離婚してしまいました

書きたいことがあるわけでもないけどなんだか寝られないので暇つぶしに書いてみる。



先週あったこと。

水曜くらいに離婚届を出して、受理された。

その日のお昼休憩時に元夫に職場まできてもらい、サインしてもらった。生まれて初めて職場の食堂を使った。

周りに人が大勢いるなかで、しかも元夫となんてご飯食べられる気持ちじゃなかったのに無理やり連れてかれたのでしょうがない。圧倒的咀嚼数の少なさで、飲むようにその日作って来たお弁当を食べた。

サインしてもらって逃げようとしたけどダメだった。その後会話して、元夫からは「今持ってるお金を使い切ったら死ぬ」「福岡に移り住むためのアパートを見つけた」「働かない」の3点だけ伝わった。

食堂をあとにして、職場の本来の休憩室に辿り着いて、一人でまずため息をついた。


午後からは元夫の相続(お父さんが亡くなってるので)のことを改めて考えてみると色々おかしいな?と気づき、もんもんとしてたら時間が過ぎていった。

職場を出て役所に直行し、届を出す。

その間、元夫に相続の件を聞くとやっぱり犯罪まがいのことをしていて呆れる。

帰宅。子供達が出迎えてくれる。




一発で受理されてよかった。でなければまた悩んでしまっていた。

もう少しで29になるけど、元夫のことを好きになった15の年からずっと元夫のことばかり考えて過ごしていたので、ほぼ半生を彼に注ぎ込んでいることになる。これは大変恐ろしいことで、私の道徳の一部が元夫になっている。

だから切り離すのを躊躇わなかったわけがない。依存に近い状態からの、息子二人を抱えての脱却だった。本当に、周りの人たちの意見をたくさん聞かなければどこまで我慢しているのか、どこまで受け入れていくべきなのかわからないままで離婚もしなかったにちがいない。

良かったこととして、明らかに判断できる材料がある。別居してからほとんど毎月発症していた口唇ヘルペスがなくなった。過食に使うお金が格段に減り、買っても食べたくないことが増えた。


良くないこともある。子供達から父親を奪ってしまったこと。彼らにとって父親はただ一人、元夫であることに変わりはない。でも、身近にそういった存在がいないことの違和感を頻繁に与えてしまうのは避けられない。

いくら多様性と社会が謳っていても、彼らの社会となる保育・幼稚園では「おとうさんとおかあさん」がまず出てくる。絵本にも、毎日のお知らせにも。

私が子供達のために気をつけていることは、あなたたちの父親を嫌いで遠ざけたわけではないと伝えること。あなたたちの父親は変わらずあなたたちのことが好きだということを伝えること。まるで単身赴任の父親を持つ子供のように、心の身近に父親がいることが今の年齢の子供達には必要なのではないかなと。

小学生になってしばらくすると、色々わかってくるのではないかと思う。きっと、その頃には元夫の方で勝手に「人の親としてどうだろう」という日々を過ごしてそうな気がする。子供達にも離婚したことを理解してもらいやすくなってる気がする。今でもわりとそうだけど。




土曜日、美容室で髪を結構切ってもらった。すっきりした。前は髪くくらないと暑くて堪らない感じだったのに、今や短くて結ぶことすらかなわない。



髪型以外に変わり映えはなく、しばらく実家の両親の手を借りて暮らしていく。

意識して元夫との繋がりを消していっている。喪失感たっぷりの2,3日を過ごした。今度はたくさん取り入れていこうと思う。新しいこと、新しい場所、新しい音楽。

そういえば職場が推理小説サークルかというくらいみんな推理小説が好きなんだけど、今月出た京極夏彦のぬえのいしぶみなる新刊の話題で今は持ちきりで、ちょっぴり仲間入りしたいのに京極夏彦作品を読んだこともない私は姑獲鳥(うぶめ)の夏という何年も前の作品をポチった。今日届くらしい。今日?!今日ポチったのに…

いろんな人の好きなものをまず試してみることは、私を変えていく一歩となるはず。ありがたやありがたや。
新しい生活が始まるの…だろうか。


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