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恋のメタ認知 2

自分に向けられている感情がわからない

新しくできた関係性の中で
「自分に向けられている感情がわからない」
ということに、気がついた。

・異性
・実家で猫と暮らす
・勤務先では、ひとり仕事 というひとなので
「ちょうどいいツレ」として、わたしを見ているんだよね
と、思っていた。

だけど、いろんな「ん?」という
素朴な疑問を感じるようになった。

わたしは急いで動くことが少し難しいので
15分前に駅に着いて、ドア列に並んでいて。
大抵、先頭にいる。

といびとさん(友達以上恋人未満のひとを示す。ゴスペラーズの安岡優さんの造語)は
5分前くらいに駅に着いて、ドア列に並ぶ。

わたしがいるのは、いつも3両目で。
→新潟駅のホームエレベーターに近いドアのところ

といびとさんは違う車両に乗ることもできる。
でも、同じ車両よね?いつも。

教会が同じだから、ってことで
いつも同じ車両に乗るのもありかも、だけど。
毎回だよね?なんで?とか。

「メシとも」だと思っているけど
なんか…距離を詰めてきてません?とか

「ツレ」じゃないよね…これって。
と、思うようなことが他にもいろいろあって。

でも、自尊心が低かったり
誰かに恋愛感情を持たれるような存在ではないと思っているので
といびとさんの向けている感情が理解できなくて。「ん?」という素朴な疑問だけが、増えていくことになった。

自分の中にある感情がわからない

そして、自分の中にある
といびとさんへの感情もわからなくて。
「このひとのこと、好きだな」と思うけれど
それは「ひととして」好きだな、というもので。
好きか嫌いかのどちらかに分類しなければならない
と、なった時に「好き」に入るとか。
「このひとのお祈り、好きだな」とか
「良い声してるよね」という「好き」で。
といびとさんが向けている感情についても
「メシとも」だからだよね、「ツレ」だからだよね、という認識だった。

だけども。
いろんな「ん?」という素朴な疑問が増えてきたり。

一緒にいると楽しい、とか
対人不安や対人緊張なく過ごせている、とか
電車でひとりだと寂しい、とか
礼拝後に話せると嬉しい、とか。

自分の中にある感情についても
「ん?」という素朴な疑問が出てくるようになったけれど。
それが何なのか、わからない。

「メシとも」だから、だよね。
「ツレ」だからね。
一緒にいることが続いたから
さみしいと感じているだけなんだよ。
そんな風に思っていた。

自分の中にある感情への「言い訳」

今年に入って、なかなか会う機会がなくて。
「今月のごはんの会は、難しそうだな。
それならそれで、仕方がないよね。」
そんな風に思っていたけれど。
ごはんの会が平日に開催されることになり。
前回混雑していて見送ったお店で
ごはんを食べることになった。

クリスマス後から、CRPS症状が
久しぶりにアピールしていることもあって
手足の感覚が少し鈍くなっていたり。
寒波で路面状況が良くないので
転倒のリスクも高くなっていて。
歩く時に杖があると安心かな、と
杖でゆっくりと動いていて。

少し離れたところにある
お店の第2駐車場から歩く時に
「腕、貸すよ?」と言われたけれど。

いや、杖なくても
ゆっくりなら歩けるし。
大丈夫。
…と、答えようと思ったけれど。

これって呼び水?
手に触れて欲しかったってこと?
というやり取りが
以前何度かあったことを思い出して。

これって、断ったらダメなやつ?
…と、判断。

「あ………………。
うん、お願いします。」
「頼って?」
と、腕を借りて歩くことに。

そして、ごはんを食べたのが
小上がりだったので。
お店を出る時に、立ち上がるのに少しもたついてしまって。
手を掴んで引き上げてもらうことにもなった。

ショッピングモールを歩いていた時も
ずっと腕を借りて歩くことになって。
平地でも、バランスがうまく取れなくて
しがみつくことが何度かあって。

手を掴んで引き上げてもらった時に
ドキッとしたけれど。

「いやいや、これって介助だし」
「しがみつくことになったけど、介助だし。」と
ドキッとしたことの「言い訳」をしていた。

























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