生きているってなに?

この前の土曜日、0:30とかいう変な時間に目が覚めてしまって、そこからなにかしたいなーと思って「すべてがFになる」を読み出した。


試し読みでちらっと読む程度で終わるつもりだったけど、なにこれおもしろい!となって即購入してしまった。夜子どもが寝てる横でも真っ暗闇のまま読める電子書籍は利器だと思っています。


本読むのは遅い方だし、時間も限られてるわりには木曜の今日までに読み切ってしまった。
二児の母として、色々ツッコミどころがあるとはいえ、それはそれとして面白かった。


内容としてはトリックもだけど、登場人物たちの会話の作り出す空気感が好き。あんまり人の感情が大きく入ってこない。かしこいこと話してるけど私みたいな凡人でもわかるように書いてくれてて、言ってる事全然わからん!というのがほぼなくて変な優越感さえ生まれる。


序盤の方?に出てくる会話で「生きているってどんなものか」というのがあって、それを読んだのは土曜日の深夜3時くらいだったけどその時からずっと頭の中でその答えについてあれこれ巡らせていた。


家にいても、仕事してても、ふとその疑問についての考えが浮かぶ。例えば今朝は、この前抜いた親知らずのとこの歯茎がかなり盛り上がってきていて、その回復能力にびっくりした時。

細胞の一つ一つは核やミトコンドリアを有していて、その細胞だけでも一個の「生きている」ものと言えるだろうと思う。しかし歯茎の細胞なんかは“私“という生命体のファンクションでしかない。機能や役割そのものが「生きている」といえるのか?

歯茎を修復させることは、私の意思で行われたものではない。私の体が私を維持しようとしてやっていることだ。人は勝手に生かされている。ごはんを食べなかったらお腹が空くように、傷を負ったら白血球が飛び出してくるように…そういった体の機能なしに人は生きてはいけないだろう。では、生命維持と繁殖さえできれば「生きている」なのか?

じゃあ意識があれば「生きている」になるのだろうか。脳みそホルマリン漬けでバーチャルリアリティな世界に住み続けることはできるのか?

機能、意識、繁殖、それらが備わって初めて「生きている」というならば木や花はどうなるのか。逆にウイルスは、生きているとは言えないものか。

そもそも、人間なんてちっぽけな存在が「生きている」なんて定義見つけられるものだろうか。人が見えてない・聞こえてない・匂いもわからない・触れないものだってあるかもしれないこの世界で。そういったものがあると信じているわけではないけど自分の知ることができるものが全てだ、と主張できるほど傲慢にもなれない。



などなどさっき考えたところで疲れてしまった。

そもそも生きているものが何かなんて、そんなの、生物学者の研究対象を並べていけばそれが全部生きているものと認識してしまっていいんじゃないか?

そんなふうに思い始めたのでちょっとどうでもよくなった。人間ごときの、しかも私ごときが考えたところで、もともと興味関心を持って昼夜問わずその分野の研究をされている専門家が世の中にはたくさんいるではないか。
それらの対象から「生きている」ものの定義を見定めていけばよい。科学的に、精神学的に、医学的になど、それぞれで違うとは思うけど、「生物」学っていうくらいだから生きているものの定義についての研究だってあるはずだ。おしまい。




敢えて個人的な考えを一つ言うなら、生きているものというのはみな勝手だと思う。自分の生命を繋ぐためなら他者を害したって構わない。自分の思うもの、考えるものしか知らない。相手を殺したって生きるためには仕方がない。

生きていることへの執着。それぞれの興味と無関心。それによって生じるあくなき闘争…

私はなるべく他者を害したくないと思って生きている。人に刺されるか、自分が人を刺すか、どちらか選べと言われれば前者をとる。
けれど、虫一匹と私の命、どちらか選べと言われれば虫を簡単に殺す。私の「害したくなさ」はその程度だ。虫と人と、同じ命を持つのに何が違うのだろう?御託を並べたところで私も随分と勝手だ。

生きていることは他者を害する。害さずには生きてゆけない。その辺の雑草だって、養分欲しさに他の草花を押し除けて根を張る。

ちなみにヒトに害虫と言われるハエなんかは実際にヒトを害さなくても「そこにいるだけで迷惑!」という理由だけで害虫とされていたりする。そこに関してはハエは悪くないのに…とちょっぴり複雑な気持ちになる。




本の中で、眠っている状態、意識のない状態が本来の姿であり、生きている、この場合では意識のある状態というのはバグみたいなものだと言っていた。

そうなのかも。バグなのかも。でも自分自身がバグだと諦めて病原体のように他者を害することだけで生きていると感じることはできない。否、すべきでない。

でもどこかで…共感と思ってやっていることがただただ不快にさせていたり、自分では気づかないレベルで他者を傷つけていたりもする。
害さないことがまず出来ない人間の生活社会で、それなりに傷つけないように、傷つきすぎないようにいたい。





最近は、意識とは?とか、強さとは?とか、考えるテーマと時間(仕事中だけど)がたくさんあって幸せだ。こういう自分一人でできる楽しみ、この先も大切にしたい。


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