摂食障害の原因について。私の場合


令和5年4月15日。摂食障害になってもう12年くらい経つと思う。
いつを起算点に置くかは人によって、症状によって違うと思うけど私の場合は吐き戻しが始まった時かな。なのでこの日記は閲覧注意です。あと長い。







12年くらい、ずっと吐き戻しがある。毎食ではないし、毎日でもない。最近かなり減ってきてるとは言っても今月はほぼ毎日、夕食をちゃんと摂取出来てない。プラスたまに一人薄暗い部屋で過食嘔吐しないと気が済まない時がある。この半月で過食に使った額は5千円。これは一番ひどい時の10分の1くらいです。少ないね。


時間とお金と食べ物と、作った人の気持ちを無駄にして自分の体も痛めることになるのでなんにも良いことない。けど、10年前に精神科に入院した時に担当医の先生から「無理してやめるより上手に付き合っていきましょう」と今のコロナへの対策みたいな話を受けた。正直救われた。

それに甘んじてかしばらくずっと、なだらかに減ってはいきつつも続けてしまっていた。
先日、摂食障害の原因はなんだ?と自分自身に問う機会があった。それからなんとなしに頭の片隅にあって考えていた。




今日、実家でお夕飯を食べた。親が買ってくれていた材料で、私が作る。母が昨日作ったおばんざいの残りをお皿に盛る。私の作った料理はなんとなく、母が食べないような気がしたので自由に取って食べるようにしていた。

ブロッコリーとウインナーを茹でて、水気を切ってマスタードなどなどで和えたものを、やっぱり母は体調悪いから、濃いものは…と言って食べなかった。
その時なぜだか自分の目から涙が溢れてきて、止められなくなったので居た堪れず、食事中立ち歩き始めた子供の世話をするふりして席を立った。


別に自分の料理を親が食べてくれなかったから泣いたわけじゃないのだ。今までのいろんな蓄積が溢れて、それが涙に代わっただけなのだ。


その時、私が学生の頃に始めた歯の矯正のことを思い出した。あまりにも痛くて、硬いものが食べられないと母に言うと唐揚げを小さくしてくれたのだった。


正直小さく切った鶏肉は揚げると大きく切ったものより更に硬くなって、油っぽかった。でも親が子供のためにしてくれたことだと思い、痛みを我慢して食べていた。

それから数年後、とんでもない兄のことや学校での共依存のこと、過剰なダイエット、睡眠障害みたいなのが重なってしんどくなってた時。いつものように小さい唐揚げが食卓に出てきたのだけど、気持ち悪くなって、口に含んだままこっそりトイレへ行って吐き出した。

それが唐揚げ以外にも少しだけ続いた。いつの日かに間違って、食べたくないものを飲み込んでしまった。その時ものすごく吐き気がして、気分が最悪になって、ついに飲み込んだものも吐き戻してしまった。



それから何度か同じことをしてしまった。自己嫌悪になって、常に謝るような言葉が出てきた。謝って周囲を嫌な気持ちにさせるのも嫌で、かと言って死ぬとまた迷惑がかかる、消えてしまいたかった。もともといないモノになりたかった。

周りの人には明るい顔を見せた。心配なんて絶対にさせたくなかった。それでも毎晩の過食嘔吐であからさまに外見に現れた。

体重が30キロ台になって、自分で病院を探した。心配させないために…入院して、退院時に先生から「家族とは離れた方がいいから一人暮らし始めましょう」と言われた。



今になれば本当にそれがよかった。当時は兄が実家にいたから実家にいない方がいい、と思ってたけどそれだけじゃなかった。父も母も要因の一つだった。



唐揚げ食べられない、なんて言えなかった。子供が親に向かってなんてことを、と言われたこともあるけど、何度も言われなくても日頃の態度で感じ取った。

私が親の作った料理を目の前で拒否したことはないけれど、私が作った料理を拒否されることはあった。
今回もそうだった。私が今日なかなか泣き止めなくて、親に戻って食卓につきなさい、と言われ「ごめんなぜか涙が出てきて」と食卓に戻った時に両親とも無言だった。いつも私の感情には触れてこようとしなかった。

昔から私が痛みや悲しみを我慢すると褒められた。私が不都合なことを言えば頭が死ぬほど痛いとイライラされた。話しかけられると頭がガンガンする、という言葉や床に伏して死にそうーー誰か助けてーーは今でも現役だ。本人曰く、そうやって感情をぶつけまくるとスッキリするのだそうだ。私が体調悪い時は我慢して母の体調を心配するしかなかった。人が体調悪いのにその人に心配してもらおうとは思わないからだ。あとからほんとは…と言ってみることもあった。ごめんねと言われることもあったけど、その度に私はいいよ、こちらこそ気を使わせてごめんねと返すだけだった。

父は感情の話を聞かない。母がしんどい時は、私に心配させたがる。私が体調悪かったり泣いてる時に声をかけられたことは一度たりとてない。

母には感情についてなかなか話せなかったけど、いざ話せる二人きりの時間になると必ず寝るか逃げるかされてしまう。私がつまんないからだ、と思って泣いて、親が明日お弁当に使う食材を盗んで食べて、吐き出してを夜中繰り返した。翌朝いつも怒られた。私が吐き戻していることについては深入りしてこなかった。
それが私のため、と彼らは思っていたようだけど、私には保身に感じた。



たぶん、自分の感情を放出する親の元で私はずっと我慢をしていた。
私の摂食障害の原因は、我慢しない時間を無理やり作り出したことだった。




そんなに我慢していると思ったことがなかった。高校の時に友人が「私は彼氏に対して我慢してばっかりだ!」と憤慨してた時になんで我慢なんかするのだろう?と疑問を持ったことを覚えているくらいには我慢という言葉が自身に縁遠いと思っていた。


あまりにも押さえつけ過ぎていた。まだまだ思い出せないことばっかりだ。
このことに気付くのに12年もかかった。
夜、一人になって過食に時間を使いたくなるのは我慢しない時間の使い方をそれしか知らなかったからだ。


最近、めきめきと自信がついている。とっても良いこと。私が思っていたよりダメなヤツじゃないってこと、その辺の人よりは精神が強くない?!と自分で思えるようになった。

自信はどこからくるものでもない。実証されなければ自信にならないなんてことはない。何もないところからも自信は生まれる。逆に、たくさん恵まれていても自信がない人はいる。何もなくても自信が多少ある方がいいな、くらいには思えるようになってきてる。



おかげでちゃんと自分の過去を見つめ直せた。noteに書く前にこの話を夫が聞いてくれた。私は人に話さないと考えがまとまらないので…

クズだけどたまに話を聞いてくれる夫にも、昔から「我慢させたくないな」という気持ちが先立つ。自分が我慢して嫌な気持ちになるのをよく知っていたからだった。今日久しぶりにSwitchをやっているのを見たけど、全然いいやと思った。(ほんにんわるぶれてもないしこのひとのばあいほんとはあんまりよくないんだろうけど)



さっき人に話さないと考えまとまらない、と書いたけどこのnoteを書く作業もそうだ。だから読んでる人からしたらつまんないと思う。誰かに語りかけるつもりで言葉を編み出さないと整理できない困った性格です。


これでまた一つ自分のことが分かってよかった。自分のこと、クソしょーもない存在だけど私は私しかプレイ出来ないので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?