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恋のメタ認知 1


わたしの思考特性として
「自分の感情を抑圧して『なかったこと』にする」
というものがある。

生育歴からも
その片鱗をうかがうことができるのだけど。

難治性の慢性疼痛を発症したことで経験してきた様々なことを通して
それらが強化されることになって。
感情を見失ってる状態(=失感情症)になっていて。
→発症前から、失感情症だったのかも…?だけど

感情を見失ってることで
適切な感情表現ができない状態にあって。
わたしの場合
抑圧したものが溢れた時には「激しい怒り」として
抑圧したものが滲み出た時には「心身の衰弱」として表に出ることになって。

「激しい怒り」が他者と自分を傷つけることになり
「心身の衰弱」という形でも自分を傷つけることになった。

相手の意に沿おうとし過ぎて、というか。
適切な自己主張ができないままで
30代、40代を迎えていた、ということもあって。

他者への支援やケアはできるのに
自分への支援やケアは
「そもそも、必要とは思っていない」状態で。
かなり極端な「滅私」状態にあった。

だけども
どこかでやっぱり、「苦しさ」や「辛さ」が出てくる。
でも、それを「甘え」と受け止めて。
「苦しさ」や「辛さ」を「抑圧してなかったこと」にする。

その結果が、4年前のわたしで。
そういう思考特性がある、ということで
今受けている治療が著効しているのだろうな…と。


まさか、こういう場面でも

自分には、そういう思考特性があるんだと
自覚できるようになった。

「辛さ」や「苦しさ」、「困惑」や「戸惑い」
「葛藤」や「迷い」、「悲しみ」や「哀しみ」
という種類の感情について
一旦取り出して、整理して(問題点の抽出)
分析して、理解して、解決策を考える(アセスメント、計画立案)
解決策を元に行動してみる(実施)
結果を評価、修正する(評価)

わたしは看護職なので
「看護過程の展開」のやり方で
対応(問題解決)しているけれど。
いわゆる「PDCAサイクルを回す」ことと
同じようなこと、なのだと思う。

そうやって
自分の中にあるネガティブな感情と向き合うことで
葛藤があっても衰弱せずにいられるようになったり。
「戸惑い」や「困惑」を「怒り」としてではなく
表に出すことができるようになってきている、と
感じているけれど。

自分が見失っている感情はそれだけではなくて。
穏やかで温かな感情まで、見失っていたとは…

自尊心の低さ

わたしには自尊心が低いという特性がある。
だから極端な「滅私」になるのだと思うし
100%ではなく150%を目指そうとするのだと思う。

なので、褒めてもらっても
「なんで褒められるのかわからない」と感じたり。
「何か裏があるのでは?」と思うこともある。
そこまで思わなくても
「そうなのかな…」と疑問に感じていて
素直に「ありがとう」と思えずにいる。

だから、聖書のことばで
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:3)
ということばがあるのだけど。
このことばを見聞きするたびに、泣きそうになる。
自分にはそれだけの価値があると思って良いんだ…と。
でも、またすぐに「そうじゃない自分」になるけれど。

なので
10年車椅子生活で、ほぼ寝たきり状態が歩けるようになったことも
社会的な立場が変わったことも
衰弱して入院しなくなったことも
謙遜ではなく、素で
「全然たいしたことじゃないし
なにも頑張っていない」と思っているし
「もっと頑張らないと」と思っている。


今年度になって
放送大学に入学して、学習センターへ通所するようになった。
通学制ではないので
平均すると1回/週ペース なのだけど。
通院中の病院と同じ敷地内にあって
建物としては、隣の建物内に学習センターがある。
→なので、通所後に受診ということもあるし
通所後に病院に寄って資料を渡すことも。

ダイヤ改正で
確実に座ることができていた列車が廃止されて。
通院・通学に間に合う時間帯の電車では
座ることが難しく、床の人になってしまっていて。
…という話を
礼拝後、新潟へ通勤している人にしたら
自分が使っている
始発の次の電車なら座ることができる、と教えてもらって。
通院・通学時には、その電車で新潟へ向かうことにして。

それをきっかけに、礼拝後も話をするようになって。
同じ車両で新潟へ行くようになって。
「気になっているお店があるんだけど、1人では入りづらいから一緒に行かない?」と
一緒にごはんに行くことになって。
「これからも月1でごはん食べに行こう」と
週1~2のペースで会って話をして
月1でごはんに行く。
そんな関係性が新しくできることになった。





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