酒が不味くなるからやっておく
私は自分がお節介な自覚がある。
しかし偽善的な事は別に好きではない。
お節介と偽善は全く別物だと思っている。
誰か困っている人に親切にしてあげる。
これを偽善と取る人は一定数いると思う。
もしくは自己満足と取るか。
誰かに親切にしてあげようと普段から心がけているほど私は聖人ではないし、本当に面倒なことや危なそうな事に巻き込まれそうならやはり様子を伺う。
ただ、電車の車椅子などの人用に設けられたスペースにキャッキャしてる若い子がいても、そこにベビーカーを押した人や車椅子の人が入ってくれば、
【そこ、譲ってあげて】
と声をかける。
偶然そこに立っていた人がいかにもな強面の人でなかっただけかもしれないので、強面のお兄さんでも同じことを言うかどうかは、実際わからない。たまたま遭遇していないラッキーなだけかもしれないが。
いくつかあるキャッシュコーナーで困っているっぽい婆さんに、自分の用事が済んだあとなら『何かお困りですか?』くらいの声はかける。後ろに何人も並んでいるのにずっとATMを塞いでいたからだ。
そんな他愛もない別に見過ごしても大丈夫かもしれないレベルの声かけは、私の中では全く偽善ではない。
ただし、声かけしなかった場合、夜家に帰ってから100%
【声かけてやりゃぁ良かったかなぁ?どうしたかなぁ?あの後】
と、絶対つまらない程度のしこりが自分の中に残る。多分数日すれば忘れる程度のことなのだが、絶対その日は一度思い出してしまう。
この感情をなんと表現したら良いのかわからないのだけれども、思い出してしまった日の酒は不味い。
酒が不味くならないように、私は多分この先も困ってる人に声をかけるのだろう。
これを偽善と呼ぶ人がいても、まぁ仕方ない。
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