なんだから」と言ってくれたりして。

「やっちまったことを責めずにいてくれた」ってことがかなり大きいかな、と思う。

転んでもただでは起きない?

今回、そこまで気持ちが落ちていないことを紐解いていくと
なぜあの状態まで酷いことになったのか?もまた見えてくる。。。

からだがなぜ、過緊張になるのか?
緊張を強いられ続けることになったのか?
などなど。。。

今回のこの負傷…
「転んでもただでは起きない」という
言葉のとおりになるかしら?( *´艸`)







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