フットワーク軽いわねアナタ。
職場の人にそう言われる。
なんでも気になると調べて飛んでいく。
(勿論、日常生活に支障の無い範囲で)
一応、そんな風になったきっかけがある。
中学時代の後悔。
私は、バナナボートに乗りたかった。
中学校の修学旅行、クラス仲良し三人組(奇数良くないね)で班を組んだ。
海で遊ぶ時間、私はバナナボートに乗りたかったのだが残り二人は首を横に振る。
「怖そうやし」
「私はいいかな〜」
根性の無い私は、そこで一人だけ突撃する勇気が無かった。
「なら私もいいわ」
良くない良くないちっとも良くない。
二十年以上引きずっとるわ。
美術部の友人に、バナナボートどうやった?って尋ねたら、めちゃくちゃ笑顔になって。
「めっちゃ楽しかったで!」
「振り落とされたんやけどな!わらわら〜って小さいサメめっちゃ寄ってきてん!」
「みんなパニックになって沖で騒いでたら、平山先生(仮)が慌てて私らを回収しに来たついでに、追っ払ってたわ!」
えらいギャーギャー大騒ぎしとったん、そんな事になっとったんか。
なんやそれ、私もその場におりたかった!
いや、別にサメに襲われたいとかじゃなく。
じめじめした日陰で「よーあんなん出来るわ〜」って言ってた二人の側で、無言のまま黄色いボートが沖に飛んでいくのを見つめていたあの虚しい時間。
夏の終わりの少し冷たいやわらかい風が吹く美術室で、友人がキラキラしながら教えてくれた体験を聞きながら、めちゃくちゃ後悔した。
やりたいことは、他人に合わせとったら一生出来んということに、その時やっと気づくという。
独りで突撃したとしても、その場所には自分の知らない誰かがいて、複数でやらないといけない場合は指示でグループになるから『ぼっち』にはならない。
別に組まなくていいアクティビティやらイベントなら一人で十分。
むしろ別に一人でいいものを、グループ組んでやる方が遥かに面倒だと知るのはもうちょい大人になってからやけど。
仕事じゃないなら、好きにやるのが一番。
自分の代わりに体験した人の答えが果たして正解なんだろうか。
全くそれで十分、というのは無い。が、出来ない事はある。
例えば、私は一生、海外旅行しないと決めてから、体験手記を読むのが大好きになった。
ただ、当たり前だが、執筆者は私ではない。
仮想体験をありがたく享受しているが、私が同じようにルートを辿れば同じような感想になるかと言われれば絶対違うだろう。
だから、何かをする時は、手に届く範囲ならば後悔する前に足を泥沼に突っ込んでみる方が、ずっと心の隅っこに残らずに済む。
そしたら、意外につまらないかもしれないし、興奮するほど好きになるかもしれない。
結果がわかれば、後悔っていうくだらないものに執着しなくてすむ。
他人の経験を聞くのもいいが、話半分、やはり体験に勝るものはない。
だから私はバナナボートに乗りたかったが、乗らなかったおかげで、今こうやって誰の顔色を伺わずに好きな事をしているのである。
結果オーライ!
一人で出来ないことはごまんとあるが、一人で出来ることもごまんとある。
とりあえず、後悔しない選択をして生きてるだけ。
だから私は胸張って明日もちりめん教室に通う。
そして宿題終わらせて偉いぞ、私。
(とりあえずハードル低い目標クリアはポジティブになれる)